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信用か本質力か

こんにちはSOです。

 

この記事もまた前回記事を受けて、前々から思ってたことに繋げて考えたことを書いてみようかなと。

 

最近ではすっかり周知の事実となったように思いますが、かき氷のシロップは味はどれも同じだけど香料のおかげで違うように感じるというもの。

 

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(ちなみに、最近は食べてませんが子供の頃はメロン味が好きでした。)

 

この場合はシロップの色と注文時の該当フルーツのイメージとの兼ね合わせによるプラシーボが働いているとも言えますが、知らないうちは信じて疑わなかったですよね。

 

整形に対して難色を示す方がいたとして、でも外科医やそれに対する知識が深いわけではない人が本人から聞いたり、明らかに違和感があったりするわけではない時に、好きになった異性が実は整形だと知ったらどうなるのか。

 

それでもその人が好きだからもう構わないというパターンもあれば、やはり整形はちょっと…というパターンもあるでしょう。

 

その事実を知るまでにいかに相手のことを好きであれ、愛していたのであれ。

 

まぁ、それほどこだわりがある人は「整形とか経験ある?」って聞いてたりするものなのかもしれませんが。

 

まぁでも本人が事情を言い出せずにいる場合もありますよね。

 

例えば、実は性転換手術を受けての今がありますとか、こう見えて実は異性ではないんです、とか。

 

あぁ、あの、予め言っておくと差別意識とかは私はないですので。

 

別の例を出すと、正月にある「格付けチェック」という番組は分かりやすいかもしれないですね。

 

普段は、買い物の際には値段は表示され、それに対する背景や価値を判断する余地を与えられてその上で信用をし、購入しているわけですが、実はその信用となる前情報を隠されると本質を見抜けなかったりする。

 

信用を摂取しているのです。

 

こと私に関しても、ヨウジヤマモトというお高い服を購入していますが、原価率なんて分からないですし、使われてる技術の難しさ大変さは体感で知り得てはいないものですから、その会社を信用して、というよりせざるを得ずに買っているだけで。

 

何気なく食べた弁当の唐揚げが、鶏肉だと思い込んで食べて、違和感を覚えず、もしくは多少は覚えたとして、種明かしで「カエル肉でした、昆虫でした」って言われたら急に吐き気を催したり。

 

その場その時その物を体感した自分の感覚よりも、本質的な背景や正体を重視してしまうことは、果たして良いのだろうか?

 

また逆に、体感では価値を見出せなかった物に、本質的な背景や正体を論理的に説明されれば、ある意味で洗脳が効いて価値を感じるようになることだってある。

 

例えがあってるか自信ないですけど、見るからに良い点が見当たらないのに、「実は大金持ちで経営者なんです」と打ち明けられたら見る目が変わるとか。

 

遊んでばかりで、見た目も派手で、いかにも対極を伺わせているのに、「実は高学歴でお勉強もできます」と知ると見る目が変わるとか。

 

個人的な実体験でいうと、お酒に対して苦手意識を抱いてたんですが、飲みの席に連れられて行くことが多いのですよ。

 

ですが、お酒を作る工程を調べたら、要するに背景を知ったら俄然興味が湧いて、解釈のための視点が増えたおかげか味わい方が分かったり、いやらしい話ですが生中1杯500円そこらもする飲み物を毎食3〜4杯飲んでそのお会計は払っていただけると考えたら、満足度というか優越感が高まった気がするのも正直なところ。

 

最近、寿司の仕込み動画とかたまに見てるんですけど、やはり手間が掛かってるんですよね。

 

仕込んでからお出しできるまで40〜50日掛かってたりするものもあったり。

 

そういう本質、裏側(背景)、知識、手間という目に見えない、その手間を実体感はできないと軽んじてしまうのだけれど、そういうのを理解すると一度のお寿司でお会計3〜5万とか言われてても、高いとは思いますけど、妥当なんだろうなと思うようにはなりました。

 

ラーメン自作動画とか見ててもスープから具材から麺から作るのはホント時間かかってますよ。

 

ただ、大量生産可能な恩恵に預かって1,000円以下で食べられることがほとんどです。

 

まぁもちろん、背景を知らずとも価値を感じ取れる目利きの力を養い、そして背景も大事にできる両立が素晴らしいことは間違いないと思うのですけどね。

 

まさにGACKT神ですね。

 

ただ、そこまでの道のりの中では数え切れない失敗があるのかもしれませんが。

 

名言ぽい言葉を見せて、最後に実は無名の人が考えたものだと明かしたら急にしょうもなく思えてくるとか。

 

言われないうちは知らないうちは分からない。

 

分からないおかげで幸福を感じるハードルが低いのであれば、それは幸せとも言えるかもしれない。

 

 

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