ありふれた人生の中

傷つきたくないから探してる/不定期更新/備忘録&日記

お知らせ

こんばんは。

 

敢えてわざわざ報告の必要がないほどに更新頻度が下がっているわけなんですが、少し諸事情により1ヶ月を目安として更新を控えることをご報告いたします。

 

モチベがどうのとか、そもそもブログを続ける意志がなくなったとかそういうことではないのですが、自己に起因する外的要因によりしばらくそうした方が、いやそうしなければいけないような気がするのですとりあえずそうします。

 

のんびり書きたいときに書きたいことを書く場なのでその報告ですらも要らないといえばそうですが、最近は割と更新せずともアクセス数が細々とあるようで。

 

ようやくコンテンツ数が乗ってきて、目標の100ももうひと頑張りな感じではあるのだなぁと思うところではありますし、まぁ半確定している分には報告をと。

 

説明できそうならしますし、微妙だと伏せます。

 

それでは一旦。

機会の機会、きっかけのきっかけ

Twitterの方でRTして言及しましたが、田舎出身東大生の語る格差。

 

以前記事にした「都会、学歴コンプ」に繋がる話だなぁと。

 

私はYahooのトップで見かけましたが、Twitterでも反響は大きかったようで。

 

文章化の観点からすると先行された感があるのですが、まさに「機会に至るそもそもの発想がない」に尽きると。

 

前提としてきた人生の積み重ねの圧倒的な差。

 

大学入学以前の年齢を対象とすると、それこそ主体的に能動的に選択できる事の範囲があまりにも大人と比べ狭いのだから日頃の環境から与えられる情報、体験、現象が成長させるわけで、今のご時世ネットで情報を得たり、買い物をしたり、住む土地の差でしかないというのは机上の空論感。

 

偶然にも私がその田舎一般から意識だけは抜け出せた要因は、高3当時ルーターを購入しWi-Fi環境が家に整ったことであります。

 

当時はガラケーからスマホに移行初期で、私はガラケーでしたのでSNSなどはそれまでろくに触れられておらず、かろうじてスピッツファンとの交流を目的としたmixiアカウントの運用をしていたまででした。

 

無論、家にパソコンはありましたが、自分のものではなく、たまに調べ物をする程度の使い方しか知らない。

 

そこで、元から所持していたiPod touchWi-Fiによりフル活用できるようになったことで、ネット全盛期を迎え、Twitterを始めたわけです。

 

そこでは受験生アカウントとして運用しましたが、色々な人と出会いました(表現が適切かは不明)。

 

高3当時、クラスはおろか、学年で1、2人いるかいないかの医学部受験生、いわゆる高偏差値大受験生数の学校でしたのでその辺の情報はなかったですし、ブログのように文章が書き置きされているだけではないTwitterのような場で同じ志望者と交流が図れたのは大きかったです。

 

皆は予備校に通っていること、使用している参考書、問題集は皆にとって常識でありながら私は初耳だったこと、校内環境が整っていること、中高一貫校の履修速度の速さ、模試判定がD以上でも色々な思いがあること、放課後学習、朝課外、補習などなく自習時間が多いこと…。

 

何から何までカルチャーショックというか。

 

浪人にしても何をどうする必要があるのか分からないし、現役は絶対で可能ならば地元という同級生も多かったですね。というかほとんど。

 

服にしたってそう。

 

田舎なりに県庁所在地住みながら、有名どころのセレクトショップなんてほぼなしにファッション感なんて育つわけもなく。

 

UNIQLO、ライトオン、しまむら、アベイル。

 

今になって調べるとポツポツと個人経営のセレクトショップはあるみたいですが、そこに発展するわけもなく。

 

GUとかコムサイズムも最近できた程度で。

 

それらへの発展もないのだから百貨店なんて行く理由もない。

 

勉学面ではネット接続以外で現状打破するには東進衛星予備校とか河合塾マナビスみたいな大手予備校の映像授業塾に通うことぐらいしかなかったんじゃなかろうか。

 

都会に出るための手段として大学受験してるのも多かったし、学部学科なんて二の次なんてのもいましたし。

 

あまりこのようなことを言って良いものか悩みますが、下宿先のこの土地は地元よりは遥かに整った街ですが、親の育ちと大都会未満の半端な都会さによって人生の多くの機会を我が生徒は失っているのだろうなと感じることは多いです。

 

母子家庭で団地住まいの高校生女の子の家庭は指導中ずっと隣の部屋で弟のゲームで遊ぶかアニメを見るかの音が響き、母親もずっとテレビを見て笑う声が聞こえ。

 

その過ごし方がダメだというわけではないですが、指導の19:00〜21:00はテレビのゴールデンタイムだということを考えても察するにそれ以外での時間の過ごし方を知らないのだろうなと。

 

小学生男子の家庭は半端に仕入れた子育て論で子を縛り、平均的で一般的な育ち方をすれば良いと言う通りに育ってるし。

 

前にちらっと触れましたが、虚構の暇地獄で時間を浪費。

 

街の環境がアレでも、最少環境である家族の中で意識が高く育てられれば問題はないのかなと。

 

でも、その親も元は環境に育てられているであろうはずで、…。

 

何か新しいことに気づく、出会えるのって他者から与えられた時がほとんどだと思うのですよね。

 

テレビにしても、ネットにしても、学校という環境にしても。

 

ネットは他と比べ圧倒的な情報量を与えてくれる代わりに能動性も求められるもので、TwitterにしろNewsPicksにしろyahoo!のニュース欄にしても。

 

街からは与えられず、テレビと学校からのみ与えられ、なおテレビはチャンネル数が少なく、学校も整っているのは最上位のみ。

 

きっかけのためのきっかけ=発想を与えるのは、無からの自発ではなく、他者からの供与なのだと。

 

具体化すると発想とは「知りたいことを知るためになんと検索すれば良いかわかること」みたいな。

 

やはり私は文章化するのが下手ですね。

 

上手い人の文章を元に書いているだけに、その差に嫌気がさしますがこの記事然り、これまでのものを読んでくださる方に改めて感謝いたします。

 

では。

 

汗だくマンはつらい

昨日はですね、朝から雨が降っててその割にはマシだったとは言え湿度が高く、じきに来る梅雨に憂鬱な気分でしたね。

 

というのも、中学入った頃から、それまで強制的に親に連れられた散髪屋で丸刈りにさせられていたのですが、そこから脱するためにセルフカットを始めたものの、思う通りの長さにはできたものの癖毛が露呈しはじめまして…。

 

まだ言うほど酷くも今思えばなかったのですが、前髪と襟足がピンポイントで癖毛だったので、本当に悩んでましたね。

 

ただでさえ髪型を気にしだした思春期感を周りに印象として与えることすら嫌だったのに、ヘアアイロンを買うなんて手段はなく、ひたすら手ぐしで伸ばすなんてことを常にしておりました。

 

卒業写真などで確認すると、それでも頑張って真っ直ぐにしていたつもりが気持ちの悪いことになっていて、それ以来写真を撮られることと、鏡に映る自分を信じられないこと、要するに容姿コンプレックスは深まっていきました。

 

高校入ってからは何らかのテレビ番組に映っていたチャラめの男がヘアアイロンを使用し髪を伸ばす所作があまりに受け付けなかった思いを抱えながらも、友人の何気ない「芸能人とかはヘアアイロン使うの普通だしね」という言葉から重荷が降りて、購入を決断しました。

 

人に見せるではないにしても、いかにもナルシストなヘアアイロンを使う所作を理由に忌避していましたが、芸能人もとい容姿に気を使う大人というものは普通に使うものであるという建前が前進させてくれたということですかね。

 

それ以来、今でも使っております。

 

だからヘアアイロン歴は今7年目でしょうか?

