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傷つきたくないから探してる/不定期更新/備忘録&日記

ジョジョ(アニメ)観たから感想

インプットしたからアウトプット!!

 

とりあえず5部の数話まで観ました。

 

あぁ、前もって言っておくとネタバレアリの感想になるので、まだご視聴前の方、自分で観ようと思っている方はこの先を読むのはご遠慮ください。

書きまーす。

 

まずは、画風って言うんですかね?

 

ジョジョにだけ見られる特徴ある絵柄って、少なくとも自分の中では5部から始まったんだ〜、って言うのが少し驚きでした。

 

なんか、ジョジョにおける未読者時点での印象って画風、スタンド、ジョジョ立ちの3つが主だと思うんですよね。

 

スタンドとかジョジョ立ちっていうのはネタとして各所で目にする耳にする機会があり、画風は知らない人はいないんじゃないかな。

 

ただ、特徴ある画風が故に、そこを理由に敬遠されてるイメージがあるのも事実で、実際自分もそうでした。

 

また、何部であるか(他の本で言うところの何章に当たる)によってタイトル自体も変わっている影響も大きくて、何が何やら漫画の常識を逸脱してる感じ、得体の知れなさがマイナスに作用してたなぁと思います。

 

知った今となっては大したことじゃないし、むしろそれが味でありアイデンティティだと言えますが。

 

一番好きな部は、最初に観たこともあってか4部の「ダイヤモンドは砕けない」ですかね。

 

クレイジーダイヤモンド だの、ダイヤモンドは砕けないだの、耳にはしたことある単語ですけど、普通に聞いたら意味わかんないじゃないですか。

 

どうやったらキャラ名がクレイジーダイヤモンド になり、部名(章名)がダイヤモンドは砕けないになるのかって話で(起源は音楽バンドからだとかなんとか)。

 

文章かと思えば3部はスターダストクルセイダーズ だったりで…???

 

4部が最初見だったおかげか、ジョジョの世界観が杜王町の大きさで定義されたくらいが丁度いい具合でしたね。

 

癖はありながらも敵だったのがなんだかんだで知り合いになったり、良い具合に能力が生かせる場面があったり。

 

4部から観始めると承太郎が素晴らしい人格者に見えるのも面白かったですね(笑)

 

ただ、老いぼれなジョセフの過去を2部、3部と知るに連れて少し報われないなぁという気持ちになったり。

 

その祖父であるジョナサンとかもう不遇としか言えない人生。

 

DIOと関わってからというもの、幸福な時間がないのホント報われねえなぁって少し悲しくなりました。

 

まさか結婚旅行(ハネムーン?)中にまで現れて、尚且つ死闘を繰り広げ、尚且つ肉体をうばわれるとか。

 

波紋てなんだよ波紋て(笑)

 

3部じゃ亡き者にされてるやんか。

 

スタンドに舵を切ったからこそ今がある気もするし、波紋という初期からの重要な鍵が自然消滅するのは悲しいというか、なんというか。

 

2部にして既に不老不死の最強生物との闘いを描いてしまったせいで、3部の世界を統べる王的なDIOのスケールが霞んだ気もするし、部毎に話がガラリと変わる形式の難しさを感じますね。

 

それにしてもカーズのあの最期のシーン、不老不死の唯一のデメリットである状況によっては死なないことが最大の辛さに転じるのは既視感があり、何度観ても胸が締め付けられるなぁと。

 

ジョジョ以外の何か別の漫画をアニメ化した作品でも同じような表現を幼き頃に観て考えさせられた記憶があるのと、MOTHR3のアレとか(ネタバレギリ回避?)。

 

「考えるのをやめた」…。

 

あと、これは時代が進んで今読んでいるが故の結果論かも知れないですけど、展開の進み方としての

この能力をらくらえー!

くらった!だが、仕掛けてある!

なにぃ!?でもこっちだって無駄な動きはしてないし、こんなこともできちゃうんだぜ?

ぐあぁー

みたいに、仕掛けた→でも実はこうで→こっちも実はこうで→またまたこうで…、っていう裏のかき合い、やられた風な雰囲気出しておいて「いや実はぁ!!」的な展開がほとんど全てそれは少し飽き飽きしちゃったかなぁと。

 

それと3部とかは初めから最期まで多くの敵と闘いましたけど、誰に対しても苦戦していたし(まぁそれは仕方ないにしても)、ポケモンでいうレベルが上がる、習熟度があることがなく、常にその場その場を新たな発想と運で乗り切る感じが、観ててパターン化されてしまって面倒くさくなったのはありました。

 

ドラゴンボールみたいに果てなく強くなるのもそれはそれでアレですし、何かのインタビュー記事読んだところ、「時代としてそういう勝ち上がり方式が時代の風潮だったので変えたくて」みたいに作者が語っていたので、時代性も加味すると新鮮で良かったのかなぁとかももちろん思いますけど。

 

思いついたことを箇条書きしてる形になってて読みづらかったらすみません。

 

そういえば、スタンドはタロットカードの〜でみたいな設定とかもなんだったんですかね?

