SO@過去の自分に伝えられるなら

傷つきたくないから探してる/不定期更新/備忘録&日記

積み上げ

1日1本のペースを超え、既に30本近くに達しようとする記事。

 

ほとんどをスマホから書き上げているので画面が狭く、全体を把握しながら1000文字目安を綺麗にまとめることはできていないのですが、それでもそれなりに思考が可視化でき、脳内整理に一役買っているのは大きな事実なのです。

 

あとは、形として残っていることが大きいなと思います。

 

いつもの家庭教師での経験例を挙げると、新規ご家庭にお伺いする度に同じような自己紹介に始まり話をするのって、聞く側は新鮮でも話す側の自分はもちろん飽きる。

 

知名度が高くなり人と会う機会が多くなるにつれ何倍にもなるのだと考えると、思考体系に可視化された形で触れられるというのは効率が良いというか、便利だと思います。

 

常々思うのが、「あの人ならこの時どうするか、どう考えるか?」が理解できるようになった時、その人と自分は同化していると思うのです(どうかしている)。

 

その精度が100%なら完全でしょうけど。

 

でも、役を演じる俳優の方などはその役になりきる為に思考まで成り切ろうとするのではないでしょうか。

 

子供の心理描写として描かれがちな「この場面ヒーローならどうするか?」的な。

 

そういう意味では素晴らしい思考や感性の持ち主ってそれを受け継ぐ後進を育てることが重要なのかなと思います。

 

息子、娘かもしれませんし、職場の後輩かもしれませんし、友達や仲間かもしれません。

 

その人自身である必要より、その人の思考、感性さえ精度が高く取り出せれば、これからの時代それを具現化、行動化するのはロボットでも可能なのかもしれない。

 

それに、後進の人数が多いほどその思考感性が世に広まりやすくなるわけで。

 

その後進から次の後進へと広がり、世全体の常識や風潮になり得るのかも。

 

と、落合陽一さんが学生を育てているということから発想してみたというお話。

 

睡眠時間ぶっ飛ばして具体行動取ってることが原因で番組で観かけても疲れた様子が伺えますし、死んでも思考感性(意思)は受け継がれてるから良いと思っていたりするんじゃないのかな。

 

名前が残るとか度外視で(というよりどうでも良くて)、自分が生を受けている間に自分及びその周辺人類(家族、親戚、友人等)間のみで幸不幸の小さい波が繰り返されるより、全体人類が次へと進化(アップデート)できる担い手(創り手)になれるような生き方は、人生の考え方として面白いなあと思いました。

 

ただ、皆がその思考になるとその世界の享受者がいないような気がしたり。

 

思考が統一化されることは現実的ではないにせよ、自分自身も享受者(消費者)になる一面も持たないと何のためのアップデートという気にはなりそう。

 

と、ボーッとモンハンしながら考えたということでした。

 

ちなみに、クシャルダオラテオ・テスカトルを倒したところまでいきましたよー。

 

それでは。

シャドバとかスプラとか ポケモンの3値とか

レートのようなものが存在するゲームのお話です。

 

ポケモンは一時期、BW2の時が一番育成に関してはやり込んでいたのですが、レートはしてませんでした。

 

なんでって言われると難しいんですが、やり込みに果てが見えなかったからでしょうか。

 

努力値個体値種族値って今では有名な裏数値(?)があるじゃないですか?

 

ネットではよく出回ってますけど、それが正しいかそうでないかという話ではなく、非公式のデータ(数値)を扱わなければ強くはなれないということに納得がいかなかったのです。

 

基礎ポイントとかで表現してますけど、厳密さには欠けるじゃないですか。

 

どこぞの誰かがどうやって知り得たのか公表するデータを参考にするという謎感。

 

戦闘想定の与被ダメージ計算とか(要するに何発で想定敵が倒せるかなど)も便利なツールとかあっても、なんでこんなことしてんだろうみたいな。

 

でも、そういうことも把握してないと勝てないだろうし、他のゲームならタイムアタックなどで結果は出せないのだろうし。

 

だから、「確率的に何が最も最善手か」みたいな思考ゲームに思えて以来、ポケモンはシナリオクリア、把握目的でしか手を出さなくなりました。

 