 

それが本題ではないですが、この場で何かヘアアイロンについて語ると、安物はすぐにコードが断線するのか調子が悪くなって使えなくなるので、高めの物がオススメです。

 

近所の家電屋で買った約3,000円の物

アゲツヤ (Amazon) 約3,000円

アゲツヤ(Amazon) 約3,000円

ワンダム(Amazon) 約8,000円

アドストDS2(Amazon) 約26,000円

という変遷。

 

8,000円のワンダムという高コスパで有名なヘアアイロンまではどれも1年持たずに断線したので、思い切ってアドストは買いました。

 

4年近くは持ってるので確実に価格に見合った価値があるのでオススメです。

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(色がこれだけなのは不満)

 

 

で、本題は汗かきが過ぎて、湿度の高さでも髪はどうしても癖が戻ってしまうのですよ。

 

普段なら必ず避けるのですが、新しく見つけた美味しそうなカレー屋に意を決して行きましたが、一口目から汗だくになり、顔からポタポタと垂れて死ぬほど恥ずかしかったですね。

 

甘口のないカレー屋では食べず、基本持ち帰るべしだと改めて認識しました。

 

最近は熱い食べ物を食べただけでも汗かきますし、外出しんどいですね。

 

身体はもちろんながら、顔及び頭皮が最も汗だくになるのがキツイのですよ。

 

コンプレックス丸出しになるので、夏は嫌いです。

 

今日も雨ですかね。

 

同じ悩みを抱えている同志は対処しているのでしょうか。

 

前髪は上げれば何とかなるにしても襟足は…。

 

体全体にそれ用の防水スプレーが出れば楽なんですがね。

 

はい。

 

 

習慣化ムズイ

ブログ然り、強制力はないもののした方が良い・すべき事・したいと思っているものに関して結局はできてないケースが多過ぎて。

 

まぁ人間とはそういう生き物であるということは流石に20年以上生きてきたら既に学習済みであり「対策を講じろ」って話なんですが…。

 

具体例挙げると、毎週決まった曜日の決まった時間までにゴミを出すとか、朝昼晩とタンパク質中心の食事を心がけ尚且つビタミン&ミネラルの摂取も忘れないとか、毎日決めた部位の筋トレするとか、寝る前に風呂に入ってしまうとか、情報取得の意味合いとしてTwitterは最低1日に1度はタイムラインの確認と登録してるNewsPicksのザッと見とか…。

 

流石に今学期の通学とバイトだけはしっかりと時間を軸として習慣化されて組み込まれていますが。

 

時間制限なく書きたいときに書きたいことを書くというモットーを掲げるこのブログも強制アウトプット装置としての側面がある以上、一定期間を超えて未更新はモヤモヤしますし、検索ワードリストだけでも更新することでインプット意欲を促したいもの。

 

何も書いていないかというとそういうことはなく、相変わらず題を思いついては下書きに溜め込んで、たまに題を見返して気分だとつらつらと書き進めるようなことはしています。

 

家庭教師してて、言ってることは正しかろうと実践できていない理想的な行動法を生徒に指導しているとそう感じ取られていることは仮になくとも罪悪感は湧いてしまうものです。

 

無理難題を押し付けたりはしてないですけどね。

 

集中力に関しての書籍で「思考は集中力の体力を削る」みたいな事を読んだ気がするので、まずはやるべき事をリスト化(整理)して可視化して目につくところに貼り付けて思い出す手間を省くことから始めるべきかなぁ。

 

生徒を指導しているときにも改めて思ったのは「受動的な行動は消費そのもの」だなぁと。

 

全否定は無論しませんが、スーパー、コンビニにフラット立ち寄って思惑通りに購買意欲をそそられて買い、家にあれば目に付いた時に食欲をそそられ食べるだとか。

 

終始付けっ放しのテレビに思考停止で楽でいられるからと時間を奪われ。

 

最近だと、初めは選択的に見ていたYouTubeの動画が、いつのまにか観終えるとオススメが自動再生されて無限に時間を過ごし。

 

主体的に、能動的に次に取るべき行動を選択して行くことが大事なのだと。

 

受け売りですが、まずは夕食に何を食べるかということから決めるとかね。

 

人生が流されてしまう。

 

家庭教師なので生徒宅にお邪魔するということは親御さんにも毎回の顔合わせてして会話もしますが、自分の幼少期は棚に上げて勉強で困らないようにだとか、最低大学までは行って欲しいとか、普通のレベル以上は求めないとか。

 

勉強なんて子供のやることで大人は別で忙しいという前提で話すから、普段の振る舞いや後ろ姿で生き方を語るというか、模範になれていないことが大きな要因であるにも関わらずその自覚はなく。

 

勉強=国英数理社ではないし、読書させたいなら自分がその姿を見せるべきだし、語るに値する確固たる人生を(個人レベルですら)定義できてもいないのに子育てはしたいと願うその心境はいかにと思わないではないです。

 

だから、自戒含めて、「YouTubeを観ることも、テレビを観る事も、ゲームをすることも、友達と話すのも楽しいと思える限りはした方が良い。だけど、理由のない時間だと感じたら即座に切る勇気は持たねばならないし、要するに能動的である分には大いに娯楽も享受すべき。」と指導しようかなーと。

 

話が逸れた上に逸らすと、小6の男の子は毎日ゲームは1時間と定められ、しかし土用午前、昼間のテレビ番組はつまらなく、友達と集まってもすることはなく、家の本は全て読み飽き、ネットも使わせてもらえないから暇地獄だと言っていました。

 

正確にはすべきことは山ほどあるはずですが、能動的にしたいと思えることがないという意味でそう口走ってしまうのでしょう。

 

親のアバウトな知識で人生までも制限され、そのような時の過ごし方も教えられていないという現状が何か勿体無いと言うか、悲しいなぁと思ったりも。

 

