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何かを素晴らしいと感じた時、以後人間性が問われる

スピッツのファンの方とSNSで交流した際に思ったのが、純粋で良い人ばかりだということなんですが、それに伴い悪い人にはなれないな、と思ったことを覚えています。

 

言わずもがな、自身もその対象内ではあるのですから。

 

特段、何か悪いことをしでかしていたからそう思ったということではなく、かと言って良い人間であると自覚したことも一度もない。

 

でも傾向として、綺麗事抜きで好きな音楽でその人のタイプを判別できることは往々にしてあるでしょう。

 

卵が先か鶏が先か、好きな音楽のタイプに応じた身なりや性格なのか、その身なりと性格が故にその音楽を選択したのか。

 

そこから、なるべくアーティストを嫌いになろうとはしないよう心掛けていますが、対象のファンが嫌いで遠ざかることはよくあります。

 

人は中身とて最低限の外見がありますから。

 

 まぁ、そんなこんなで好きであると自身で完結するならまだしも、場で宣言する時はその対象の評価の一員になっている自覚を持とうと思ったのです。

 

そこから拡大して、私は生きる上での行動原理は「好きなものを否定しないため」を掲げ行動選択することにしています。

 

というのも、何かつらいことがあるとよく「死にたい」「死はつらく現実的ではないにしても少なくともこの場から存在を一定期間でいいから消したい」と思うことがあったのですが、すると自分の好きなもの達(スピッツ然り、人、物、事)から得られた素晴らしいという感情、及び原動力を否定してしまうことになるのではないか?と。

 

好きなものから得られた素晴らしき原動力を得た私は幸福な人生を過ごさなければならないのではないか?と。

 

捉えようによっては人生を窮屈に縛っているかのような印象を受けるかも知れませんが、あくまで自分で課しているだけなのでそのようには解釈しておらずポジティブですよ。

 

この思考を強めたほかの原因として、「色」って様々な効用があるらしいではないですか。

 

青は落ち着きや集中をもたらし、赤は前向きになるだとかそういう。

 

ぱっと見が云々を超えて、無意識に与えられる影響ということなんですが。

 

私は青が一番好きな色です。

 

逸れますが、中学の頃に自己紹介で好きな色を問われた時にその当時、好きな色という概念がなかったため、適当に青と答えて以来、青が好きになったという経緯があります…笑

 

戻して、私の基本性格は(他人評価による)大人しく静かでネガティブで優しい、らしいのですが、「青色が好きであるが故にその性格であり、あまりよくない点(ネガティブとか)もその色の影響である」と解釈されるのが凄く嫌で、好きなものを否定しないために良い人間にならねばと思ったことも強く記憶しています。

 

大げさですけどね。

 

逆説的にその人を判断することってないですか?

 

あいつの友達は良い奴だから、あいつも良い奴、いい歳してハンバーグが好きだから、子供舌とか。

 

良いも悪いも。

 

何が悪くて何が良いのか的な哲学に深くハマるのかもしれませんが、そういうアバウトなりの解釈が私にはあるのです。

 

まぁ、〜を選択しているから素晴らしい人間になり得るという証明はできないのでしょうが、好きであることに誇りを持ちたいとは思いますね。

 

「今が幸せなら過去はその幸せのための過程だったのだ」という解釈は素晴らしいと思ったりもしましたが、現時点が常に幸せであり続けることを前提としなければ、不幸のための過程になり得、良い部分だけ見過ぎじゃねぇか〜?と思わないではないかも。

 

何が言いたいのか分からなくなりましたが、「好き」という感情に対する一つの視点としてこういうものもあるかもねというお話でした。

 

 

多様だけど傾向はある