じゃあ、多少そういう要素はあっても腕次第でカバー可能なマリオカートスマブラスプラトゥーンはどうかと言うと、マリオカートは何だかんだイケても飽きが早く、スマブラは圧倒的に試行回数足りず、スプラはせいぜいA+止まり。

 

他はともかく、スプラがA+止まりは(運要素が多分にあれど)相当だと思いますし、さすがにこれらは言い訳なんだと思います。

 

シャドバはポケモン寄りかなぁ。

 

でも、一応2ヶ月ほどでマスター帯には上がれました。

 

構築済みデッキにだけ課金はしましたが。

 

それでもグラマスは遥か遠いし、うーん、センスがないのかなぁ。

 

ただただプレイしてるだけではダメでそれを補う知識を入れるほどは熱量がなかったりと、中途半端なんですよね。

 

何か一つでもゲームで極めてみたいという気持ちはあるんですけど、何か良いものありませんかね。

 

リアル友達間ではそれなりに上位に位置づけられるんですけども、やり込みかなあ。

 

極めるっていっても基準は曖昧で、ポケモンならレート2000とか、スプラならS+とか、シャドバはグラマスとか、そういう位置です。

 

太鼓の達人も難しいはイケても、鬼はどれもできなかったしな〜。

 

ゲームの満足点はどこに置いているでしょうか?

 

四天王チャンピオン倒してレベル100が一体でもいたら大満足だったあの頃には戻れない。

 

そんな深刻でもないけど(笑)

 

それでは。

つまるところヒッチハイク力?

何かを変えるには特別な力は必要ない。

 

才能も、お金も、容姿も、学歴も。

 

その身だけがあればできてしまう、要するにしようと思えば誰でもできる「ヒッチハイク」をやれるかどうかって人を二分する気がしています。

 

言い換えるとコミュニケーション能力、勇気、度胸になるのかな。

 

これまでの経験に置き換えると、授業で手を上げられるかどうか、特定のグループ以外とも交流できるかどうか、疑問点を教師に質問しにいけるかどうか、みたいなことだと思います。

 

どれも、しなくても次には進めるし、わざわざ恥をかく可能性や、目立って注目を集める可能性があることを積極的にやろうとはなかなか思いませんよね。

 

私も授業で自ら手を挙げることはおろか当てられて答えさせられるのも嫌でしたし、いつものグループメンバー内でぬくぬくしてましたし、学校や塾でも教師には聞かず、家庭教師の先生か分かる友達に聞いて解消していました。

 

でも、最近思うのは、そういうことをやってしまえる人間には敵わないなぁということ。

 

悪いとか悪くないとかじゃなくて。

 

人と変わっていることを恥じらうことなくできてしまうのだから、行動力に制限がないわけです。

 

蔑んで見ていた、客観視できずただただ馬鹿騒ぎしたり、非常識な行動をして他人に迷惑をかけたりするのとは全く別で。

 

お金を払えば楽に時間も掛けず目的地にたどり着けたとしても、敢えて変に見られることを厭わずヒッチハイクできたり、時間かけて調べれば分かるだろうけど、すぐ近くにいる見知らぬ人に道を尋ねたり、システムを聞いたりの声かけができたり。

 

レベルを下げて、街でのティッシュ配り、チラシ配りも勇気いりますよね。

 

不要な人からすれば声掛けされて迷惑ですし、応対も面倒で邪魔だと思われて仕方のない仕事ですもん。

 

私も駅の近くでよく遭遇しますがティッシュは不要でスッと通りたいのに、あちらは配るのが仕事なのでこちらの存在を確認すると距離を詰めて目の前に差し出してくるわけです。

 

受け取っても邪魔ですし、受け取らなかったら受け取らなかったで悪くもないのに罪悪感が生じるので無下に通り過ぎるでもなく、必然的に断りの言葉や会釈をしますが、そういうことを考えないといけなくなっている時点でもう面倒くさい存在です。

 

最終的には慣れなのでしょうけれど、精神が磨り減りそうでやりたくないですね。

 

ヒッチハイクもしたくないし、授業で発表なんてしたくないし、なるべく後ろの席で目立たずに受けていたいし、分からないことがあって時間がかかったとしても検索して済ませ見知らぬ人に聞きたくはないし…。

 

これがプライドの殻に閉じこもってるってことなんでしょうか?