留年してまで時間を無駄にダラけて過ごしたから分かりますけど、ダラけて過ごす時間に心地よさをずっと感じてなどいられないし、何だかんだ休む間もないスケジュールを過ごし、土日程度に休める環境が最適なのかなと。

 

休みたいと思える時に休める環境も大事でしょう。

 

肌荒れ対策のビタミン&ミネラルの摂取だけは忘れないよう気をつけます。

 

それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は勢いで記事書けましたが、明日からどうなるかなぁ。記事量産してた過去は春休みだったので無限に時間費やしてましたが、最近時間ができるとひたすら眠くてモチベーションが保ててないです。初めに述べたようにまずはリスト化、可視化で習慣化から始めようと思います。

そういえばモンハン2Gはムラ上位まで言ったんですけど、位が上がると低レベルモンスター狩りから始まるループがアレで一旦お休み中です。

そのほか、能動的に、「輪るピングドラム」、「攻殻機動隊 SAC」、「PSYCHO-PASS」というアニメを見ました。

 

 

ファッション(服)から

最近、寝ても覚めても服のことを考える日々が続いていたりします。

 

まだまだ初心者なので自主的にですが学ぶこと(調べること)が多く、勝手に大変になってます(笑)

 

でも、これが本来の勉強・学びなのかなと思うのですよね。

 

人から教えられる講義スタイルだけが勉強であるかのような受動的教育を受けてきたわけですが、自ら進んで興味のあることを深く独学で掘り下げる。

 

時代が時代なのでネットが揃っていたり、欲しい書物を即座に手に入れることができる環境は大きいもので、そういう環境がない時代には講義スタイルが適していたのだとは理解しています。

 

今、調べに夢中になっているのは、ブランドのコンセプトや歴史、素材の特徴、体型・思考との兼ね合いです。

 

正直、あまりに多過ぎて大変なので、今はドメスティックブランドに焦点を当てて調べています。

 

まだ現物を見れてはいないのですが、例えばCOMOLIというブランドの「"全ての洋服の原型は欧米から生まれ、ある目的の為に作られた物である"という基本概念のもと、日本の気候と日本人の体型に合う、上質でシンプルな日常着を提案する。」とか、DEVOAというブランドの「研究は人体の可動域を理解することから始まる。動作に対しての皮膚、筋肉、骨格のパターンを構築。長い年月を経て表裏一体である進化と退化を続けていく人体。DEVOAが考える仮説と進化論によって服を表現」(どちらもファッションプレス参照)というコンセプトって、読むだけで心が躍るんですよね。

 

本当に楽しいです。

 

そういえば、この前の記事で親友との京都での買い物を綴ったと思うのですが、あそこでの体験が元になって、好きなブランドができました。

 

arihuretajinsei.hatenablog.com

 

 

ファッションなるものに目覚めた約1〜半年以上前の時から「好きなブランド」という概念への自分なりの解の模索に奔走していたのですが(大抵の場合、周りに聞くと好きなブランドがあったので)、UNIQLO Uの次への一歩が踏み出せない、というより踏み出し方が分からないでいたのですよね。

 

「好きなブランドってある?」、「どうやって好きになったの?」、「そのブランドの品は何点くらい持ってるの?」とかしょっちゅう聞いてました。

 

何故なら、知れば知るほど世の中には多くのファッションブランドに溢れていて、あんなにもの中から好きなものなんてどう見つければ良いか分からなかったのです。

 

で、結論から言うと「Yoji Yamamoto(ヨウジヤマモト) 」に決めました。

 

理由としては、色々あるのですが、

1.服と身体との間の空間を作ることでドレープ(揺れ感と解釈)を演出するというコンセプトが私のゴツい体型にもとてもフィットしたこと。

 

2.アイテムに対しての「色」をどれにするかという悩みから解放されること(基本黒を基調として、たまに白と、その他差し色で赤や青が入っている)。

(この2番の理由は大きくて、インナーはまだしも高いアウターで色で迷うことに困っていて、色によって他の部分の合わせ方も規定されてしまうため、黒で統一されていることはその日の気分にも左右されず、とても重要な要素だと思います。色合わせすらも考えるのが楽しいという感覚は理解していますが、そこまでお金かける余裕も、同じブランドの色違いだけに固執する理由もないのですよね。)

 

3.1と被りますが、UNIQLOで買ったウールカシミヤチェスターコートを前を開けて風になびかせて着るのが好きだった体験から、揺れ感が好みで、なおかつ単純に来た時のシルエットや見栄えがとても好きだったから。

 

4.アメリカンテイストとヨーロピアンテイスト(アメカジとか原点である西洋の洋服そのもの?)でバランスを取り身体に落とし込むのも良いが、どうしても海外においての本質がある以上、低身長、短足、(どちらかと言えば)和顔な自分には限度があるのではという疑問を解決するように、和のテイストが織り込まれた(と思しき)服が出されていたから。

 

5.ふと気付いた時に今の服装が若者(大学生、いっても20代まで)であることを前提として成り立つようなものばかりで、いずれ来たる次へのステップまでの刹那的なファッションに過ぎないと気づき、長い期間(できれば一生)好きなブランドであり続けられるものでありそうだということ。

の5点でしょうか?

 

実際に、この間地元から下宿先に帰る際に途中で京都に立ち寄りまして、京都伊勢丹の6Fのヨウジヤマモト直営店で服を見て、試着して、一点購入して来ました。

 

arihuretajinsei.hatenablog.com

 (この日ですね)

 

言わずもがな、これまでUNIQLOくらいにしか手出ししてこなかった私でなくとも高過ぎると感じる価格帯ではありましたが、その他ブランドに手出しせず一点集中でならなんとか世界観を輸入できるかなという気はしております。

 

買ったのはラップパンツという、別布が巻きつけられた形のパンツで、価格は税込7万2千円ほどでした。

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(サイズは3でかなり太めで面積が大きいです)

 

見た目だけでは分からないもので、実際履くとめちゃくちゃ履き心地が良く、シルエットも凄く綺麗で、予算5万円のはずが2時間悩んで購入しました。

 

難点があるとすれば、これまで購入し所持していた服とは簡単に合わせられるものではなく、同一ブランドで統一する必要性はあるのかなという点。

 

学業との両立はもちろん、バイトを頑張ってある程度アイテムを揃えていこうという気持ちで一杯で、それが本質にはならないよう気をつけますが、服を着る時間が楽しく、学校に行くモチベーションにも繋がっています。

 

いやー、でも、本当にファッションを学ぶ上で、関連して色々なことを学びました。

 