 

新部への繋ぎとして弓矢を創ったんだと思いますが、3部の設定が否定されるような…。

 

一応、伏線として承太郎がザ・ワールドを見て「同じタイプのスタンドか」と言い放っていたとは言え、それが時を止める(時を超えた速さで動く)能力をスタープラチナも持っているのは「うーん、主人公補正が強過ぎるし、かと言ってそれ以外で勝てそうもないし」っていう。

 

6角形のパラメーターの数値を足し算するとどのスタンドも一定値を取るとかなら良いんですけど、理不尽な強さはなぁ。

 

スタンド主の素養の影響はそりゃあるでしょうけど。

 

ちなみに、今のところ一番好きなキャラはありきたりでしょうが、承太郎です。

 

問答無用で強くてカッコいい。

 

195cmになりたいと切に思うほど嫉妬しますね。

 

他は岸部露伴とかワムウとか(ミーハーか)。

 

ジョセフがなぁ。

 

吸血鬼や最強生物やDIOの対極としてなのか、老いの表現として3部では足手まといな場面や4部での無能感とかは観てて辛かったかなぁ。

 

小出しに面影を感じる場面はありましたけど、ぱっと見がジョセフ感ないのもアレで、一人称がワシとか、声が別人とか。

 

それでも3部の仲間感と冒険感は一番良かったですけどね。

 

初見アブドゥルの絶対すぐに死ぬ感と花京院のかませ犬感は凄かったですけどね。

 

そんな感じかなぁ。

 

あっ、あと、HUNTER×HUNTERとの類似点は結構あったかなぁと。

 

パクリどうのこうのって意味じゃないですけど、こういうところは影響受けたりしてるのかなぁとかそういう見方はしてました。

 

てか、スタンドと念ってぶっちゃけ同じじゃないですか。

 

HUNTER×HUNTERの方が好きですけど。

 

でも、お互いに話の辻褄を合わせるために都合よく能力を設定してる感(元々創ったものをその場その時に適応させるというより)がたまにあったりすると、うーんっていうのはありますね。

 

最近のHUNTER×HUNTERは初出の念能力者が増えすぎで覚えきれてないですし、難解になるほど読むのが億劫感は否めないですかね。

 

あーあと書き忘れてたのは、色んな所で使われてる元ネタが判明したのは面白かったです。

 

「そこに痺れる憧れる」とか「無駄無駄無駄」とか。

 

そんなかんじです。

 

ざっとした箇条書きアウトプットって感じです。

 

まとめられるほど繰り返して観てないですし、観てる最中も別なことと同時進行だったのでその辺は許してください。

 

今は5部の黄金の風を視聴中で、原作の漫画の方も読もうと思ってるので、また書くかもしれません。

 

身近にジョジョ知ってる人いないっぽいのでそういうコメントとか頂けたらうれしいですかね。

 

それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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承太郎フィギュア。欲しい。

知った上で改めて実写版の予告動画観ましたけど、ナシ中のナシですね、アレは。

演技と顔が良いことより、身長と体格があることの方が重要なくらいナシですね。

 

見る目ないけどさ

たっかい、たっかい金を服につぎ込むこと1年弱、それなりに服に関しての見る目はそりゃそれまでよりは付いてきたと思います。

 

でも、本当かどうかは知りませんけど、2chこと5chとか見ると「過去のヨウジ知ってる人間からすれば今のウールギャバジンはペラペラで質が悪いし、縫製も雑で、それでいて値上がりが異常」ってことをひたすら言われてたりするんですよ。

 

私は過去のヨウジを知りませんので比較対象がユニクロや多少のセレショのオリジナルブランド品ですが、それらと比べての良さは分かります。

 

ただ、価格が価格ですし、平気で3〜10倍(アイテムによって変わる)近い金額ということを冷静に考えて、それに見合った良さなのかは知りようがありません。

 

もしかしたら、半額くらいでようやく見合った質なのかもしれませんし、その半額ですらまだまだセレショなんかよりは遥かに高額ですから。

 

となると、結局はその金額払ってでもこれが欲しいのか?という自分の思いへの問いかけになるわけで、その点ではまぁ満足してるのかなぁ。

 

いや、高いですよ?でも他にないので。

 

廉価版のラインとしてs'yteとかGround yとか一応あるわけですから、それでも選んだのは自分でしょって話ですね。

 