 

気にされてなかったとしても気にしちゃうよ、人目を。

 

「誰もお前のことなんて気にしてないし、人は自分のことで頭がいっぱい」が事実だろうと、その言葉だけで変われたらどんなに楽か。

 

自信をつけるのと同じプロセスで、小さなことから少しずつ積み上げていくしかないのかな。

 

強制的にやらされるのが効果的なのかな。

 

ヒッチハイクできるし、人の家泊まったりの交渉も難なくできるし、世界をコミュ力で渡ってきました的なブロガーとかを見て憧れるかというとそういうわけではないですが、凄いなとは思いますね。

 

人と違っていることをアイデンティティーとして発信するのとはまた別なので。

 

大は小を兼ねる的に彼らは自分のような人生にいつでも変われるでしょうが、私はすぐに彼らのような生き方はできないので。

 

「金は無くともコミュ力で助け合い生きていける、でもいざとなれば金なんて幾らでも稼げるけどしたくないからしてないだけ」というのと「金は稼げても金がないと何もできない」のは大違いです。

 

受動的か能動的か。

 

友達作れるけど敢えて1人なのか、友達作れないから1人にならざるを得ないのか、的な。

 

皆さんはヒッチハイクできるでしょうか?

史上初センター満点と学歴コンプレックス・田舎コンプレックス

数日前にTwitterなどで話題になっていましたね。

 

理科I類に出願者の中にセンター試験満点がいると。

 

凄いですよね。

 

一科目でも満点取るのは容易ではない中で全科目ですからねえ。

 

全てこれは把握していると解いたのか、一部悩むけどこちらにしてみたというものが合っていての満点なのか。

 

でも、正直あんまりそこに興味はなくてですね。

 

足切りラインの画像見ると毎年ですが出願者最高点は800後半の880〜890点。

 

満点がいかに難しいかは誰しも想像に難くないはずですが、そのような点数帯には毎年のように何人もいるということに強い、圧倒的敗北感、劣等感を覚えるのです。

 

私の地元は田舎ですから、県内一番の進学校でも今考えればたかが知れてるわけですよ(ちなみに私は落ちて滑り止め校に進みましたが)。

 

毎年、数人数十人受かる程度。

 

県全体の東大合格者割合の8〜9割はその一校で占めてるのではないでしょうか。

 

当事者でもないのに偉そうに語って申し訳ないですが、田舎から頑張って受かるのと毎年800後半取る生徒が複数人排出されるのが決まってて受かるのとでは大きな差をそこに感じるのです。

 

本人が東大受ける受けない受かる受からないに関わらずそういうのが普通な環境に身を開けている時点で思考回路が違ってそうです。

 

田舎と都会という対比をそこに見るというか。

 

私は学歴コンプレックス以前に田舎コンプレックスも抱いておりました。

 

「受験なんざただのテクニックと練習の積み重ねであり非本質だ」というお偉い方の意見はよく耳にしますし最もだと思いますけど、学歴問わず何らかの形で世に結果を残している人たちって実際、受験させたら高得点取れるだろうし、いわゆる高学歴入学レベルにはあるのでしょ?と。

 

大学入学というプロセスを経たか経ていないかのお話であって、実際受験を通り道だとすると、通る以外の道を知らない私なんかは同じ道を通る高いレベルの人を見て劣等感抱きますよねと。

 

だから、もはやその大学に受かったという結果もそうだけど、そういう所に難なく(努力はあっても)入る環境に身を置けていた事実自体にも敵わなさを感じます。

 

よく似たコンプ持ちの知人と話すのが、東大文Ⅰ、理Ⅲは別としても、その他科類名より有名進学校(灘、開成、筑駒、ラサール等)の方が響きが強いよな、と。

 

合格者枠の数的に必然なのですが。

 

学校名もそうとして、ずば抜けたような人間が集う場所で、そういう生徒を指導できるレベルの教師が揃い、情報も人間関係も環境が整ってて別次元だなぁと。

 

「今のご時世ネットなりなんなり整ってるんだから街の都会性とは関係なく自分のやる気次第でしょ」というのも最もだけど、当たり前として平然と情報が揃ってる環境があるってのは別格だと思います。

 

そんな風になんでも自分のやる気で解決できる人が学歴いらずでなんでもやっちゃえる人なのだろうし。

 

そうなれたらそりゃ良いけど。

 