初めて自腹で高額商品として購入した、パドローネのハイスタンダードラインのブーツ、ゴムソール貼り含め約4万円からは靴の手入れ、靴の履き方(指ではなくシューホーンを使うべきとか)、歩き方、革とは、靴の製法(グッドイヤー、マッケイとか)など。

 

これまでに購入した、お気に入りのUNIQLOウールカシミヤチェスターコート(約1万円)やアーバンリサーチとNANGAのコラボ(?)のダウンジャケット(3万円)からは日頃の手入れ、クリーニングとは、掛けるべきハンガーの種類、素材、保管方法など。

 

自腹(それも高額であるほど)で購入したり(当たり前かもしれませんが)、時間を掛けて吟味したり、労力掛けて店に出向いたり、念入りに深堀して調べたり、信頼する人のオススメであったり、そういう事が愛着とか興味を湧かせるんだなと学びました。

 

それまでは服なんて適当に表示も見ず洗濯機に入れ、脱ぎ捨てていましたから。

 

今では畳んだり、ハンガーに掛けたりと丁寧に扱い、洗濯表示は必ず確認し、洗剤を使い分けたり、洗濯ネットを使ったりと気を使うようになりました。

 

今回買ったヨウジのラップパンツは素材がウールギャバジンというスーツに使われているような素材なのですが、大事に扱えば何十年と持つとのことで、人生を共に成長できるという意味合いからも決して法外に高いだけではなく、想い入れの持てる素敵な出会いだったのかと思います(少しクサイ台詞ですが)。

 

服は可視領域の最外殻ですからね。

 

適当に済ませるのではなく、内面の体現でもあり、それは対外的な表現に留まらず、自己の心地良さだったり精神の鎧でもあり、もっと重要視すべき点だったのだなと認識させられました。

 

デザイナーである山本耀司氏の著書(?)である「服を作る モードを超えて」と「All About Yohji Yamamoto from 1968 山本耀司。モードの記録。 モードの意味を変えた山本耀司の足跡を探して。」の2冊も買い、理念や歴史など勉強しております。

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(なかなか良い値段しました)

 

ただ、忘れてはならないのはやはり服は本質ではないということ。

 

服は服であり、身体を整える・鍛えるということも一方で行うことで高められるのかなと思います。

 

結局は人の勝手なので直接とやかく言うつもりはないですけど、Twitterとかインスタグラムでヨウジヤマモトで検索かけると愛好者のアカウントが出てくるのですが、うーん、正直タイプが違うなぁと思わざるを得ない人が多いという印象。

 

やたら一般のファッションに疎い人達を小馬鹿にしてみたり、人生全てがヨウジ基準であるかの如く語っていたり、ファッションは人の目より自己満足優先と語る割にキメた着用写真載せまくりだったり、同じ愛好者で群れて集う写真を載っけて粋がってみたり…。

 

自分は他人と違うアピールのための道具になり下げたらダメじゃないか?と私は思うのです。

 

三代目JSBというEXILE系のグループのメンバーがヨウジ関連のアイテムを身に付けていたことからファン層が無知なままでヨウジに手を出すことを勝手に危惧して批判していたり。

 

良くも悪くも一般的な服装とは異なる見た目だけに本意とは誤解されやすい側面を持つのであるわけで、その辺は気を付けなければならないし、好きなのであれば評価を下げるような真似は控えるべき、だと初心者なりに思ったというのはあります。

 

いろんなブランドのコレクションを見た中で分かりやすく(?)カッコいいと初心者な私が思ったほどなので、多くの人の琴線にも触れるのであろうし、そのことから愛好者層も広いのかなぁと思うところではあります。

 

良くも悪くもその魅力、こと魔力に引っ張られるのかなぁと。

 

偉そうに映ったら申し訳ないですが。

 

無論、逆に着こなしが上手いなぁとか、良さを引き出してるし憧れるなぁという方もおりましたよ。

 

あと話は変わりますが、こういう場で勝手に名前を出して良いものか分かりませんが、ヨウジヤマモトについてどういうブランドでどういう人が着て、高価なだけにどのような取り扱いが必要になるのかなどを調べている途中で出会った「まるでシーラ・Eのような生活」というブログの「大学時代までJEANS MATEで服を買っていた俺が、ヨウジとギャルソンを愛好するようになるまで。」(計8編)と「服ヲタクを辞めます。」という記事はとても参考になりました。

 

「服ヲタクを辞めます。」の記事にてこのシーラさん(勝手に省略させていただきます)は既に愛好者の立場から撤退したと綴られているのですが、共感できる点は多く、学ばせていただきました。

 

その記事が大きく近づけてくれたというのはありますね。

 

だってパンツで7万ですよ⁉︎

 

冷静に考えたらそのお金でできることなんて山ほどありそうなもので。

 

本当に限られた資本で行動を選択する立場である学生が手を出すようなブランドではないということは分かっていますが、世界の見え方を変えてくれた経験もでき、個人的には満足も納得もしているので良いのです。

 

今のところ、多い月でバイト代は家庭教師と飲食バイトで半々で約4万ずつなので月8万が自由に使える限度額です。

 

よく聞く社会人のお小遣いが2〜3万とか、大学生より働くのに使える資金が少ないなんて絶望的だなぁと思ったり。

 

親にお金出していただいて生活が成り立っている私が何を言ったところでアレですし、このことは親には話せませんけどね(どう使おうが自由ではありますけど、いやいつか借りた恩は返します)。

 

ほどほどに、そして慎重に、これからも自分という人間の感性を磨いていけたらと思います。

 

それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シーラさんはメンター(指導者)という既に知り尽くした先人がいて案内をしてもらったとのことなのですが、私にはそのような身内がいませんでしたもので、なかなか行くのには勇気がいりました。

実際、1度目に訪れた京都ショッピングの際は通り過ぎるだけで精一杯でしたし。

その他、ヨウジに関しての入門講座というか、初心者の入りとしてだったり、どういうブランドであるかや、扱い方を記載している記事は見つからなかったので、初心者が手出しする資格はないんじゃないか?とも思ったりしていました。

そんなに資金がないので頻繁に購入などはできませんが、今後好きなブランドとして購入し続けて行く予定ではあるので、私と同じような境遇の方向けになるような記事が書けるといいなとか思ってます。

ちなみに、実際店舗に伺うと店員さんはとても優しく丁寧に応対して下さいます。

ヨウジ独特の服装を店員の皆さんがしていらっしゃるので変に威圧感を感じる気も分からなくはないのですが、そこは安心していただいて大丈夫だと思います。

物凄くカッコいい青の紙袋(?)に入れてくださったり、一旦お店を出て考えてくると言い戻った時には丁寧にお取り置きしてもらえていたし(頼んでないのに)、連絡先の入った名刺をいただいたし、何かあれば連絡ができるよう連絡先を書いたりなど普通のお店とは違う、お客さんというより顧客という形での応対には驚きましたが(笑)

