SO@過去の自分に伝えられるなら

傷つきたくないから探してる/不定期更新/備忘録&日記

嫌われたくないんや縮こまり

こんにちはSOです。

 

「それは言い訳にはならない、やる人はやる」らしいことは分かった上で、敢えて、最近時間がなくてやる気が湧いたくせに書けてませんでしたね。

 

というのも、隙間時間で言えば、1〜2時間はあるんですが、まとまったもので言うと、時間がない。

 

学校から与えられる課題はないんですが、自分を高めたくて自主的にやっている課題を詰め込むと毎日時間が足りないんですよ。

 

しかも、これまでは飲食店のバイトをしていたので、余計時間がないし、と言っても長くて1日3時間しか入れてはいなかったんですが、終わった後の疲れの余韻が響いてなかなか大変でした。

 

さて、「これまでは」と言いましたが、早くも飲食店のバイトを辞めました。

 

理由としては、何よりとにかく「元気」を前面にという理念?スタイル?がどうにも身体に合わず、シンドくなってしまったこと。

 

あと、これは前に住んでいた土地での飲食バイトの時もそうでしたが、時間に追われる中での接客のプレッシャーに押しつぶされて耐えきれませんでした。

 

説明すると、前者はそういうイメージの飲食店なので理解はできましたが、声も大きく、常に笑顔で、雰囲気も明るく、動きはキビキビとという環境が本当に合いませんでした。

 

もちろん、自分なりには「やったつもり」です。

 

だけど、とある日の営業終わりに、「改善点があれば遠慮なく指摘して欲しい」と伝えたところ、店長から「何度も言ってるけど、元気が足りない。淡々とこなしているように見える。」と言われ、それがきっかけで辞めることを決意しました。

 

正直、ショックもありましたが、逆に捉えれば、内心はビクビクして緊張まみれでやっているけれど淡々として見えるというのはそれはそれで才能で、能力だなと気づきを得たので、これは相性が良くなかっただけなんだなと思うことにしました。

 

伝えられた内容よりも、こちらから尋ねてようやく改善点、良くない点を教えてもらえたという事実が最もショックでしたけどね。

 

じゃああの日聞かなかったら、それを内心に留めたまま知らずにまた働いていたのかと…。

 

次に、覚悟はしていましたが、チェーン店ということもあり、種類が豊富なメニューの省略した書き方、口頭での伝え方から何から、覚え切れていない中で時間にも追われ、ミスしたくないプレッシャーにも心臓を握られ、ずーっと背中に冷や汗かいてました。

 

覚える努力として家でも略称表を音読したりしていましたが、机上での知識と、実際の場面での知識は全くの別物で、実際の現場で使っていくことでしか結びつかないのだと学びました。

 

しかし、私の入っていたシフトは深夜〜閉店までの、お客さんの少ない時間帯。

 

その数をこなす経験ができず苦戦しました。

 

かと言えば、日によっては満席になるくらい混み合ったりして、未熟なままで少ない人手で回す一員として動くのは大変でした。

 

というより何より、新人教育の方法が全く確立されておらず、シフトごとに教えてくれる人が変わるし、その人はその人で自分の仕事をやりつつで付きっきりではないし、故に自分がやっていることの正解を見せてもらうことなく口頭説明だけでやらされるから「常にこれで合ってるの?」という疑問でいっぱいの中動くっていう。

 

もちろんそれで大丈夫か質問したりするけど、人によって方法違ったり、素っ気ない返答だったりで、しんどかったですね。

 

とまぁ、悪い点ばかり羅列しましたが(ホントはもう少しあるけど)、これくらいはどこでも普通、平均的、標準なのかもしれないし、むしろ人間関係としては一度も怒鳴られたり叱られたりもなかったので全然マシなんだろうなとは思っていました。

 

だけど、何か学びや得るものがあると思って大変そうだけど覚悟を決めて履歴書を出したけど、基本仕事をこなすだけだったし、それなら元気がどうとか、新人教育が適当だとか、毎回変な挨拶やら振り返り日記みたいなのやらされたり、はもういいかなと。