地元の一番手の高校じゃ全体の人数に対して合格者枠が多いため見合っていない人が運で合格することも多く、同じ塾に通っていたその高校の生徒が自分より学力的に劣っているとみられる場面は何度もありました。

 

それでも、その高校に通う友人と塾の帰り道に職質されても「○○高校の生徒さん⁉︎こんな時間までご苦労だね〜。」というような免罪符になってたりする現状。

 

例えばプロサッカー選手がいたとして、それを知ると「サッカーが上手いんだな」とだけ認識しますけど、高学歴保持者だと知ると「勉強できて頭が良くて誠実なんだろうな」というように付加価値が多い気がするのです(客観的に)。

 

勉強って大人になってから意味が理解できたり、楽しさに気付くものですが、論理的思考が追いついていない年齢の小学生などには教えても難しいことが多いですよね。

 

言葉を噛み砕いても理解力の問題なので、大人と子供に同じ分野(例:算数の割合)を教えても結果が違いますし。

 

実際、家庭教師先のお母様は、「子供の時は割合とかサッパリで苦手だったけど、この歳にもなればどちらをどちらで割るかは感覚的に分かるようになったし、子供だから分からないことってあるのよね」と。

 

でも、その辺の年齢から積み上げているものが多いほど後の人生の効率が良いし、人生の密度が取り返しの効かないレベルでついてんのかなぁと思って勝手に絶望したりもします。

 

田舎だからと休みの日は外で遊ぶなんてのはせいぜい小学生くらいでしょう。

 

田舎人だってゲーム好きですよ。

 

田舎でしかできないことをしたりせず、田舎特有のメリットを享受する生活でもなく、精神的に都会への憧れを抱いている。

 

田舎の良さで取り上げられる自然との共生みたいなものって田舎の中の田舎だけじゃないですかね?

 

山や海で日頃から遊びまわるなんてないない。

 

街の目指す形は利便性が高いことなのだから、毎日のようにどこかで工事が行われ都会化していってますよ。

 

帰省のたびに新しい建物できてますもん。

 

でも、本都会に比べ圧倒的に人もお金も足りないから、徐々に徐々にしか進化できない。

 

お小遣いが与えられる中学、高校生が遊ぶ場所なんて近くのショッピングモールだけ。

 

することがなくてもそこに行くしかないみたいになってましたし、今の学生もそう。

 

そりゃ都会に進学、就職しますよ。

 

田舎にいても利用するのは田舎の中の都会部分なのだから。

 

利用するときだけで十分で住まいは静かで広いところが良いということであればアクセスの良い田舎に住むのはありかもしれませんがね。

 

都会人が使いこなすシステムや概念を後に知り驚き憧れる田舎人の構図が車輪の再発明感あるんですよ。

 

話は戻って、学びがあるとすれば、何らかの突出した能力があれば同じ水準にいる人との横のつながりは持てるのかなと。

 

たとえ田舎育ちでも東大行ければ灘なり開成なりの人たちと繋がりは持てるわけですから。

 

他には例えばお笑い芸人として売れれば、番組で俳優やタレントなどのいわゆる一流芸能人やスポーツ選手などと交流を持てたり、別分野のトップと関われるわけで。

 

勉強と同じで、そういう突出した何かを早く持たないとその後の人生への影響力が時間ごとに小さくなっていってしまいますよね。

 

私に何かあるとすれば習い事で通っている習字ですかね?

 

となると、目指すべきは武田双雲(さん)?

 

早くコンプレックスから解放されたい。

 

そんな感じで悩んでいる日々の思いでした。

私とスピッツ

出会いは小6の頃。

 

当時、サッカー漬けの日々を過ごしており、春に毎年ある遠征で行く大会の帰り道、友達の母親に乗せていただいた車内で流れていた時でした。

 

今でもはっきりと覚えています。

 

他の曲名は全く記憶にもないですが、複数のアーティストを含めたオリジナルアルバムが流れていた中、一曲だけ物凄く聴き心地が良いこと。

 

帰るまでの2時間の中で3、4回は流れたのではないでしょうか。

 

しかし、当時の私にはなんの知識もない。

 

母親や親戚がハマっていたORANGE RANGEくらいしかアーティストを知らないような時代。

 

その時はそれで終わってしまいました。

 

しかし、どれほど時間が空いたか覚えていませんが、CMからあの曲が聞こえるではありませんか!