詳しいことはまた別記事できちんと書ければと思います。

 

2浪ののち留年した人の話

はい、題の通りですね。

 

私、留年いたしました。

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それ自体は実は既に半年前の時点で判明していたのですが。

 

理由は単純に進級要件に足る単位数を取得していなかったことです。

 

そうなった理由はと言うと、はっきり言って大学に行っていませんでした。

 

そして、その理由はと言うと、それは複雑で単純ではありませんが、何のために通っているのか分からなくなってしまったという心情に起因しているのかと思っています。

 

長々と語ろうかなと思いますが、その中で同じような境遇に置かれている人や私に似たタイプの人に何か為になる助言ができればと思いますし、そこまでいかなくても反面教師的に何か学んでいただけたら無駄にはならないのかと思います。

 

言わずもがなですが、矛盾しながらも親には申し訳ない気持ちで一杯ですし、金銭面とかその辺は家庭内事情(問題)ということであまり触れない方向で進めさせていただきますね。

 

まず、私の場合はですが、そもそも行くつもりのない大学に入ってしまったことは大きかったと思います。

 

過去に何度か書きましたが、私は元々医学部志望でして、そのための2浪だったのですが、結果から言えばどこにも受かることはありませんでした。

 

考えが甘いことは承知していましたが、宅浪というお金の負担を掛けない形でなら了承を得られると思った私は受験当日の時点で学力が足りていない自覚があったため、3浪目を考えておりました。

 

ただ、親からすれば努力が見られない成績の伸びに加え、(結果論的にはそうはならなかったのですが)もう+1浪した場合に弟と学年が被るという点から拒否されてしまいました。

 

何故かは分かりませんが、両親ともの実家(私にとっての両祖父母家)に連れられ、叔母叔父など親戚も加えての説得の嵐。

 

そもそも親族の中にこれまで浪人経験者は誰一人とおらず、なおかつ殆どが医者、歯医者、教師、教授という職歴の者ばかり故、私は(勝手な思い込み含め)浪人している時点で落ちこぼれでしたので、これ以上の汚点の上塗りを良しとすることはそりゃなかったのだと思います。

 

ということになるとは思わず、2浪目のその年は医学部の他に私立歯学部、工学部、心理学部(確か)、理学部、農学部など網羅的に受けさせられておりました(行くつもりはないけど敢えて選ぶならという形で選んだ)。

 

現役時、1浪時は学力が及ばないにも関わらず医学部しか受験していなかったため、医学部がダメなら諦めて他の道を探すしかないという意味合いで受験校を選ばせたのだと思います。

 

具体的な大学名は明かしませんが、正直名前は聞いたことあるけどよく知らないし、私立で医学部以外となると有名どころは分かるけど、そこのどの学部がどうであるかは分からないし、受験するだけでも費用はかさみ体力的にもしんどいから選んだここらでいいか、的な感じで受験したことを覚えています。

 

繰り返しになりますが、受かろうが行くつもりはなかったのです。

 

そして結果、全て合格。

 

行くつもりはなかったにせよ、私にとって初めての受験における合格はやはり嬉しかったです。

 

中学受験という概念がないに等しい土地でしたので、中学受験はせず、高校受験は数少ない県内公立校で進学実績の整った上位2校のうち下の1校を受けましたが受からず滑り止め(滑り止めには受かりましたが、むしろ落ちる人は例年一桁にも満たないとの噂でしたので)という過去でした。

 

何より子を第一に考えていると当人である私が思うほどの母は当然のごとく大喜びしてくれました。

 

後から従兄弟に聞いた話ですが(従兄弟は祖母伝いで聞いたよう)、基本短気で不器用な父が悩んで夜もろくに眠れず、母は鬱の様な状態になっていたという話だそうです。

 

と、ここまでは長々と前置きだったわけですが、そんな経緯で本意ではないながら通う他ない形で大学入学を迎えたのです。

 

心理学部が最も興味はありましたが、将来的なことを考え某大某学部を選択しました。

 

恥ずかし過ぎて入学するくらいなら死んだほうがマシと本気で思ってましたし、未だに地元の知り合いに大学名を伏せたり、現状をぼやかしたりしています。

 

親友2人は把握していますが、ネタにして笑う扱いにしてくれるので多少気は楽ですが、どこか申し訳なさなどは感じています。

 

ちなみに、何度か仮面浪人は考え、実際1年目にセンター試験を受験しましたが、とある事情で本格的な受験勉強は断念しましてまともな結果は出せていません。

 

なにが言いたいかというと、学ぼうと意欲的に思えるほどの大学及び学部及び学科に進学できなかったということです。

 

今所属している大学学部学科は何をしているのか、どういう就職先があるのかなど全く知らない状態で入学しました。

 

さて、ようやく話を戻して、他の理由ですが、これは新入生誰しも悩みどころだと思いますが、「友達ができなかった」という点でしょうか?

 

正直、「友達」という響きが幼稚で曖昧(統一性がない)ので嫌いなんですよね。

 

2つに分けるとするなら、大学という場において会話や行動を共にするなどするがあくまでそこまで。

 

もう一つは大学という場にこだわらず、学外や休日にも会ったり、連絡を交わす仲。

 

個人的には後者が友達感ありますね。

 

言葉の定義はさておき、私は実は入学から3ヶ月ほど部活に所属しておりました。

 

というのも、唯一のコミュニケーションツールがサッカーだったということと、クラスというコミュニティの存在しない大学において、狭く密接な関係を強制的に築くことになる部活に所属するというのは、人見知りという性格を自覚していた私が大学を生き抜く上で必須の条件だと思ったからです。

 

これまた話が脱線するので手短に説明しますと、3ヶ月で退部したのは部員と揉めたからです。

 

そんないちゃもんをこれまでつけられたことがなかったので本当に驚きましたが、部の同学年グループライン内で急にマネージャーから部員の代弁の形でこれまで不満が募っていた的なことを言われまして。

 

他の部員はそんなことないと言ってくれてはいたのですが、大学の偏差値的に浪人経験者の少なさから周りとの2歳差の距離感で難しさを感じていたことと、ゴタゴタから身を引きたかったことから退部を決意しました。

 

要するに未だに私自身も何だったのか把握しておらず、気まずさを残したまま退部したのです。

 

真面目にサッカーに取り組んだのは小学生までながら、高校まで現役で部に所属しやってきたメンバーにも認めてもらえるほどの蹴りの技術はあったようで、それなりに良い関係を保ち、先輩からのテスト関連の情報提供の環境も整ったし、なんとか大丈夫かと思っていたのですがね…。

 

なので、同学科に2人サッカー部員がいるのですが、どんな顔で会えば良いか分からなくなり、偶然部員と会うのも気まずさが流れるのが嫌で心理的に負荷がかかるようになったというのは大きいです。

