唐突ですが、今日は誕生日です。
物心ついた時から自分の誕生日の朝は阪神大震災から〜年というニュースを目にしていたので、まぁ公に喜べるかというとそういうこともなく、かと言ってその事がそう悲しかったわけでもなく。
震災から1年後に産まれたわけですね。
いや、特に話したい事があるわけじゃないんですけど。
さて、今回のテーマは、私、これまで不思議なことに「生き方は一般的にみて再現性の高いものが価値高いよな」と思いながら生きてきた節があることに気づきまして。
モデルだとか、アイドルだとか、お笑い芸人、タレントのように知名度で売り出される仕事に始まり、社長、経営者、スポーツ選手、最近だとYouTuberとか、その辺の仕事って努力と運の2要素に分解すると、割合が運のパーセンテージが高いと思うのですよ。
要するに、この世における生存戦略としての就職先としてはロールモデル(目標、模範、参考)になり得ないと思っていて。
もちろんですよ、その運が占める割合の高い道でさえ努力ありきなのは知ってますし、その他の仕事において運が必要なのも理解しています。
でも、最も具体的な、その職自体に就くという事象そのものは一般ではなく特殊に分類されると思うのです。
そこで、何故か自分が行く先、将来を考える中で、選択肢はどうしても特殊ではなく一般で、誰もが通り得る就職、だけに関わらずそこまでの道筋を辿る生き方をしたいなって、そう思っていたんですよね。
一時的に私の人生においては、その目的地は医者だったわけですが、そりゃあ難関とか世では言われてますし、人気職で要求されることは多いですけど。
でも、それになる為の必要手順て、一般的にはその人の頑張り次第と言われている「勉強」の努力次第だと解釈すると、特殊ではないわけですよね。
みんながみんな努力したら医者になれるかというと、その努力の量や方向性は重要ですし、定員数が決まってる時点で対人口を考えれば一般と言えるか微妙なところですけど。
ですが、その結果に到達するまでの過程を伝えて、それを再現することで同じ結果が得られる可能性、再現可能性は極めて先述の職よりは高いと思います。
職の定員対人口が不等号の「<」の関係になるのも世の仕組みとして当然ですし、一般の中の分類としての一例が医者というだけなので。
で、本題としては、その他の職が眼中外だった私にとって、他の職のその成り方の辿るべき工程、過程が全然見えないんですよ。
そもそも何に就きたいのかとか決まってないのもありますし、言うてそこまで調べたりもしてないですけど、世の中見てると一般職の中でも変な経歴でそこに到達してる人ばかりが目に入ってきて困惑です。
そんなに綺麗な並びだけで世の中成り立ってないよっていうのもそうなんだとは思いますが、そもそも職という括りがナンセンスなんだとも思いますが、そういう具体的な情報があったら、世の中全体での行動が起こる確率が高まる気がするけどなぁっていう話でした。
行動が起こるっていうのは、例えば、家庭教師してて生徒見ててよく思うのが、よく聞かれるのが「何が分からないかが分からない」と「気持ちはあるけど何から手をつけて良いか分からない」という話。
一応、こんな私でも指導者なので、自己分析が足りてないという切り口で解決策を毎度提示して上手いこと理解へ導けてはいますが、その勉強という圧倒的に人類(大げさなので少なくとも日本人)の大多数が経験し、数多く残された体験、経験値を元に解決策が既に見つかっている分野だから言えてるというのはあって、なかなか他分野への応用には苦戦中ですね。
でも、その具体例のように、目的に対する適切で具体的なアプローチが残されているというのは素晴らしいことです。
誘われてる飲食店の社員に仮になったとしても、そもそもバイトとして入れたのがスカウトだったり、チェーン店じゃなく個人経営店だったり、運要素強めで再現性が低い点で悩んでたりもしますし。
まぁ、でも、この先の人類は歴史に学んで同じ道を辿ることから脱して、脱させられて(?)、これまでにない新しい生き方が要求されることになりそうですし、そういうのは甘えかなぁ。
歴史に学べることは何一つないとかそういうことではないですけど、ロールモデルは一般にとって必要かなぁ。
過去を学ぶのは勉強、新しいことを作る、探すのは研究。
某人の言葉で言えば、勉強は過去の研究結果を学ぶこと、研究は勉強できるようにすること。
全員研究時代?いや、勉強かつ研究時代?
このブログという媒体で、少なくとも私の人生での道筋を具体例として残していけたらなと思います。
既に経歴が特殊に走ってますが。