こんちにはSOです。
先行者利益。
ようやく、ホントようやく、謎だった自分の感情の理由が理解できた気がするので書いてみようかと。
最近、一般人層にも、ヨウジヤマモト愛用者層にも幅広く認知されつつある「落合陽一」さん。
過去にも話したことがありますが、まだこんなにも認知される前の、具体的にはいつだったかな?
神戸電子専門学校にて彼の講演会があった際に足を運んだのですが、それは知ってからすぐの出来事だったのでその1〜3ヶ月前ですね。
私が彼を初めて知ったのは。
当時はまだまだこんなには認知されておらず、たまったま本屋巡りの最中に見つけた、彼の著書である「これからの世界をつくる仲間たちへ」を手に取ったことがキッカケでした。
(↑調べたら初版だった笑)
その頃から本は手に取って買うものの大半が積ん読な中、あまりに興味深くて即座に読み進め、興奮したことを覚えています。
そしてTwitterで検索かけて講演会情報を知り、行っては、続いて京大にての講演会にも足を運び、
今ではYouTubeにはホリエモン、ひろゆき、西野亮廣などと並んでビジネス論客扱いな切り抜き動画が量産されていますが、NewsPicksというサイト(アプリ?)の一つのコンテンツとして配信されていた「ウィークリー落合」の動画を上がっている分は全て視聴し、人生にとってものすごい刺激になっていました
(この辺の細かい時系列は覚えてないです)。
一般層の認知としては、その後すぐに放送された情熱大陸の「カレー飲み」のインパクトや、過激なツイートや、間空いてNEWS 0のコメンテーターとして出演した際の「着る服ないの」セットアップが物議を醸したりと、話題には自然となって行きましたと。
仮にですが、私を古参認知者と定義すると、一般層にも広く知れ渡ったのには悲しさというか、残念感というか、言いようのない「自分だけのものにしておきたかった感」があるんですよね。
要するに、本来、私に対して生じることのない不利益を与えられたかのような「負の感情」がそこに生じたかのような。
よく耳にする話なら、有名になる前の音楽アーティスト、バンドを古参として好きだったのに、有名になるにつれて、TVなんか出るようになっちゃった事なんかを遠く感じたり、何か変わってしまったように感じるアレと一緒かなと。
また、個人的なもっと昔の話を具体例として出すなら、ゲームを買ってもらえなかった時代にたまーに買ってもらえたコロコロコミックの広告欄で見つけた「パタポン 」の広告に面白そうという感情を抱き(全く有名でもなく他人づてに話を聞いたことはなかった)、たまたま親友の姉だか兄だかが持っているとのことでやらせてもらって、どハマりし、しかしPSPすら持っていないので放課後に会ってはやらせてもらっていたのです。
(これはPS4のパッケージですが…)
私発信で親友やその他友人も「パタポン 」にハマり、そのことが快感でした。
それからまもなく2が発売されるという話になり、それからですよね、なんだかよく分からない嫉妬のような負の感情が湧いて、ハマった友人達に買って欲しくないなと思ったという話。
直接的に「買うなよ!」とか言ったりはもちろんしてませんが、自分はできないのに(発売してすぐはさすがに借りることもできない)周りは毎日のようにでき、自分発信で伝播したものが他人発信のコンテンツになってしまうことへの不安や嫉妬だったんでしょうね。
それは中学1〜2年の頃の話でした。
続いて、確か高校2年の時の話。
1年の頃まで漠然と医学部志望を掲げていたものの現実勉学に身が入らず成績が出なかったことから3者面談などを経て他学部志望にするという話になり、なんとなく建築学部と決めたものの大学はどうするかという話になって迷っていた時、当時3ヶ月だけハマった「SKE48」が名古屋のグループということで名古屋大か名古屋工業大学にしようと思い立った過去があり。
早速、名大のオープンキャンパスに行ったり、当時やっていたmixiで知り合った愛知の子とオフ会したり、2、3度行った程度でしたが、もはや私の土地だと言わんばかりの愛を持って名古屋への憧れを強めていました。
(ちなみに名古屋の駿台に浪人先として通うことにしたのはこのことが影響しています)
田舎の高校生なんて家族旅行でもなければ気軽に都会に出ることはないのでたったそれだけのことでも大きな出来事なのですよ。
それで同郷の周りの人間が名古屋について語ったりするのを耳にすると(大学受験においてや、買い物において)、先述してきた負の感情を抱いてました。
はい。
今回は抽象的ですみませんね。その上、少し気持ち悪いというか、頭おかしい、悪いと思われてても仕方ないかなと思います。