 

その一方、これは「逃げ」ではないかと、死ぬほど悩みました。

 

いや、逃げという意味では、何かから退散するということにおいては、逃げに含まれるのだとすれば、善的な逃げなのか悪的な逃げなのかの後者に当たる可能性は考えました。

 

要するに、ただただツライから、大変だから、そこから逃げるのではないかと。

 

そんなようでは、今後、そのような場面で同じように逃げてしまうのではないかと。

 

そう恐れていました。

 

こんな序の口なゆるゆるレベルの職場ですらまともにこなせないなら他では通用しないし、自分の理想とする人生は送れないのではないかと。

 

その一方で、個人店で融通が効いたとはいえ同じ飲食店で3年半続いた実績はあるし、家庭教師は依頼人からもお褒めの言葉を頂くくらいには(建前の可能性は否めないけど)適していたと思っているし、今回の職場が単に合わなかっただけでしょとも思う。

 

し、たかがバイトで苦しんだり悩んだりするなら、その時点で合ってない、のかも知れないという意見も見かける(バイト前は吐き気が止まらなかった。がそれは前の職場もそうだった、程度の差異はあるが。)。

 

しかし、また一方で、世の中の大半が仕事であれバイトであれ、大変な思いしてやってんだよ、って気もする。

 

と、「悪的な逃げ」vs「相性の良し悪し」が50:50でずっと戦い続けて、悩みに悩みました。

 

でも、結局、前の大学が続かなかった一因としての「何のために生きるのか?」という問いから続く「好きなことをして生きていきたい」という解、及び現在通う学校の選択理由などを思い返したところ、「楽しくないなら、つらいだけなら、自分に合っていないなら」辞めよう、という風に決めました。

 

まぁ、そんな都合よくやりたいことのバイトが転がってるわけではないんですが、折り合いや妥協のつく範囲でまた探します。

 

と、ここまでは近況と思考の吐露だったんですが、それに付随してのまた思うことを少し。

 

私、幼い頃から怒られることがとても嫌で、プレッシャーとはずっと戦ってきたなと思います。

 

小学生の頃、サッカー部でキーパーだったので、最上級学年当時であっても試合前は毎回緊張してお腹を崩していました。

 

下手しても怒られることはなかったと思いますが、怒られるどうこうというより、残念がられる、呆れられる、落ち込ませる、集約して嫌われる(=自分に対してマイナスの感情を抱かれる、抱かせる)ことが嫌だったんだと思います。

 

まぁ、みんなそうだと思うけど。

 

中学サッカー部時代では、キーパーは1人しかポジションがないので争いになるわけですが、出たい気持ちもあれば、出れば緊張でしんどいし、上級者は不良揃いの中試合に下級生として出れば失態への責めは厳しいし、という葛藤で悩んだし、高校では厳しい担任が担当する数学の授業で毎回、出席順に当てられるシステムに怯えていたし、やっぱり個人にフォーカスが当たる場面での失態を常に恐れていた。

 

それらは基本的に逃げ場がないから無理にこなさざるを得なかったけど、そういうマインドではなく積極的にこなしてきた人(授業中に挙手したり、授業後に質問したり、生徒会に入るなり、部活でスタメンを張るなり)との積み重ねの差がこの歳になって露見してきたなと思います。

 

また、個人的な話なので抽象化して皆がそうとは言い切れませんが、恋愛経験の少なさも影響を及ぼしています。

 

あっ、今思いましたが、今記事、全体通じて、自己肯定感の話をしていたかも(笑)。

 

恥ずかしいので私の恋愛遍歴やらを具体的に語るつもりはありませんが、多感な思春期の小学校高学年、中学生、高校生の時に異性からモテた、好きになられた、好意を抱かれた経験がありません。

 

とはいえ高校生後半で初めての彼女はいたので厳密には違うのですが、この件に関しては例外的な特殊な事情が絡んでのことなので省きます。

 

基本的に、身近で、0から自力だけを使い、直接的に知り得たものだけにします。

 