 

そして、部活というツールを外された私は授業なりクラスの集まりでも友達なる相手はできませんでした。

 

とある英語の授業初日に先生の気遣いで「席の隣同士仲良くなりましょう」という時間が設けられ、その時に私も相手も友達がいなかったことからその授業以降1週間ほど授業外も行動を共にしていましたが、「なんかいつまでも他人行儀で価値観というかタイプが合わないんだよな」と私が思っていた様に彼も思ったのか、その後少しずつ距離が開いて、授業外での交流はなくなりましたね。

 

相手のその後を見た限り、人数は多けどどこか冴えない面子のグループに後入りし、顔色伺いながら付いて行ってるって感じでしたけど。

 

そんな自分のない奴と私は違うなんてプライドを掲げるつもりはなく、彼は彼なりにプライドを捨てて勇気を出し飛び込んだとも言えますが、うーん、私はそこまでは良いかなと(結果、留年では立場がないですが)。

 

やはり大学は同一クラスで行動を共にするわけではなく授業ごとに受けるメンバーが変わるもので、なおかつ席もほぼ固定なしなため、なかなか難しいところです。

 

ここで一つ言いたいのは、パッと見の外見でのタイプ判別は重要ということと、相手の交友関係を見ること、それを見分ける為にも最低1週間ほどは無理に友達を作らねばと意気込むのはやめておいた方が良いかと思います。

 

というのも、彼とはLINEの連絡先を交換し何度か連絡取ったりもしましたが、距離が開き話すことすらなくなった今となってはその過去のせいですれ違っても気まずいだけで、余計にしんどくなるからです。

 

誰ともフラットに話せて固定のコミュニティに属することがないような人はいいかもしれませんが、私みたいな人見知りが頑張った先にそのような結末ではしんどいですよね。

 

ぶっちゃけ、誰かが誰かに話しかけることで生まれる人間関係において、一方が話しかけるから友達になれるわけです。

 

単純に考えて50%の確率で他人から話しかけられたらその人との関係を大事にし、話しかけられることがなかったら諦めるくらいの気持ちを持つのも潔いのかなと思わないではないです。

 

後者は「ぼっちの極み」感ありますけど。

 

でもあんなに(少なくとも私のところは)多くの学科生がいる中で話しかけられる側に選ばれなかった人間は先述の通り無理すると痛い目見る可能性も高い要素があるのではないかと思っています。

 

その代表みたいな私がこう言うのはなんですが、そういう人は顔が怖いとか、話しかけるなオーラが出ているとか、服装がダサ過ぎるとか、なにか話しかける上で一つ壁を感じさせる要素が自分にないか向き合う時間を取ることは重要かもしれないです。

 

ブサイクだから的自己嫌悪は外見よりその精神性が悪いオーラ(雰囲気)をにじみ出させている可能性があるので注意ですね。

 

もう一つ、これは贅沢な悩みなのかもしれませんが、できるなら自分と濃密な関係を持てる友人であることが望ましいですよね。

 

またまた実はなんですが、学内で話せる程度の友人は1人だけいたのです。

 

パソコンを扱う授業で仲良くなり、他人行儀ではなく冗談を言ったり、タメ口で話したり、授業が同じになれば割と話すような。

 

お互いにゲームが好きで、趣味も合う。

 

ですが、その時の場合はですが、相手はいかにも見た目がオタクタイプだったのですよね。

 

見た目に無頓着でメガネで休み時間は3DS持ち込んでのゲーム。

 

一度だけ食事にも行きましたが、空気が読めず場に合わない声量と食事マナー。

 

タイプが違ったんですかね。

 

それと先ほどのことを言い換えると、他のコミュニティにはあまり属さず、自分を含むコミュニティで深い関係を持てるということ。

 

授業が同じになればそこそこ話し、LINEで宿題内容の教え合いや参考にしたりする。

 

だけど、食事は別の仲の良い奴ととり、行きと帰りのバスや電車も別の仲の良い奴と、みたいな。

 

コミュニティ優先度が最上位の間柄じゃないと、どうしても踏み込めない領域があると思っています。

 

振り返ると親友2人も私含めた3人の親友コミュニティが最も居心地が良いという関係性があります。

 

その2人の場合は最上位条件がその場(土地)においてでも構わないので、それぞれ下宿先の場では別のコミュニティが最上位でも問題はないのですが。

 

ここでは大学内における話なので、他と被ると難しいのだと分析しています。

 

食事、行き帰り、休み時間などを二つのコミュニティバラバラかつ同時には身一つでは無理ですし、「友達の友達」との付き合いがスムーズにいくなら問題ないでしょうが、人見知りには難しいです。

 

次に、授業が本当に面白くなかったです。

 

偏差値的なことが原因なのか授業中にずっと喋り続ける奴は大勢いるし、自由席の場合縦の何席目に座っているかで大概タイプが分かれていますし、化粧したりおかし食べてる奴はいるし、先生は先生で淡々と口を動かすだけのごとくつまらない授業が多いです。

 

これは高校からのトラウマですが、大学でも指名制の授業は割とあるんですよねぇ。

 

特に少人数制であることと語学系の授業に多く見られる傾向があります。

 

本当に嫌になります。

 

周りは友人らと相談したらして解決しているが、自分は自力でやるしかないという状況は想像以上に厳しいです。

 

なおかつ私の場合は先述の通り、そもそも入りたい学部学科ではないので、学びたいと思える内容がほとんどないことは大きな問題です。

 

まとめますと、

1.入りたい大学学部学科ではそもそもなかった

2.学内に気まずい相手・コミュニティがいる

3.自分を含むコミュニティが最上位の相手ができなかった

4.学びたい内容がなく尚且つつまらない

という4点が、少なくとも私にとって通う目的を見失わせ、意欲を削ぐには十分な問題点だったのです。

 

あと、他に言えることがあるとすれば、自由に身を任せ、授業を切ったり大学をサボったりすると後がしんどくなるだけだということ。

 

履修登録期間であっても本格的に授業進める先生は進めてしまうし、暫定的であれ履修希望者でその授業の人数感、席の自由or指定、男女比、先生の感じなど人の話では分からないことを把握する意味でも、出ておいた方が身の為です。

 

また、私なんかは雨の日に学校なんて行きたくない、と休んだりも何度かしていましたが(梅雨の日で髪がぐちゃぐちゃになるのが嫌で、まぁ本当にそういう日は外出すべきではないと思っている節はありますが)、やはりサボりぐせがついてしまうことと挽回がしんどいと感じると諦めがチラつき始めるので良くないのです。

 

配布資料をコピーさせてもらう相手もいないですし、テストの過去問も得られないし、一人で大学生活を送る選択をしたからには通い続けることと普段からの予習復習は他人より重要なことになりますね。