 

扉を開け、明るい空間へ飛び出し、車で走るという内容。

 

そうです、曲名は「ルキンフォー」です。

 

無知ながら名前は知っていましたが、かといって小学生、しかも10年ほども前にでは、パソコンを使うか使わない程度の時代。

 

スマホも携帯もなければ、音楽に疎いのですから音楽プレーヤーもありません。

 

そして、中学生になり、まだまだ音楽に疎い私は中学校以上のサッカー部に見られるチャラさ満載のグループと交流があったので(中学もサッカー部に入部したため)、そこでGReeeeNを筆頭に音楽について多少知りました。

 

「いま世間ではこんな音楽が流行ってるらしく、自分は取り残されているよ」と母親に話したところ、その年のクリスマスプレゼントはGReeeeNの「いままでのA面、B面ですと⁉︎」でした。

 

その頃、毎朝NHKの英語講座のようなものを聞くためにCDプレーヤー(?)を与えられていたため、ひたすら聴いていました。

 

時は流れ、ゲームをそれまで買ってもらえなかった私が中2にして初めて、お年玉を行使することでPSPを買うことを許可され、今で言うWi-Fiのようなネットに接続できる「〜スポット」を探し当てれば、それ経由で音楽や動画を検索できると聞きやっていました。

 

当時、Wi-Fiなんて知りませんし、ネットにもパソコンにも詳しくありませんから原理は分からずとも方法さえ分かれば良かったのです。

 

色々な道路を歩き回り、特定の場所でネットが繋がり、それを頼りにネット検索や音楽を聞いたりしていました。

 

その時に何でも聴きたい音楽は全て選べるわけでもなく、数自体は少なかったです。

 

しかも、曲名やアーティスト名もほとんど知らないので、実際に検索かけたのはGReeeeNスピッツくらい。

 

何も知らず、スピッツ曲で発見できたのは「空も飛べるはず」、「春の歌」、「8823」の3曲だけでした。

 

でも、やっぱりどれも心地よい。

 

他に聴く音楽もろくにないので死ぬほどリピートしていたと思います。

 

やっぱりスピッツ好きだな、とそこで確信しました。

 

面白いのが、「8823」だけはテイストが違うので、別のアーティストの曲なんじゃないかと疑っていたこと。

 

「でも歌詞は良いし、声も同じような感じはするけど…」って思ってましたね(笑)

 

パソコンも家にあったのですが、親が使うものという印象を抱いていましたし、下手に触って変になっても困ると思っていたのですあまり使ってはいませんでした。

 

その後、ブリジストンのタイヤのCMで「幻のドラゴン」、化粧品のCMで「シロクマ」、ランチパックのCMで「えにし」を聴きました。

 

確か中3くらい。

 

スピッツだと分かるのに、曲名が分からなかったので頑張って不慣れなパソコンでYahoo!知恵袋で質問したことも覚えています。

 

高校生になり、YouTubeの動画がゲーム機に入れられるとなり、スピッツの公式PVは全て入れました。

 

その影響か、PV曲に対する熱意は強いんですが、それ以外がなかなか踏み込めない何かがあります。

 

それでも、PV数ですらだいぶ多いのに、その曲はほとんど好きですし、いわゆる駄曲なるものがほとんどないと思っています。

 

高1後期になりiPod touch第四世代を購入してから、まともにゲオなどでCDを借りてしっかりと認知した感じです。

 

「とげまる」の通しの良さ。

 

そこら辺の時期にはSNSスピッツファンを自称して交流などもしてました。

 

そこでスピッツベルゲンなるものを知ったり、ファンクラブを知り入ろうとしたら親に拒否されたり。

 

そして流れて今に至ります。

 

ぶっちゃけ、最近はあまり聴いていません。

 

聴き込みすぎてわざわざ聴こうと思ったりしないレベルに達してしまったというか、他のアーティストを聴き込むことに時間を使うことが多いです。

 

良く言えば殿堂入り、悪く言えば飽きが来た(正確な表現ではない)、ということでしょうか。

 

自分の意思で聴くのには体力使う感覚があるのです。

 

逆に言えば、街で流れていたとか、お店で流れていたとか、BGMで流れていたとか不意に聴いた場合には嬉しい気持ちになり興奮します。

 