片思いされていた可能性などは知り得ないので除きます。

 

当時の自分であれば素直に他人に対して認めることはできていなかった気がしますが、今振り返れば、当時はやはり異性からの好意に飢えていました。

 

どうのこうのしたいよりもまず、認知されたい、認められたい、存在を肯定されたい、それもやはり異性から、と。

 

髪型にせよ、振る舞いにせよ、取る態度にせよ、そこらへんの気持ちが土台になって形成されていたとは思いますね。

 

気持ちが念頭に常にありましたから。

 

しかし、先述の通りの、その10年近く、今もなお続く満たされない思いは確実に自分から自己肯定感を削ぎ落としています。

 

最近気付いたんですが、好きって何なのか分からなくなってきたんですよ。

 

自分なんかに好意を抱いてくれるのなら誰でもいいし、変な話、周りの女性(基本同い年付近)には「自分らしさより悪い印象を与えないように、好印象で」という気持ちが先行して応対してしまいます。

 

悪いことではないでしょうが。

 

それくらいなんか色々と拗らせてきてしまっていて、他人からの評価に怯えて過ごしていますね、日々を。

 

の割には、目立つであろうヨウジの服を着てますし、バイトもやるつもりだし。

 

とまぁ、長くなりましたが、言いたいのは、自己肯定感はいろいろなものやことによって形成されるけれど、そのうち異性からの承認?である恋愛経験て、人それぞれだの年齢なんて気にしなくていいだの下手に擁護される世の中だけど、気持ちが芽生えた年齢から早ければ早いうちに経験しておかないと悪影響を及ぼすと思うよという話。

 

あとは、前半の話のように、プレッシャーのかかる場面をなあなあにやり過ごすんじゃなくて、自分を高める場として捉えて立ち向かった方が後々良いよという話。

 

具体的には部活だったり、授業での発表だったりバイトだったり。

 

まぁ、そういう弱い自分も自分だと認めて、認識して、そういう立場が分かる強さやそれを強みとして出せる場を作ることもできるわけで、一概にダメだとは言えないけど、結局は望む自分はどちらの方向かということなのかも知れないね。

 

そんな私はその弱さが弱い他人への理解に繋がった場面も経験したし、理想への障害として壁になって困ってる現状もあったりで、今は立ち向かう強さも欲しいなって思ってる。

 

「彼女欲しいな」ってことなのかな(笑)?

 

では。

 

 

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落ち着くコメダ

 

結局、マインドゲーだなと思う。気にしない強さがあれば勝ちだし。まえーに書いた記事の、ヒッチハイク力(ヒッチハイクできるだけの度胸)と同じ。恥ずかしさとか怖さとか、そういうのに立ち向かえるメンタル、マインドがあればねっていう。

こないだ授業で習ったけど、人が変わりたくないのは生存確率が高いままを維持したいというDNAに刻まれてるレベルの話らしいので、仕方のない側面もあるけれど、それでもやってる人はやってるしね。

真面目に良い子に生きてきたつもりだったんだけど、何にとっての真面目さだったのかは考えてなかったよね。

オススメに上がってたJリーグの口論シーンとかYouTubeで見たけど、ニュースとかじゃなく現場にいた素人がスマホで撮影した現場の雰囲気丸わかりの動画として見ると、選手とかヤンキーにしか見えないもんね。

みんなオラオラだし、事あるごとに審判に詰め寄って怒鳴ってるし、あんなん審判なんて無理よ。一度だけ社会人サッカーの副審したけど、選手にはもちろん、ベンチからもワーワー言われてメンタル崩壊したし、プロならお客さんもいるしね。

小学校時代に上手くて、中学行ってもスタメンで、将来考えた上で強豪校の高校でもスタメン勝ち取って、実績残してプロになって、そこでもまた上り詰めて国の代表になって、みたいなのが例としてサッカーでの理想だろうけど、常に一番ないし一桁の実力がある事前提でようやくたどり着く場というのは実力だけでなく、メンタルも伴ってようやくなんだろうなと思う一面でした。