 

(大学は学問を望んでしに行くところなのだからそれは当たり前というのはそれはそうなんですが)

 

改めて言っておきますが、あくまで私のように友人が出来ず部活などのコミュニティにも属さず、ぼっち濃厚な人向けの助言です。

 

そうでない人から見たら言っている意味がわからない点も多いかと思いますが、これは分かる人には分かれば良いのです。

 

あとは、アホなので2/3は出席していれば出席に関しては大丈夫であとで教科書なり読み込んで頑張ればいいという未来の自分に託す的な行動も良くないですね。

 

もちろん頑張れば挽回できるのだと思いますが、初回授業からそれをやるとどのような授業かも分からぬまま6回目の授業で初参加のハードルはめちゃくちゃ高いです。

 

周りにとっての当然が分からない空気感は怖いものです。

 

教室前には行ったものの引き返したことが何度かあります。

 

思い込みというものは恐ろしいのです。

 

周りがどう見ているかは知りようがないし、自分は自分と強く自分を保てるなら別かも知れませんが。

 

このことは流石に親友にも言えてないですね(言う必要もないのかも知れませんが)。

 

「途中から行くのが怖くて…」とは恥ずかしくて…。

 

目立つのが嫌で遅刻するくらいなら休むっていう主義も追い打ちかけますしね。

 

こんな感じでしょうか?

 

批判を避けるための(そんなに読まれるなんて思ってないけど)予防線として言いますが、親のすねかじりとか、社会は厳しいとか、人生舐めてるとか、その通りだと思います。

 

その通りだと思うなら初めから真面目にやれよって話で矛盾しているのかも知れませんが、一番本人が分かっていることだとは思うのですよ。

 

自慢でもなんでもないですが、これでも小中高と無遅刻ほぼ無欠席でちゃんと学校には通っていましたし、不良少年だった過去もありません。

 

中学時代は勉強せず現実逃避していた時もありましたが、高校ではそれなりに真面目に勉強に取り組み、平日は塾通い、休みの日は近所の地域のフットサルクラブで運動と両立し、模試の成績ではクラス1位は何度か取ったこともあります。

 

何が言いたいかと言うと、自分で言うのはなんですが、そういう人間でもこうなりうるということで。

 

大学の担任にも面談で言われましたが、変に真面目を拗らせると大学に通う意味とか、周りの不真面目さへの疑問とか、友人の有無による劣等感とか、高校までの画一的なシステムから解放されると良くも悪くも深く考えたり、迷う子は結構いるとのこと。

 

自分の人生に向き合う時間は増えますね。

 

一概には言えませんが、友達ができると安心感と脱力感から流されてなんとなくで日々が進んでいるだけに見受けられる人も多くいますから、なんとも言えません。

 

ちなみに以上を理由に大学にはあまりまともに通えていない期間の方が長かったのですが、その間家にいてもどこにいても、その罪悪感は付きまといます。

 

バイト先で大学の話題出されると焦ったり、サボった時間でゲームしようがネットサーフィンしようがいずれそのことがバレる日までのしんどさとか、申し訳なさとか。

 

バイトの話が出たので、追記しますと、バイトは学外かつ学内のコミュニティが持てる確率が高いので頑張ってやる方が良いと思います。

 

部活やバイトは本気で取り組むわけでもない限りにおいて階級保存装置と某人が仰っていましたが、それらに属さずコミュニケーションを他人と図り、人間関係を構築できる圧倒的にコミュ力の持ち主とはわけが違うので。

 

技術を換金するのではなく、時間を換金しているうちは現状を変えられないという意味なんだと思いますし、それは正しいと思いますが、大学に入った理由もとりあえず大学だけは出てくれという親の望みだったりしますし、将来どうしたいか、どう生きたいかまで考えられていない今、なかなか取るべき行動は見えてないです。

 

バイトは新歓のある部活に比べハードルが高いかもしれませんが、そこだけは勇気の出しどころかなと。

 

お金で行動範囲が広がるのと学外で居場所が持てるのは大きいです。

 

ちなみに、私は最初に近所の本屋バイトを3ヶ月やり、やめてすぐにハマって通い詰めた飲食店で店長にスカウトされたことで飲食バイトに就いています。

 

辞めたのは期待と違ったからでした。

 

でも、こんなに人見知りな私でも好きな本と本屋という落ち着いた場所だったので応募できましたし、自分の好きなものに関わる場所になら勇気を出せるのではないでしょうか?

 

飲食バイトの方は雰囲気的に私がそこで働いているイメージが持てず断ろうか悩みましたが、結果的に勇気を出して入って良かったと思えています。

 

そこでは同じ大学学部生が2人いて仲も良く話しはよくします。

 

ただ、先述の最上位コミュニティは他に存在する面子なので学内で行動を共にすることはありませんね(学年、学科は別ですし)。

 

家庭教師はコミュ力必要っちゃ必要ですが、年下相手なので(舐めてるとか見下してるという意味ではなく)なんとかなります。

 

解説を読めば理解できる程度の学力と仲が良い相手とは普通に話せる程度の会話能力があれば問題ないです。

 

コミュ障とは言っても親や兄弟、親友とは話せるでしょう。

 

匿名なら、ネットなら流暢にコメントできるというならそれも大丈夫でしょう。

 

今度こそ本当にこれくらいでしょうか?

 

ゴミみたいなプライドが原因なのかもしれません。

 

過去記事のようにヒッチハイク力さえあれば乗り越えられるのだと思います。

 

でも、本人にとってはそんな簡単なことじゃなかったりするもので。

 

あー、もう遅いですが入学前にSNS(主にTwitter)で入学予定者同士のグループができたりしますが、あれは半々ですね。

 

匿名アカウントにしてしまうと情報収集に徹しリアルに繋がることは難しくなる反面、黒歴史とはなりづらくなります。

 

一方、本アカウントとして運営すると、リアルであった時に多少気楽な反面同じようなアカウント運営者は大概ウェイ系だったりするので「TwitterなりLINEで会話したけど、リアルだとあんな感じか」とお互いに開きを感じた時の気まずさがあるのかなと。

 

最後に人見知りでぼっち濃厚な人向けにアドバイスとしてまとめるなら、

1.〜1ヶ月ほどは無理して友達を作ろうと頑張らず、あくまで自然体で(できなかったら一人で頑張る潔さも持つ)

2.出席点の有無に関わらず1年の前期だけでも取り敢えず授業は全て出席すること(当たり前かもしれないけど)

3.SNSは安易にせず慎重に(リプなどは交わさず情報を見るだけなら問題なさそう)

4.バイトとか習い事(私の場合習字教室)、ジムなど学外にも「居場所」があると気が楽(特に下宿生)

かなぁ。

 

