季節とともに街の色は変わりますね。
ヨウジで基本黒一色生活を過ごすようになってからは、より「色」への意識が強まっています。
しかし、「黒って暑くない?」という思いもよく耳にしますし、小学生の頃に習った黒は他の色より光を集めやすい性質(虫眼鏡で各色の色紙に太陽光を集める実験)という記憶は色濃いのかと思います。
でも、思うんですけど、それって科学的な性質として実際に光を集めて多少暑いのは事実としても、印象による思い込みが大半だということ。
確かに黒は色の中で最も重い印象なのは分かるんですけどね。
気温と色。
主観的な主体的な色って透明だと思うんですよ。
要するに、服であれ、車であれ、言えば肌の色であれ、鏡なり窓の反射で確認できるが故に黒である自覚を脳の片隅に据えて過ごしているに過ぎなくて、結局客観的に他人から見たときの景色のうちの一色に過ぎないのかなと。
(もちろん、背中など背面は難しいにせよ、前面は目視できますが)
夏は植物が生き生きとした緑を発し、太陽が照りつけ眩しい白が印象的で、海は綺麗な青に輝くという色情報による季節感を呈しているわけですが、そこから分かるように季節感て大局的な風景へのざっとした印象だと思うのですよ。
逆に、秋冬は植物は枯れて茶色く、太陽が出ている時間が短くて暗い(死の)印象。
季節が作り出す(織りなす)大局的なそういった色の季節感があるものです。
故に主観において自身は風景外なので透明であり、季節感も何もないと思うのです。
そう考えたらむしろ、夏だからヨウジは何だのどころか服と肌との空間のおかげで汗でべたつかず風通しも良く快適だと感じてるんですけどね。
パンツはウールギャバ製の物しか所持していないので座ったときは暑いんですけど。
ヨウジの本質は重ね着、レイヤード、ジャケットだ、という方に関しては話は別かもしれませんが。
まぁ、何でこんなこと思ったかというと、街で見かけた黒い高級車が発端で、色に季節感求められるのって「服」くらいだよなぁって。
単純にその場その時に応じて可変な物だからというのはあると思いますけど、でも季節感がどうだからってことを理由に車の色とか選ばないですよね。
あぁ、服は表現の一つでもあるので、夏の演出としてなら選ぶことはあるかもしれないですね。
みなさん家具はどんな色で統一していますか?
「色」と一概に言ってもそれぞれパワーが違うので与えられる影響も異なりますし、家具にせよ服にせよ青黒メインで統一してることによるパワーに負けないように頑張らないとですね。
精神の病みに色って関係ありそうですし。
何の話ししてたか分からなくなりました。
適当です。
夏乃黒
SO@ありふれた人生の中 (@arihure_jinsei) | Twitter
かくいう自分はインナーに白を挟んでいるのですけれども