で、ここまで話しておいてなんなんですけど、今回話したい内容は実は服ではなくて、前々から早く立場上(?)言及せにゃならんなと思ってたことがありまして、それはドラゴン堀江という東大受験企画に関してですね。

 

「見る目」というテーマと同関連するのかというと、去年の春日(さん)の受験企画も同じでしたが、本当に編集が姑息さというか回りくどさというか、ある意味でスゲエよそこまでやるとは感というか。

 

別に東大受験したこともないし、受かると思ったこともないし、それに近しい成績残したことすらないけど、それなりに人より受験という界隈?に身を置いただけにそこそこ見る目はついていたみたいで(いや、そうでなくともあの程度は受験生ならみんな分かるか)、編集で可能性を盛りに盛ってるんですよね。

 

まぁ、そもそも短期間で見せ場ができるほどの変化なんて何度も起きたりしないし、やってること自体は机に座ってるだけで地味ですし、放映回数を考えたらっていうのは分かりますけど、しょうもないことを金言とか言ってみたり、尺埋めに講義映像入れてたり、同じ場面乱用したり、良いところだけを激しく持ち上げて、その他の部分を隠したり。

 

可能性のないものをとにかく最後まで視聴率として惹きつけるために可能性が限りなくあるかのように見せるその様は、質の悪い品をそれっぽく見せて売る構図と同じだなぁと。

 

私は裏側なんて知りませんから、「堀江は炎上商法目的だよ」とか、「書籍化して学生ターゲットに売りつけるためのビジネス」とか、急に見下して「こんなもん間に受けてる奴は情弱の馬鹿」とかマウントの動画にしてる奴がいたり、まぁそんなことが真実かどうか知らないし、言ったところでどうにもならないけど、見る価値のない薄っぺらい企画だなぁってことだけは番組見てて分かりました。

 

趣旨が受験界隈における価値観の向上?是正?とか、そういう価値あるものならまだしも、どちらかと言えば馬鹿にして、お遊びやビジネス用途に使ってる風にしか見えないし、なんだかなぁ。

 

その番組よりも価値がなく説得力もない私の意見を一応述べるなら、確かに先入観で難しいと捉えたり、学校の先生や教育というものによる洗脳で可能性を狭めないで欲しいと思う反面、ああいう企画を鵜呑みにしないで欲しいし、一概に自分のしてきたことを否定したりはしない方が良いかなと。

 

ちなみに番組の今後の予想とかするなら、いつものごとく足切り突破0人はほぼありえないかなと。

 

どこに出願するか知らないけど、毎年どこかは極端に低い点数で突破できるし(300点近くとか500点台とか)、番組として可能性があるような演出派それで可能性で、延命するだろうなと。

 

センターの比率低いこともあって、突破さえすれば2次試験次第だからってノリで。

 

1ヶ月ほど時間の延長があれば堀江氏が受かるかどうかって感じで、他3人は厳しそうかな。

 

TAWASHIって人は分からんですけど。

 

前回記事から引用するなら、こいう企画も再現性低いから価値がないんだよなぁ。

 

家庭教師として今後も働けたらいいなぁと割と楽しめてる自分がいるので、そういうことを説得力ある立場で語れる程度には勉強しようかなと、個人的に収穫があった程度の薄い企画だなぁと思った話でした。

 

また随時、言及できればと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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勉強そして研究そして勉強そして…

唐突ですが、今日は誕生日です。

 

物心ついた時から自分の誕生日の朝は阪神大震災から〜年というニュースを目にしていたので、まぁ公に喜べるかというとそういうこともなく、かと言ってその事がそう悲しかったわけでもなく。

 

震災から1年後に産まれたわけですね。

 

いや、特に話したい事があるわけじゃないんですけど。

 

さて、今回のテーマは、私、これまで不思議なことに「生き方は一般的にみて再現性の高いものが価値高いよな」と思いながら生きてきた節があることに気づきまして。

 

モデルだとか、アイドルだとか、お笑い芸人、タレントのように知名度で売り出される仕事に始まり、社長、経営者、スポーツ選手、最近だとYouTuberとか、その辺の仕事って努力と運の2要素に分解すると、割合が運のパーセンテージが高いと思うのですよ。

 

要するに、この世における生存戦略としての就職先としてはロールモデル(目標、模範、参考)になり得ないと思っていて。

 

もちろんですよ、その運が占める割合の高い道でさえ努力ありきなのは知ってますし、その他の仕事において運が必要なのも理解しています。

 

でも、最も具体的な、その職自体に就くという事象そのものは一般ではなく特殊に分類されると思うのです。

 

