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史上初センター満点と学歴コンプレックス・田舎コンプレックス

数日前にTwitterなどで話題になっていましたね。

 

理科I類に出願者の中にセンター試験満点がいると。

 

凄いですよね。

 

一科目でも満点取るのは容易ではない中で全科目ですからねえ。

 

全てこれは把握していると解いたのか、一部悩むけどこちらにしてみたというものが合っていての満点なのか。

 

でも、正直あんまりそこに興味はなくてですね。

 

足切りラインの画像見ると毎年ですが出願者最高点は800後半の880〜890点。

 

満点がいかに難しいかは誰しも想像に難くないはずですが、そのような点数帯には毎年のように何人もいるということに強い、圧倒的敗北感、劣等感を覚えるのです。

 

私の地元は田舎ですから、県内一番の進学校でも今考えればたかが知れてるわけですよ(ちなみに私は落ちて滑り止め校に進みましたが)。

 

毎年、数人数十人受かる程度。

 

県全体の東大合格者割合の8〜9割はその一校で占めてるのではないでしょうか。

 

当事者でもないのに偉そうに語って申し訳ないですが、田舎から頑張って受かるのと毎年800後半取る生徒が複数人排出されるのが決まってて受かるのとでは大きな差をそこに感じるのです。

 

本人が東大受ける受けない受かる受からないに関わらずそういうのが普通な環境に身を開けている時点で思考回路が違ってそうです。

 

田舎と都会という対比をそこに見るというか。

 

私は学歴コンプレックス以前に田舎コンプレックスも抱いておりました。

 

「受験なんざただのテクニックと練習の積み重ねであり非本質だ」というお偉い方の意見はよく耳にしますし最もだと思いますけど、学歴問わず何らかの形で世に結果を残している人たちって実際、受験させたら高得点取れるだろうし、いわゆる高学歴入学レベルにはあるのでしょ?と。

 

大学入学というプロセスを経たか経ていないかのお話であって、実際受験を通り道だとすると、通る以外の道を知らない私なんかは同じ道を通る高いレベルの人を見て劣等感抱きますよねと。

 

だから、もはやその大学に受かったという結果もそうだけど、そういう所に難なく(努力はあっても)入る環境に身を置けていた事実自体にも敵わなさを感じます。

 

よく似たコンプ持ちの知人と話すのが、東大文Ⅰ、理Ⅲは別としても、その他科類名より有名進学校(灘、開成、筑駒、ラサール等)の方が響きが強いよな、と。

 

合格者枠の数的に必然なのですが。

 

学校名もそうとして、ずば抜けたような人間が集う場所で、そういう生徒を指導できるレベルの教師が揃い、情報も人間関係も環境が整ってて別次元だなぁと。

 

「今のご時世ネットなりなんなり整ってるんだから街の都会性とは関係なく自分のやる気次第でしょ」というのも最もだけど、当たり前として平然と情報が揃ってる環境があるってのは別格だと思います。

 

そんな風になんでも自分のやる気で解決できる人が学歴いらずでなんでもやっちゃえる人なのだろうし。

 

そうなれたらそりゃ良いけど。

 

地元の一番手の高校じゃ全体の人数に対して合格者枠が多いため見合っていない人が運で合格することも多く、同じ塾に通っていたその高校の生徒が自分より学力的に劣っているとみられる場面は何度もありました。

 

それでも、その高校に通う友人と塾の帰り道に職質されても「○○高校の生徒さん⁉︎こんな時間までご苦労だね〜。」というような免罪符になってたりする現状。

 

例えばプロサッカー選手がいたとして、それを知ると「サッカーが上手いんだな」とだけ認識しますけど、高学歴保持者だと知ると「勉強できて頭が良くて誠実なんだろうな」というように付加価値が多い気がするのです(客観的に)。

 

勉強って大人になってから意味が理解できたり、楽しさに気付くものですが、論理的思考が追いついていない年齢の小学生などには教えても難しいことが多いですよね。

 

言葉を噛み砕いても理解力の問題なので、大人と子供に同じ分野(例:算数の割合)を教えても結果が違いますし。

 

実際、家庭教師先のお母様は、「子供の時は割合とかサッパリで苦手だったけど、この歳にもなればどちらをどちらで割るかは感覚的に分かるようになったし、子供だから分からないことってあるのよね」と。

 

でも、その辺の年齢から積み上げているものが多いほど後の人生の効率が良いし、人生の密度が取り返しの効かないレベルでついてんのかなぁと思って勝手に絶望したりもします。

 

田舎だからと休みの日は外で遊ぶなんてのはせいぜい小学生くらいでしょう。

 

田舎人だってゲーム好きですよ。

 

田舎でしかできないことをしたりせず、田舎特有のメリットを享受する生活でもなく、精神的に都会への憧れを抱いている。

 

田舎の良さで取り上げられる自然との共生みたいなものって田舎の中の田舎だけじゃないですかね?

 

山や海で日頃から遊びまわるなんてないない。

 

街の目指す形は利便性が高いことなのだから、毎日のようにどこかで工事が行われ都会化していってますよ。

 

帰省のたびに新しい建物できてますもん。

 

でも、本都会に比べ圧倒的に人もお金も足りないから、徐々に徐々にしか進化できない。

 

お小遣いが与えられる中学、高校生が遊ぶ場所なんて近くのショッピングモールだけ。

 

することがなくてもそこに行くしかないみたいになってましたし、今の学生もそう。

 

そりゃ都会に進学、就職しますよ。

 

田舎にいても利用するのは田舎の中の都会部分なのだから。

 

利用するときだけで十分で住まいは静かで広いところが良いということであればアクセスの良い田舎に住むのはありかもしれませんがね。

 

都会人が使いこなすシステムや概念を後に知り驚き憧れる田舎人の構図が車輪の再発明感あるんですよ。

 

話は戻って、学びがあるとすれば、何らかの突出した能力があれば同じ水準にいる人との横のつながりは持てるのかなと。

 

たとえ田舎育ちでも東大行ければ灘なり開成なりの人たちと繋がりは持てるわけですから。

 

他には例えばお笑い芸人として売れれば、番組で俳優やタレントなどのいわゆる一流芸能人やスポーツ選手などと交流を持てたり、別分野のトップと関われるわけで。

 

勉強と同じで、そういう突出した何かを早く持たないとその後の人生への影響力が時間ごとに小さくなっていってしまいますよね。

 

私に何かあるとすれば習い事で通っている習字ですかね?

 

となると、目指すべきは武田双雲(さん)?

 

早くコンプレックスから解放されたい。

 

そんな感じで悩んでいる日々の思いでした。