1人だと、もはや聴かずとも脳内再生余裕なのだから、外部からも音楽として流すのはいいかな的な。

 

とか言って、まだまだ聴き込めていない曲はあります。

 

でも、先述した通りPV曲のテイストが好みなので、初期の頃に手を出すのが億劫になっている感じです。

 

好みというかPV曲でスピッツ感が強く形成されたとでも言いましょうか。

 

それでも、コアなスピッツファンの人はみんな初期の曲を挙げたりしてるしな〜、とかあのアルバム以来商業的になった〜、あの人が携わってから〜とかいう意見を目にしたり思ったりすると、自分のにわか(?)加減を自認して烏滸がましい気持ちになっていました。

 

一番好きだと自称するのに他な人より知識も足りてないし、熱量が低いのかなぁと悩んだり。

 

今回は「リスクをとる」というブログの裏目標遂行のため、このような形で話しています。

 

ライブに行ったこともなければ、アルバム全部所持しているわけでもなく、グッズもなく、全曲把握しているわけでも、ファンクラブにもまだ入っていない程度のファンです。

 

自虐してもアレなので、好きなアルバムと曲紹介にしましょう。

 

一番好きなアルバムは難しいですけど「さざなみCD」です。

 

曲はさすがに選びきれないので

・ルキンフォー

・正夢

・桃

・渚

・ハネモノ

・ロビンソン

・春の歌

は別格としておきます(気分によって変動するのでお許しを)。

 

好きな曲という括りでは書ききれませんが、リピート率の高さで挙げると

・フェイクファー

・夜を駆ける

・さわって・変わって

・ミカンズのテーマ

ババロア

・ガーベラ

・野生のポルカ

スターゲイザー

・裸のままで

・メモリーズ・カスタム

・不思議

・漣

・醒めない

・ヒビスクス

・ありふれた人生

・ワタリ

・幻のドラゴン

君は太陽

・8823

・たまご

ラズベリー

くらいですかね…。

 

繰り返しますが、好きな曲はもっとあります。

 

そういえば、過去にスピッツファンの方と交流して思ったのは、みんな良い人ということ。

 

純粋な人が多い印象です。

 

それがプレッシャーになって悪い人にはなれないなと思いました(笑)

 

年齢層も広いですよね。

 

なんて言うのか、おじいちゃんおばあちゃん層にもウケるって物凄く大切なことだと思うのですよ。

 

悪口ではないですが、紅白のような幅広い年齢層が視聴する音楽番組でいかにも若者向けなアーティストや名前からしてよく分からんみたいなアーティストが出ているとそういう層に対し申し訳ない気持ちや恥ずかしい気持ちになってしまう感覚が私はあるのです。

 

逆も然り、ど直球な演歌などは子供受け良くないだろうなぁとか。

 

勿論、音楽も対象年齢幅がありますから、みんながみんな全年齢対象にしろとは思ってません。

 

私が好きなFear,and Loathing in Las Vegasとか高年齢には厳しいと分かりますし。

 

だからこそ、誰もが男女年齢問わず共感できる音楽(人によっては無難と呼ぶのかもしれない)であるスピッツが一番好きなことが誇りでもあるのです。

 

いつぞやにバイト先の店長が「HALCALI(女性2人のアーティスト名)みたいな茶髪にしたり、オシャレしたりするけど、どこか柔らかさがあって、おばあちゃんおじいちゃんのような年齢の人たちに受け入れて応援してもらえるような距離感の人の店をいつか作りたい」と言っていた時に腑に落ちました。

 

AKB48が好きでも良いよ(中3の時3ヶ月だけハマってた)、EXILEが好きでも良いよ、UVERworldが好きでも良いよ(実際、今も何曲か聴いてる)。

 

ただ、ゴリゴリにそこだけ見たり聴いたりしてるともったいない気はするかなと。

 

私もまだまだ狭いですし、洋楽とかそっち系は未開拓なので言えた立場じゃないですが、同世代、同級生の感じを見てるとそうかなとね。

 

さて、いざ何がどう具体的に良くてあなたは「スピッツ」が好きなの?と聞かれるとどうなんでしょうね。

 

抽象化して説明も良いですが、唯一はっきり分かるのは、先ほど挙げた個別具体的な曲そのものをそれぞれ聴けば言わんとすること分かるということですかね。

 