そこで、何故か自分が行く先、将来を考える中で、選択肢はどうしても特殊ではなく一般で、誰もが通り得る就職、だけに関わらずそこまでの道筋を辿る生き方をしたいなって、そう思っていたんですよね。

 

一時的に私の人生においては、その目的地は医者だったわけですが、そりゃあ難関とか世では言われてますし、人気職で要求されることは多いですけど。

 

でも、それになる為の必要手順て、一般的にはその人の頑張り次第と言われている「勉強」の努力次第だと解釈すると、特殊ではないわけですよね。

 

みんながみんな努力したら医者になれるかというと、その努力の量や方向性は重要ですし、定員数が決まってる時点で対人口を考えれば一般と言えるか微妙なところですけど。

 

ですが、その結果に到達するまでの過程を伝えて、それを再現することで同じ結果が得られる可能性、再現可能性は極めて先述の職よりは高いと思います。

 

職の定員対人口が不等号の「<」の関係になるのも世の仕組みとして当然ですし、一般の中の分類としての一例が医者というだけなので。

 

で、本題としては、その他の職が眼中外だった私にとって、他の職のその成り方の辿るべき工程、過程が全然見えないんですよ。

 

そもそも何に就きたいのかとか決まってないのもありますし、言うてそこまで調べたりもしてないですけど、世の中見てると一般職の中でも変な経歴でそこに到達してる人ばかりが目に入ってきて困惑です。

 

そんなに綺麗な並びだけで世の中成り立ってないよっていうのもそうなんだとは思いますが、そもそも職という括りがナンセンスなんだとも思いますが、そういう具体的な情報があったら、世の中全体での行動が起こる確率が高まる気がするけどなぁっていう話でした。

 

行動が起こるっていうのは、例えば、家庭教師してて生徒見ててよく思うのが、よく聞かれるのが「何が分からないかが分からない」と「気持ちはあるけど何から手をつけて良いか分からない」という話。

 

一応、こんな私でも指導者なので、自己分析が足りてないという切り口で解決策を毎度提示して上手いこと理解へ導けてはいますが、その勉強という圧倒的に人類(大げさなので少なくとも日本人)の大多数が経験し、数多く残された体験、経験値を元に解決策が既に見つかっている分野だから言えてるというのはあって、なかなか他分野への応用には苦戦中ですね。

 

でも、その具体例のように、目的に対する適切で具体的なアプローチが残されているというのは素晴らしいことです。

 

誘われてる飲食店の社員に仮になったとしても、そもそもバイトとして入れたのがスカウトだったり、チェーン店じゃなく個人経営店だったり、運要素強めで再現性が低い点で悩んでたりもしますし。

 

まぁ、でも、この先の人類は歴史に学んで同じ道を辿ることから脱して、脱させられて(?)、これまでにない新しい生き方が要求されることになりそうですし、そういうのは甘えかなぁ。

 

歴史に学べることは何一つないとかそういうことではないですけど、ロールモデルは一般にとって必要かなぁ。

 

過去を学ぶのは勉強、新しいことを作る、探すのは研究。

 

某人の言葉で言えば、勉強は過去の研究結果を学ぶこと、研究は勉強できるようにすること。

 

全員研究時代?いや、勉強かつ研究時代?

 

このブログという媒体で、少なくとも私の人生での道筋を具体例として残していけたらなと思います。

 

既に経歴が特殊に走ってますが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「別にしなくてもいいよ」「誰もそんなに気にしてないよ」理論

結論から言うと、それで救われる人もいれば、逆に突き放されたと感じる人もいるよ、と。

 

イムリーなとこで言うと、前者の「みんなに合わせる必要はない」理論は前回記事の真正道から外れて見えた景色みたいなもので、自分は自分、他人は他人で自分なりを探しても良いという肯定の言葉に思えますけど、じゃあ実際に外れてからの具体的な道筋なんて誰も教えてくれないですよね。

 

そう反論すれば決まって「そんなに人生甘くない」とか突き放されるわけです。

 

逆算して、そんな甘くないと実感している、もしくは大半の人は周りの保守的な大人たちに甘くないと言い聞かされているが故に外れる選択肢を封じて生きてきたわけです。

 

それを急にせんでいいって言われても、外れてからの生き方なんて考えてこなかったでしょうし、考えつくのも簡単じゃない。

 

みんながしてるからついていけばいい理論はそういう意味においてはとても合理的で正しいと言える側面を持っているわけです。

 

そんなんじゃ、この先ロボットに仕事を奪われて〜、とか仕事にありつけないぞみたいなことを思考停止状態であることに対して言われるわけですが、それはそれで同じように奪われた人たちが大多数になった時には皆が皆放置されることはないでしょうし、何らかの対策はされて生きていけるでしょうしね。

 

ただ、その生き方が幸福であるかは別として。

 

次に後者、「誰もそんなにあなたのこと気にしてないし見てないから」理論。

 

これはめちゃくちゃ耳にしますね。

 

はっきり言って嘘だから、そんなの。

 

何故なら、自分が周りを気にして見ているからこそ、周りからも見られてるように感じるわけでしょ?