また何か思いついたら随時追記しますが。

 

留年が決まり、始まった前期。

 

私の今年のモチベーションはこれまでより高く、なんとか頑張ろうと思えています。

 

恥ずかしながら、大学は研究機関だということもこれまで知らず(そう教わったことがなかったのだけれども)、望んでいない学部学科で学歴もない。

 

だけど、それを自覚したことで大学とは何であり何を目的として私は通うのか。

 

そこを深く考え自分なりの方向性が最近見えてきたことと、将来したいことも見えてきたことで人間関係に関わらず一人でも通おうと思えるだけのモチベーションを持つことができました。

 

まぁ、まだ始まったばかりで、これが継続でき卒業に至れるかは分かりませんが。

 

同じ境遇にいる人はその境遇を誰にも話せなくなることが一番つらいと思います。

 

広い視点で見れば他にも私のように同じような人がいるという事実を知るだけで自己嫌悪のループを多少緩和できるのかなと。

 

馴れ合って傷の舐め合いは良くないでしょうが、解決の手立てを見出せると良いですね。

 

学外で大学生っぽい人が歩いているとなんとなく後ろめたさを感じたり、知り合いに出くわさないか心配になったり、人生そのものを前向きに送れなくなるので最低限単位は落としても、学校にだけは通い続けた方がいいです。

 

それだけは言っておきます。

 

ここまで読んでくださった方がいたらありがとうございました。

 

まぁ、気持ちが分からなかったという方はこういう人も世の中にはいるんだな程度に思っていただければ良いのかなと。

 

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人暮らしが始まった浪人時代からの友人であり、毎日の如く連絡を交わし続けてくれたT氏には感謝が尽きません。

今はバイト先に仲間や生徒がいて自分を認識し、会話をしてくれますが、浪人時代は予備校しか居場所がなく、その場でも例の如く友人がいなかったため(知人は2人できましたが)今以上に人間関係の意味では大変でした。

私は名古屋、T氏は東京と遠距離だったので直接的な人間関係ではなかったわけですが、隠し事なく話せる間柄で、そういう相手がいることと、私の場合は毎日連絡を取り、話を聞いてもらえたことが大きな支えになっていたと思っています。

T氏は志望の大学ではないものの医学部に入学し、なかなか大変な生活のようで、仮に私が志望の医学部に入れていたとしても聞く話では耐えられていたかは分からないですね。

人には居場所が必要で、居場所とはリアルな空間ではなく、自分を認識してくれる存在と共有する・できる時間及び空間(時空?)のことを指すのです。

認識されると錯覚できる(落ち着ける的な)お気に入りの場所に行き時間に浸るのも悪くないと思います(浪人時代は名古屋港水族館によく行っていました)。

実家暮らしだと必ず毎日自分を認識する存在がいるわけですが、下宿生となると話は変わり、大学にもクラスはなく担任とはたまに会う程度でなおかつ人数の多さのあまり把握されているとは限らない。

あとがきで長くなるのは好きじゃないですが、三男の弟は今年高3で受験生ですが、自分と浪人中の二男の弟が実家を離れて以降、引きこもりがちになっているようで。

高校で友人はあまりおらず、休日は専ら寝るかゲーム。

外に連れ出したり遊ぶ自分ら兄弟もいないことでそうなったとのこと。

唯一の楽しみが半年に一度の小学校の頃の友人複数人での泊まり会だそうで(それ以外の日はなかなかみんな忙しく会えていないとのこと、高校生ながら)。

帰省すれば口には出さないものの内弁慶の如くわいわい騒いでゲームなりサッカーなりしたり、冗談を言って笑ったりしています。

でも、多分大学入ったら自分の二の舞になるのだろうなと。

浪人なんて周りと年齢変わるしありえなーい、とか、毎日宿題やるのなんて普通でしょ、とか、学校サボるとか考えられない、なんて小学生のことは考えていたものですが、人生何が起こるか分からないものですね。

私には次はないので、前期4ヶ月ほどは本当に必死に勉強詰めで過ごす気概です。

頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間

書きたいことはたくさん溜まってる気がするけど、ぼんやりとしているかしっかり時間取りながら書きたい内容かで書くに至らないこの頃。

 

また今度そのテーマについては別で書きたいのですが、時間に対する感覚ってものすごく大事ですよね。

 

あくまで定義されている、1日(24時間)とか、1時間とか、10分とか、5分、1分、30秒とか、その辺の単位で考えるとして、体感は比較できないにしても、その人がその時間に対する心持ちが重要なのだろうなと。

f:id:arihuretajinsei:20180407201718j:image

(部屋の時計)

 

今日は21:00からバイト(前もって到着することを考えると20:45)なので、これを書き始めようかと思い立った時点で約1時間という時間を自由に与えられているわけですが、バイト前の準備とか精神的な緊張を言い訳にして、たかだか1,000文字以上を目安としたブログを書くことすら渋っているわけです。

 

さすがに遠ざかりすぎな感覚があることは否めなかったので、天秤にかけて今書いているわけですが、案外書き始めてさえしまえば15分程度のもので。

 

要するに、時間に対する感覚が壊れているというか。

 

そんな自分ですから、あくまで現時点では30分未満の自由時間が仮に与えられても、何もできないしぐーたら寝るか、せいぜいネットサーフィンするかぐらいの行動しか起こさないメンタルです。

 

だから、おそらくやるべき事をリスト化し、それをひとまとめに見るのではなく、細分化して5分単位でそれに関わる何らかの作業はできないかとか、10分あればこれくらいは済ませられそうという感覚まで落とし込まなければいけないのだろうなと。

 

例えば、受験生気分に戻るなら、英語の点数を上げるという目標に対して、さすがにそれでは大雑把でまとまりが大きすぎるので、まずは基礎固め、その中でも今日は英単語、それでも大きいので、1週間、の分量を出し、7で割って1日分、その日のうちにやるべき量の5分、10分なり細々とした自由時間にこなせるよう細分化するみたいな。

 

今日は10ページ分10周目標だから、今は2周しようとか。

 

多分そこまでやらないと、時間がないって言い訳は通用しないのだろうなと気付きました。

 

時間は平等で増やせない以上、細かく刻んで、時間当たりの仕事量を増やすのが現実的な≒時間増量術なのでしょう。

 

今回みたいにある程度頭の中でまとまったテーマだとやはりスマホで書き上げる方が楽ですね。

 

適応して変換されるので、パソコンの不慣れなタイピングかつ変換のイライラもなく快適です。

 

と言えど、それも慣れの範疇なのかもしれませんが。

 

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日は重めのテーマを取り扱う予定です(個人的に)。

早く、検索ワードリストの溜まった分も消化しないといけないし、うわーーー。

嫌なことだと思いたくないので頑張ります。