と言うと逃げになるので…、うーん、聴き心地の良いメロディーに率直(安直)過ぎず、難解(複雑)過ぎない美しい比喩の含まれた歌詞というバランス感覚が独自の魅力であるということになるのかと。

 

それが普通と言えば普通ですが、普段流れているものを意識せず耳にする程度では歌詞は頭に入らずメロディーが優先されるので、そこにスピッツが流れると聴き心地の良さ(変化量が少ない?)だけが印象に残り、「王道すぎてつまらない」という評価になり得るのかと(知り合いにそう言われた経験がある)。

 

悪くないけど、そういう層が耳にするのは「空も飛べるはず」、「チェリー」、「ロビンソン」、「楓」辺りなので、分からなくもないですが。

 

分かる人には分かるという現状に不満はないですし、問題はないですけど、好きなアーティストをそう解釈されて終わらされるのはもったいないと思ってしまう自分もいます。

 

当時、遠距離の彼女さんとお付き合いさせていただいていたことと重なり、渚の「囁く冗談でいつも 繋がりを信じていた 砂漠が遠く見えそうな時も」の歌詞の深みに気付いた時は驚きました。

 

人によって曲の評価基準が違うのでアレですが、自分は歌詞とメロディーの2つを評価軸としています。

 

歌詞だけならポエムで良いし、メロディーだけなら歌詞は要らないし。

 

専門的な部分は全く知りません、分かりません。

 

ギターやベース、ドラムの技術も高いとは聞いても分かってませんし、うん。

 

理論はさておき、現象が本質ですから、曲が好きでさえあれば良いでしょう!

 

 歌詞の深みって逆に意識し過ぎて聴くとダメな気もします。

 

いつも何気なく聴いていた中でふと気づくことの方が多く、印象に残りますよね。

 

 そんな感じでしょうか。

 

気付けばこの時点で5000文字手前で、どうせ後から「あれ書き忘れた」とか思うのでしょうが、なかなか疲れたので何かあれば編集して付け加えるかまた別の記事で書こうかな。

 

何故その曲が好きかとかは、良いと思ったからであって、理由は全て後付けになるような。

 

あーでも、曲によって重量級、中量級、軽量級みたいな感覚はありますね。

 

正夢、ハネモノ、ロビンソンとかは重量級。

インディゴ地平線、不思議、醒めないは中量級。

君は太陽、メモリーズ、運命の人は軽量級。

 

みたいな。

 

心境に応じて変動はありますが、サラッと聴けるかしっとり聴くか程度の差ですけどね。

 

別格曲は重量級が多いので別格だからとあの曲ばかりを聴いているとしんどさも出てくるので、中量級、軽量級も挟みたくなるのがミソですよね。

 

言うまでもなく、総じて好きです。

 

確か全てのアルバムはiTunesに取り込み済みなはずなので、初期(だけでもないですけど)の頃のオススメ曲とか良い聴き方、魅力とかコメントで教えていただけると嬉しいですね。

 

・オーロラになれなかったひとのために

スピッツ

・色色衣

・名前をつけてやる

・惑星のかけら

・Crispy!

辺りがまだまだ未開拓です…。

 

魔女旅に出る夢追い虫スターゲイザー、メモリーズ、夏の魔物ヒバリのこころ、裸のままで、君が思い出になる前に、夢じゃない辺りは把握してます。

 

これまでも、これからも一番好きなアーティストであることは変わらないと思います。

 

また今度語りますが、好きであることを誇りに、そして恥じることのない人生を送れるよう精進したいと思います。

 

それでは。

 

 

 

 

春日(さん)のセンター結果発表と企画について思うこと

ついに発表されましたね。

 

あの番組内としては薄く短い企画でしたが、東大受験のネームバリューから番組外では自分含め話題になっていました。

 

448/900点

 

現代文92点は凄いとして、他はどうなのかな。

 

東大合格請負人だとか、あの人には結果論としてデメリットになってしまった感ありますよね。

 

名前は売れても結果出せてないやん的な。

 

東大合格は奇跡でもその一歩手前まではと思いきや、現代文以外は壊滅。

 

それも指導の結果というよりは地力でしょう。

 

古文漢文は解けてませんでしたし。

 

私は勉強法マニアなので色々な勉強法に関する本や情報を集めているのですが、あの方が出している「偏差値35の野球バカでも東大なら受かる勉強法」という本を持っており、存在は知っていましたが。

 

中途半端に「数ヶ月で3年分の内容を終えたのでいけるかもしれません」とか言わない方が良かったんじゃなかろうか。

 

ざっと進めただけで、解けてないやんと。

 

まぁそれがあの与えられた時間では当たり前どころか、80点UPは頑張ったんじゃないですかね。

 

春日(さん)にはメリットあったのかな?