 

てことは見てるんですよ。

 

ただ、数分、数時間、数日後には忘れてるし、ほぼ頭の片隅にも残らない、残ってもよっぽどの内容の事が起きたか、噂話のネタとして話される程度。

 

「自分の人生に影響が及ぶほどのことは起きませんよ」って話です。

 

確かに、次の日には忘れられてるような程度のことを気にして精神と時間削るのはもったいないでしょう。

 

ただ、見てますからね。

 

自分も他人を。他人も自分を。

 

特に同じように日々を繰り返す場合はその回数が積み重なってより印象が強まるので忘れられるとも一概には言えないですね。

 

まぁ、「学生時代のあの頃に告白しておけばよかった〜。しない後悔よりする後悔だよな〜。」みたいな話で、その場その時は結果の如何を問わず恥じらいの感情が強かろうが、時間が経てば誰も、自分でさえも大して覚えていないということ。

 

こらも、ただ、その場その時は圧倒的に印象に刻まれますけどね。

 

両方に共通するの「人生は一度で地球も宇宙も広い」って神視点でこの悩みを小さく見るところですかね。

 

良くも悪くも、自分が自分の世界の中心で最大点だと思い込んで視点を狭めず、たまには広く捉えようという学びは得られたのかな。

 

ただ、見てますから。

 

http://twitter.com/arihure_jinsei

真正道

私ですね、これまでに何度か触れてますけど、高校まではいわゆる一般平均を前後するレールの上を進んできたんですけど、2浪して、留年までしてるじゃないですか。

 

2浪までも、医学部進学を前提としていた時点では許容範囲内だったわけです。

 

むしろ、医者という既存のレールは一般的には良い意味でレールの上端(+の意)の扱いですから、積極的に肯定される歩みのはずでした。

 

が、よく分からない大学のよく分からない学部で、留年し、それをまた繰り返そうと、もしくは中退が目前に迫っている今。

 

初対面で「年齢は?」からの「仕事は?」そして「学生!?何年生?」→事情説明で変な空気の流れ。

 

事情を知る身内が近くにいる場合では「親のすねかじりで甘ちゃんなんですわ。」と説明されちゃうまである。

 

まぁでも、実は当の本人としては道から外れたおかげで見えた別ルートを感じてるんですね。

 

料理してると楽しいから料理人とか面白そう、アイロン掛けるの意外と嫌いじゃないしクリーニング屋で働いてみたい、服の奥深さを知ったしもっと勉強したい、最近ハマってるダーツでプロいけるのかな、誘われてるし仲間はみんな良い人ばかりだし飲食店に就職もありかな、とか。

 

「仕事と趣味は別」、「嫌なことから逃げるのは忍耐力が足りてない」、「身体で上位になれない(スポーツ)残り大半の人間は勉強頑張って生きていくしかない」、「医者は地位も安定もお金もある素晴らしい職」。

 

極め付けは「大層なことは望んでいないから世の中の平均くらいには生きてください」という言葉。

 

そんな言葉で、ある意味での洗脳を受けて育っていた頃には考えもつかなかった、いや、考えてもそっちに方向転換する人生の選択肢は与えられていなかったと考えると、なんかなあ。

 

そういう真正道(「まっしょうどう」と命名)の通過点だか最終地点には結婚、一軒家、子育てみたいなルートを人生の最大の幸福としたものが共通認識として植えられてるので、そこから逆算すると確かに一理あって筋は通ってるんですけど。

 

中でも、それなりにうちの家族は仲良かったし、父の亭主関白ぶりに辟易とする場面は多かったながら、絵に描いたようなど真面目ぶりで補填されていたし、あの生活を享受できる根源であることから許容というか正当化というかはされていたし、家族というのはこういうものだと思うしか他では学べるわけでもなかったし、最大幸福ルートの結婚に対する「家族観」は正の方向で形成されていましたね、自分の中に。

 

その辺に対する気持ちは多少の変化はありましたけど、幸福と解釈する精神は全然ありますし、そう考えると安定とか必要かなぁとか思いますし。

 

でも、いよいよ世の中で実は虚構だった、謎に掲げられた「安定」という概念がAIやらロボットやらに覆される時代が訪れて、人類、人間における幸福の定義も変わるわけで。

 

まぁまぁ、本質を考えれば、原始は生命維持の為の生死をかけた狩猟は必要条件だったわけで、安定なんてないわけですから。

 

