ありふれた人生の中

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つまるところヒッチハイク力?

何かを変えるには特別な力は必要ない。

 

才能も、お金も、容姿も、学歴も。

 

その身だけがあればできてしまう、要するにしようと思えば誰でもできる「ヒッチハイク」をやれるかどうかって人を二分する気がしています。

 

言い換えるとコミュニケーション能力、勇気、度胸になるのかな。

 

これまでの経験に置き換えると、授業で手を上げられるかどうか、特定のグループ以外とも交流できるかどうか、疑問点を教師に質問しにいけるかどうか、みたいなことだと思います。

 

どれも、しなくても次には進めるし、わざわざ恥をかく可能性や、目立って注目を集める可能性があることを積極的にやろうとはなかなか思いませんよね。

 

私も授業で自ら手を挙げることはおろか当てられて答えさせられるのも嫌でしたし、いつものグループメンバー内でぬくぬくしてましたし、学校や塾でも教師には聞かず、家庭教師の先生か分かる友達に聞いて解消していました。

 

でも、最近思うのは、そういうことをやってしまえる人間には敵わないなぁということ。

 

悪いとか悪くないとかじゃなくて。

 

人と変わっていることを恥じらうことなくできてしまうのだから、行動力に制限がないわけです。

 

蔑んで見ていた、客観視できずただただ馬鹿騒ぎしたり、非常識な行動をして他人に迷惑をかけたりするのとは全く別で。

 

お金を払えば楽に時間も掛けず目的地にたどり着けたとしても、敢えて変に見られることを厭わずヒッチハイクできたり、時間かけて調べれば分かるだろうけど、すぐ近くにいる見知らぬ人に道を尋ねたり、システムを聞いたりの声かけができたり。

 

レベルを下げて、街でのティッシュ配り、チラシ配りも勇気いりますよね。

 

不要な人からすれば声掛けされて迷惑ですし、応対も面倒で邪魔だと思われて仕方のない仕事ですもん。

 

私も駅の近くでよく遭遇しますがティッシュは不要でスッと通りたいのに、あちらは配るのが仕事なのでこちらの存在を確認すると距離を詰めて目の前に差し出してくるわけです。

 

受け取っても邪魔ですし、受け取らなかったら受け取らなかったで悪くもないのに罪悪感が生じるので無下に通り過ぎるでもなく、必然的に断りの言葉や会釈をしますが、そういうことを考えないといけなくなっている時点でもう面倒くさい存在です。

 

最終的には慣れなのでしょうけれど、精神が磨り減りそうでやりたくないですね。

 

ヒッチハイクもしたくないし、授業で発表なんてしたくないし、なるべく後ろの席で目立たずに受けていたいし、分からないことがあって時間がかかったとしても検索して済ませ見知らぬ人に聞きたくはないし…。

 

これがプライドの殻に閉じこもってるってことなんでしょうか?

 

気にされてなかったとしても気にしちゃうよ、人目を。

 

「誰もお前のことなんて気にしてないし、人は自分のことで頭がいっぱい」が事実だろうと、その言葉だけで変われたらどんなに楽か。

 

自信をつけるのと同じプロセスで、小さなことから少しずつ積み上げていくしかないのかな。

 

強制的にやらされるのが効果的なのかな。

 

ヒッチハイクできるし、人の家泊まったりの交渉も難なくできるし、世界をコミュ力で渡ってきました的なブロガーとかを見て憧れるかというとそういうわけではないですが、凄いなとは思いますね。

 

人と違っていることをアイデンティティーとして発信するのとはまた別なので。

 

大は小を兼ねる的に彼らは自分のような人生にいつでも変われるでしょうが、私はすぐに彼らのような生き方はできないので。

 

「金は無くともコミュ力で助け合い生きていける、でもいざとなれば金なんて幾らでも稼げるけどしたくないからしてないだけ」というのと「金は稼げても金がないと何もできない」のは大違いです。

 

受動的か能動的か。

 

友達作れるけど敢えて1人なのか、友達作れないから1人にならざるを得ないのか、的な。

 

皆さんはヒッチハイクできるでしょうか?