 

番組内での企画の扱いは薄かったですし、名前はすでに売れているし、勉強したことは無駄にならないとしても多忙な中に詰め込むほどのものでは本来ないですし。

 

それより、今後の方針、展開が発表されていなかったのでそっちの方が気になりますが。

 

他大学受験はないんじゃないかなぁ。

 

東大なら入る価値もあっただろうけど、448点で受かる大学に日大卒が入り直す価値はないでしょう。

 

学歴厨ではないですが。

 

来年度も受験予想してましたが、多忙ぶりを考えるとそれも厳しいのかな。

 

完全に忘れてましたが、企画倒れ防止要員にちゃんと名前を売りたい高学歴な若手3人もいるんですよね。

 

慶応現役生、慶応卒、早稲田卒の3人。

 

3人中既卒2人が足切り突破とのこと。

 

東大合格の企画は来年じゃなくこの2人に賭けられた感じですかね。

 

個人的には、色々あって早稲田卒の五十嵐さんには頑張ってもらいたいです。

 

まぁ、この結果から世間一般は「やっぱり普通の人が少し頑張った程度では到底及ばないくらい東大って凄いんだな」という解釈をするのかな。

 

最近の東大生を取り扱うブームというか風潮と組み合わさって、やっぱりあの人達は努力ももちろんのこと才能があって別次元の人達だと思われるのだろうなぁ。

 

毎度送り迎えをしていただいている家庭教師先のお母様も同じようなことお話しなさってましたし。

 

雑魚な私がこのような書き方をしても嫉妬にしかならないのでアレですが、指導する立場としてはやりさえすればそんなことはないんだけど…、という感じ。

 

何らかの形でやればできるを体現し証明して説得力持たないといけませんね。

 

そういえば、Twitterで田村淳が受験の技術、裏技教わったとかって記事に代ゼミの荻野さんがダメ出ししてたのは笑いました。

 

普通に人として好きですし、頑張ってて凄いと思うので、春日(さん)にはお疲れ様と言いたいですね。

 

そんな感じです。

パソコンから初投稿

私はもっぱらスマホ人間なのでパソコンを日頃使わないのですが、なんとなくでパソコンからはてなブログを開いてみたらビックリ。

 

もはや別物感ありますね、良い意味で。

 

その一方、不慣れなキーボード打ちに苦戦しています。

 

たまに、「若者がパソコンを扱えない時代が来ました」なんて記事を見かけますが、まさに私のこと。

 

そういう記事へのコメント欄見ると、「そんな大げさな」とか「周りじゃ見かけない」とか否定的なものが多くて戸惑っています。

 

学校の授業で習おうが、普段使いもしない機械の操作に慣れるもクソもなくないか?というのが本音で、未だに学校のレポートをパソコンで製作することに対し苦手感あります。

 

スマホタブレットのように直接触れて操作する方が楽じゃないですか?

 

画面が小さく扱いにくさもあるかもしれませんが。

 

キーボードの変換も探すのが手間で好きじゃないです。

 

でも、今回のようにパソコン専用の機能などが他のサイト(?)にも存在しているのだとしたら早急に慣れなければなりませんね!

 

早速、パソコンならではの機能としてアクセス解析でアクセス元を知ることができました。

 

トップページ58%、キーワード23%Yahoo!検索11%だそうです。

 

その内訳もほとんどがスピッツ関連ぽい。

 

このことから、人に読まれるためにはキーワードを設定し、そのことに関し書いた方が良いみたいですね。

 

日常を書くより。

 

スタイルを変えるつもりはありませんが、もう少し練って書くようにはしようかなと。

 

次の記事くらいでそろそろスピッツについて語ろうかと思います。

 

言語化したことがないので何も上手く表現できないと思いますし、ガチ勢には遠く及びませんが。

 

それでは。

 

 

色つけたり、太字にしたり、試験的にしてみました。