そうあえば、なんで、安定=不安がない、世の中を作ろうとこれまでされてこなかったんですかね?(してたんかな?分からんけど)

 

不安定な事もないと生を実感できないってこともよくあるし、そういうことなんかな。

 

ギャンブルとかスマブラの対戦とか、勝ちも負けもない不安定ではない状態では満足できずに手を出しちゃう、でもそれが人間であり「生」であるって感じしますね。

 

さて、何が言いたかったのかに戻しますと、その真正道による精神支配の影響って凄まじくて、出る杭は打たれるとか嫉妬とかってそれによるものなんじゃないかなと。

 

決して肯定はしてませんし(むしろ否定)、自分はしませんけど、犯罪をするってある意味凄いなだと思うんですよ。

 

精神支配の真正道から自らの意思で逸脱するんですよ?

 

その方向が負の方向なので良くないですけど、自分にはまたもある意味で選べないなと。

 

やってはいけないですけど、犯罪においてやらない、と表裏一体でやれないも含まれてると思うんですね。

 

他の例だと、最近考えを改めたのは遅刻に始まり引きこもりとか不登校の子。

 

小学生、ギリ中学生の頃までは真正道を歩んでたので、小学生の頃からいた遅刻する子(それも寝坊とかを理由に)とか信じられなかったですもん。

 

当の私は親に起こされたりはしながらも遅刻0でしたから、何がどうなると遅刻なんてできるのと思ってました(親も親とか)。

 

中学入ってら理由は知りませんけど不登校になって軽くざわついてた子とかも当時は「普通にしてるのが一番楽なのに、なんで不登校なんて選択肢を選べるんだ?この先どうすんの?」と思ってました。

 

同じサッカー部に所属してた不良の同級生(あんまりこういう言葉、擁護は好きじゃないですが、そいつは悪い奴ではなかったです)も途中から学校にほとんど来なくなって、たまに来ても格好が染髪してたりピアスしてたり、制服着崩してたり、タバコ吸ってたり。

 

そういう行為の良し悪しはさて置き、中学に通うという真正道から外れるなんて本当に理解ができなかった。

 

元不良の方が評価が高くなる現象とかは確かに本質的におかしいし、それまで真正道を歩んできた真面目な人たちが最も素晴らしい評価をされるべきで資格もあるっていうのは正論ですけど、その道じゃあ不安定なこの世の真理が掴めない、知り得ないという意味では間違ってるんだよな、と最近思いました。

 

でも、その「真面目」っていう評価だって言葉ヅラでは聞こえがいいですけど、フタ開けたら「他人に迷惑をかけていない」というタダそれだけだったりしますからね。

 

真正道を自らの意思で辿り歩んでいるつもりが、実はそれ、真正道から外れてはいない、というだけではないですか?と。

 

まじめ系クズはめちゃくちゃいますよ。

 

最たる例が私ですから。

 

社会的に価値があることと個人的に価値があるというのは別です、評価が。

 

今ではそのまじめ系クズ以下の不真面目かつクズなんですけどね。

 

真正道から外れたものの真正道を生きる人以下の行動しか起こせてないですから。

 

私の話はどうでもよくて。

 

本質的に、(陰謀論的なものは好みじゃないですがそういう見方もあるらしいので、)(「都合よく」)仮定された人類の幸福の逆算であるところの「真正道」を辿る生き方を、今一度、考え直す機会を設けてはどうでしょうか?

 

あれ、問題提起したかったんやっけ?忘れた。

 

まぁまぁ、そこから外れた者という視座から見えたこの世の一つの見え方をここに置いておきますね。

 

てか最近忘れてたんですけど、またTwitterのリンク貼っておくのでよろしければ

http://twitter.com/arihure_jinsei

 

 

 

 

 

 

 

 

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あとは行動あるのみ。

 

と言うのは簡単。

 

適切な区切り

やる日先送りマンです。

 

中途半端だから「改心して、やり始めるのは明日から」を延々と繰り返して生きてきました。

 

遅刻なんて半端なことしてまで学校に行く必要はないから、それくらいなら休んで次の日から頑張る、そのために明日までの残り時間は頑張るためのモチベとしてしたいことする、もしくは怠ける、とか。これは高校まで。

 

1限、2限は寝坊して遅刻してまで行く気はないし、昼からの授業のためにわざわざ大学まで行くのは交通費的にも時間的にもコスパ良くないし、重要なのは授業内容が理解できれば良いのだから、自習でまかなえば良いだけ(それを言い出したら大学の必要性に言及しなければならないけど)、とは大学に入ってから。

 

その思いを強くその時は抱くものの、いざ勉強するかと言えばしないんです。

 

たしかに、自習してまかなえばコスパ的にもメリット大なのに、しないんです。

 

すれば良いけど、しないから悪。

 

飲食バイト先にて、週ごとにシフト提出ですけど、今週疲れたくないから抑えめにして来週から頑張ろう、とよく思います。

 

でも来週になればまた同じ気持ちになっている。

 

そこはバイト代という別の観点で保たれてますけども。

 

1ヶ月くらい時間あれば、きっちりスケジュール立ててやりたいことしまくれるのになぁ、なんて。

 

学生時代の夏休み、冬休みの長期休暇で思い通りに過ごせたかあ?