さて、本題はそのような感情の理由が分かったからなので敢えてさらけ出して書いてきたのですが、結論としましては「先行者として周りとの時間的差分利益を有効活用できなかったこと」に尽きるかなと。
簡単に言えば、「周りが知らない事を知った」という単なる事実を相対的に上回ったと解釈したことで、「他人が知った情報になる」現象が起きると本来+だったものが0に戻るだけのことを事実以上に相対的に下回った気がしてしまうことで、自分の矮小さを嫌が応にも感じることの反動としての感情だったんだなと。
0→+→0 0→+→--
分かってましたが、要するに意味不明な嫉妬なんです。
なぜ、意味不明でいてそんなにも負の感情として大きなものなのかというと、恐れているんですね、少なくとも私は。
何をかって、それは私が対象に素晴らしいと感じただけの正の感情を覚えた時にどれだけのメリットが当人に生じてしまうのかということに対しての恐怖なのです。
追いつかれて追い抜かれる。
なのでここでそれに対しての対処法の結論を言うならば、「周りよりも先行者として時間的に相対的なメリットを享受した時は周りとの差が時間的に縮まってしまう前にメリットとして具現化/具象化してしまうこと」なんだろうなと。
具現化/具象化とは言っても曖昧で現実味はないとしても、良いものを見て「良かったなー、良かったねー」で済ませてはいけないといいうこと。
例えになってるか分からないけど、ZOZOの前澤社長が月に行ったとして「いやー凄かったよ!」の一言で済ますわけがないんですよ。
そこで受けたイメージや衝撃を何か形としてビジネスに応用するだろうし、そもそもそういうことを公表してるだけでも宣伝効果が生まれていたりと、そういうことなんですよ。
月旅行だって、今は先行者なだけで、時間が経つにつれて私たち一般人も行けるようになるでしょうし、現時点で最も分かりやすい先行者利益の具体例かもしれませんね。
だから、落合陽一を知って凄えなぁ人生変わったなぁって思ったのなら、その時に具体的な行動にその感情を乗せて何かしないと、ただただ知識があるだけの老害的意味合いの嘲笑の対象としての「古参」になってしまうんだろうなと。
そのこと自体は周りとの差がつかなくなった今からでも遅くない、どころか遅いという概念すらないことなわけで、相対的にじゃなく、私という絶対的な存在にとっていつからでも取り組むべき事象なのだと。
ヨウジヤマモトが今まで以上に愛用者が増えるのなら、先行者な今のうちに自分のスタイルを確立して後攻者に抜かれない地位を確立し、そのことをより他の分野にも伝播させていくべきなのだろうなぁ。
ってか、ヨウジヤマモトも最近購買層以外の一般の方の目に触れる機会増えてきた気がしますよね。
自分が知ったから目につくようになっただけなのは否めませんけど、GroundYの有名どころのコラボとか、ニューエラと乃木坂のコラボとか、インフルエンサーによる着画や紹介とか(YouTube、Twitter、Instagram、TV)。
それこそさっきから名前を出してる落合さんもずっとヨウジヤマモトを着てるのはめちゃくちゃ知名度アップに貢献してるだろうし、私もその一人ですし(笑)。
享受した先行者利益は先行者として、その利益を形を変えて利益として配布する分野先駆者へ。
それしかこの負の感情に対する戦い方はないと思いましたという話でした。
Twitterリンク↓
http://twitter.com/arihure_jinsei
[追記](おまけ)
投稿して数日、ふと気付きましたが、ペルソナもそうですね。
私はペルソナ4ザゴールデンを発売日に購入したのがこのシリーズの始まりでしたが、買った動機はたまたま寄った地元のGEOに張り紙してあったのを見て一目惚れってのも変ですが、ピンときて購入しました。
それっきり、そんな買い方をしたゲームは記憶にはありませんね。
しかし、5発売されて、スピンオフ作品のダンスゲー、最近はスマブラにジョーカー(主人公)が参戦、秋にはシリーズ続編発売で、今日はTwitterのトレンドにペルソナ無双がランクインと…。
素晴らしい作品ですし、一番好きかもしれないですし、そりゃオススメなんですけど、自分と互角やそれ以上に熟知したり熱く好きな人とか増えるって考えると相対的に自分の価値が下がるような感覚になっちゃうんですよね〜。
まだ自分発信をキッカケに好きになりました!とかなら自分への正の感情が世に生じるのですが、なんて。
で、よくよく考えればおそらく「独占欲」なのかなと。
的確な言葉が存在してたじゃんて(笑)
まぁ、その根本理由として「恐怖」があるのかもしれませんが。
ジメジメした感情だなー。
逆に、みんなの好きなものを私が好きになりまくって恐怖の存在になってやろーかなー、なんてね。悪くない。