 

否。

 

1週間くらいは堕落してても問題なし、2週目ダルいし、考え中。

3週目、既に半分過ぎてるやん、マズイ。4週目、1ヶ月を1単位で考えてるから1週間を1/4と捉えてもう何もできないと堕落持続で大焦り。

 

じゃあどうすればいいのか、上記で話した区切りの最小単位は1日だったわけで、「じゃあ明日から頑張る」では遅かったわけだ。

 

ということは、微分みたいなもので、その単位を限りなく0に近づけて、次の瞬間、要するに今+0に近しい瞬間≒今、と近似して、やるのは思い立った「今でしょ!」になるわけですね。

 

と言うのは簡単なんですけど。

 

まぁ、それは理想にしても、1時間後、12:00になったら、風呂から上がったら、時間をベースに考えなくても、自分が行動に移れる適切な区切りを模索するのは結構重要だなあと思います。

 

でもやっぱり、分かりやすい、かつ自分の意思とは別にして強制リセットである睡眠を経て起きた時、単純化して次の日=明日からっていうのが、1秒後(今、次の瞬間)という最小単位と1週間、1ヶ月、半年1年という大きな単位(最大は人によりけり)からの丁度いい区切りなんじゃないかなぁ。

 

個人レベルにとどまらず、世間と共に心を改める新年(年越し)や新年度はもちろん効果絶大ですけど、1年という単位はやはり人間感覚に置換すると長くて、改めた心を行動に変換してそれを維持するっていうのはなかなか無理だと思いますね。

 

私なんかは2019年、既に堕落に戻ってしまってますから。

 

あーあ、貴重な1/365を無駄にした〜。

 

1/1と共に1日1日を振り返って反省し、後悔ない日々を送りたかった、送ろうとしたかったー。

 

初っ端から従兄弟にオススメされて借りたジョジョの奇妙な冒険4部のアニメずっと観て終わった〜(それはそれで人生の進捗と言える(新しいことしてる)ので良いのだけれど)。

 

人はどの瞬間からでも変われる。

 

肥満体だったとしても、今から俺は変わる!と自分で思えば、それ以降食事を制限すれば痩せますから。

 

でも、弱メンタリティーがそれを阻害する。

 

精神衛生上?区切りが欲しい。

 

こっからここまで。

 

区切りのスタートをつけるのはできた、ゴールまでの維持が難しい(スタートは瞬間的ではなく1時間、半日、1日くらいの大きさの点だと前提)時は、脳内完結させずにノートに記録するなど可視化が大事ですかね。

 

って、いつの間に上からもの言ってんだ状態ですが、方法論わかっててやらないマンが言っても説得力ないよぉ〜。

 

まぁ、自分自身に向けて改めて言ってると思って下さいね。

 

ちなみに、浪人してた時の11月頃に、結果としては1ヶ月と半月ほど減量活動してたことがありまして(完全個人的に)、一応、ー10kg達成してるのであながち根拠がないわけでもないです。

 

当時は確か、武井壮(さん)が身体中の体温測ったり、室温、湿度測って常に自分のベストコンディション環境を測り整えるために記録してたという情報をもとにしたりして、天気から、気温、摂取カロリー、睡眠時間など色々と記録してましたね。

 

継続分野の中でも体重は目に見える数値の変動があるので、可視化の効果が出やすいため、そっくりそのまま他分野でも応用効く保証はないですけど、3日、1週間のスタート点を作れれば可視化は継続の力を与えてくれると思います。

 

3日坊主で続かねえんだよって話ですか…。

 

話は戻って、区切りの適切なものを自分の中で探すしかないですかねえ。

 

モチベ云々は今回は置いといて、区切りの話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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脳内整理。

 

 

マジで勝てん

スマブラSP、何だかんだで発売日から数日でも品切れなく買えてしまったのでやってたんですけど、いやあ、オンラインが勝てない勝てない。

 

軽く、歴を話すと64のニンテンドーオールスターズの頃からやっていて、ゲームの歴史はスマブラと共にな世代でした。

 

オンライン対戦とかそういう次元じゃないゲームキューブWii時代は歴史の積み重ね兼今ほど情報得られる環境ではない(閉鎖的)時(小学生〜中学生)はそこそこ近所コミュニティでは敵なしだったんですけどねえ。

 

あぁ、別に自慢とかではなくて、今思えばこの自分でもそうなれていた環境とはとても狭く小さかったのだなあと(井の中の〜)。

 

いや、その当時のゲームの強さ、巧さなんてやり込み時間数に比例するので、自分のコミュニティぐらいはどこも同じだったんだとは思うのですけど。

 

今は情報が得られるからか、ホント世界戦闘力数十万帯でも全然勝てまへん。

 

上位クラス(2019/01/10時点)は300万そこらでしょう?

 

いやあ、これまではなんだったのか。

 

ゲームといえば、カードゲームもめちゃくちゃやり込んでて、遊戯王かデュエマかに大抵別れると思うんですけど(両立はほぼいなかったですね)、私はデュエマ派でした。

 

そっちも、ネットで強いデッキレシピを検索するという概念がない時代においては近所コミュニティ内では敵なしだったんですがねえ…。

 

バジュラでマナ破壊、ボルバルザークで無双、ロマノフで呪文ガン回しと、より強いコミュニティにいた従兄弟からの情報を得て、自分の近所コミュニティに持ち込み圧倒という流れが形成されておりました。

 

懐かしいなあ。

 

その辺はまた別記事で詳しく書きます(ってセリフを何度か記事で書いてますが、まだ書いたことない気がしますね)。

 

それより、ホントにスマブラでオンライン対戦勝てないんです。

 

泣きそうです。

 

一時的に100万に運良く連勝して到達したりもたまにはするんですよ?

 

でも、それですらVIP部屋には程遠いし、相手の強さ次第での変動に過ぎなくて、すぐ逆戻りです。

 

ちなみに、オンラインでなんて手を出す前はリュカ使ってまして、CPレベル9は難なく勝てたし、弟や従兄弟とする分には勝率高めで自信ありましたけど、オンラインになると攻撃の発生遅くて当たらないし、当たり判定で負けるし(特に剣士キャラ相手)、とにかく遅い。

 

有効バースト手段であるPKフリーズ及び上スマは決まれば一撃レベルですけど、クセが強いですよねえ…。

 

となって、今はネス使っとります。

 

ちなまに、MOTHERシリーズは一切プレイしたことないです(全編実況動画は視聴済みですが)。

 

じゃあなんでリュカネス使うのか、結構特殊なポジションのキャラじゃないか、って話なんですけど、ネスはリュカに近いからとしても、リュカを使い始めた理由が自分も覚えてないんですよね、それが。

 

中学生の頃まではリンク一択で勝てたんですけど、なんででしたかねえ。

 

リンク→こどもリンクトゥーンリンクの変遷だったはず。

 

それらは今でも操作可能ですが、リュカが使いやすく馴染んでます。

 

ぶっちゃけ、エフェクトとかフォルムとか、まぁキャラ的にはリュカの方が好きなんですけど、ネスは軽やかで発生も早く、PKファイアーの敵固定、掴みバーストは成功率高いので、対戦メインになるとネスに勝ち目なしって感じです。

 

バットの速度の遅さとスマッシュのヨーヨーが軽いのがいつまでたっても慣れませんが(バットは諦めて暴発した時ぐらいしか使えませんかね)。

 

YouTubeでArtさんというネス使いの戦闘力上位の方を参考に今は励んでますけど、なんであんな連勝できるんですかね?

 

プロのあばだんごって方の連勝チャレンジとか色々見てますけど、自分に足りないこと、細かな違いが自分では分からずに足踏みしてる感あります。

 

あぁ、YouTubeに動画あげて指摘もらったりとかしたいなぁ。

 

ゲーム好きとして生きてきて、ここ最近のマリオカートスプラトゥーン、シャドウバース、そしてスマブラ

 

1位にはほぼなれないし、Sランクにたどり着くことなく終わったし、グランドマスターにはなれなかったし、VIP部屋には届かんし。

 

どれも半端でゲーム好きを名乗れるほどずば抜けた得意がないっていう悲しみというか、焦りというか、虚無感。

 

単純に結果出してる人らより時間数が足りてないだけなんかなぁ?、情報不足で決定的な欠落があるんかなぁ?、センスがないんかなぁ?

 

たかが趣味のお遊びっちゃあそうなんですけど、割と悩んでますね(いや他にやるべきことあるってのに)。

 

ああ、全ての自信を削ぎ落とされる。

 

世に付与、還元できる価値が生み出せねえ。

 

価値を生み出すための労働力(歯車)として動くことしか自分の需要がねえ。

 

んひー、自己肯定感高めたい〜、って悩みでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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学びます。