こんにちはSOです。
天気が良く、部屋が散らかっていたのもあって、掃除dayにしようと思い立ち、学校をサボりただ今風呂の中でございます。
やはり、通常の「不可避、不可欠、仕方なく」な風呂とは違い、余裕のある湯船に浸かる時間にはブログを書こうと思い立つらしく、自然と開いております。
いつも買わせていただいている洋服のブランドのヨウジヤマモトにおいて(気付けば知らない人が読む可能性もあるので、一応遠回りして説明もたまには)今季はお気に入りのアイテムが多く嬉しい悩みが尽きないため(お気に入りアイテムが少ないシーズンとは言っても保持アイテムとの相対的な数の差により、必ず発するアイテムは少なくとも存在するので金欠で毎シーズン回収し切れていないのだが)、今回は「欲」について書こうかなと。
タイトルの通りですが、私もネットで中古市場などを徘徊していると、「あ〜あと100〜200万あれば欲しいアイテム回収できて、服に満足した生活が送れるのになぁ〜」って思うものです。
でも、それ、去年も思ってたんですよね。
ザッと思い出して、50〜100万は1年で費やしてきての今のはずなのに、その当時の欲が収まったかと思えば、むしろ強まっててもっと欲しいアイテムが増えてたりしていて。
強まってるのは一時的なものであって恒常的に求めれば強まり続けるものであると言いたいわけではないのですが(実際、服欲が減退していた時期も過去記事にはあったはずだし)。
欲にも幅があって、服に限定した欲もあれば、当然、食欲、性欲、睡眠欲の3大欲求をはじめとして、時間欲、健康欲、ゲーム欲、旅行欲、まぁなんでも。
大概のことにはお金が不可欠だからお金欲、何をするにも時間は必要だから時間欲、これらはまぁみな欠かせないかもしれません。
でも、最近思ったのが、お金持ちになってもお腹はすくし、眠くなるし、お風呂には入らなきゃだし、着替えもしなきゃならんし、ストレッチや筋トレもするのならその時間も必要。
要するに、お金がない時でも人としてしなきゃならないことは、お金があろうとやらなきゃならない事実は変わらないということ。
例外として、お金を支払うことで「食材を準備し、料理を作り、後片付けをする」という工程を省くことはできるだろうし、「眠りの質を上げるために寝具を良いものにする」という工夫はできるだろうし、「着る服を選んでもらい、着せてもらう」ことも可能だろうし、「取るべき自分に合ったプランを立ててもらった」ストレッチ筋トレをすることもできる。
けれど、いずれも、食べて流し込む、脳も身体も停止させる、着せてもらう、実際にする、という「時間」は避けられない。
要するに何が言いたいかと言うと、「お金があるが故にできる不可避な日常行動以外の何かでしか幸福は得られないのか?」ということ。
逆に言えば、お金がなくてもお金のある人と行為自体は差異のないことはできるということ。
更に結論としては、お金があろうがなかろうが人として、生き物として生きている以上本質は変わらないし、変わらないということはお金がない状態であっても(最低限度はあるとして)人生を楽しめている人はお金があればより楽しめるし、お金がないからと人生が楽しくないのだと言う人はお金があっても変わらない"だろう"ということ。
不可避な日常動作以外のこと、要するに余暇でのゲームやテレビ視聴、読書、スポーツ、ギャンブル、なんでも良いけど、それらをするに必要なお金って規模にもよるけどたかが知れているはず。
お金がなければ余暇は楽しめないものであるのだとするならば、子供が学校の休み時間に楽しそうに笑うことはないだろうし、それって楽しめるかどうかはお金とはまた別問題。
幸福がいつのまにか楽しめることに変わってしまってるけどまぁそれはおいといて。
生き物として不可避な衣食住とはまた分けて、人として不可避な「仕事=お金を稼ぐ」ことに関して不満があるから(キツイ、人間関係が悪い、遠い)幸福感を得られていてない、というのも金銭の有無とはまた別ではないかなと。
では、余暇を過ごすためのそもそもの時間がない、だから時間が欲しいっていう欲は、ない理由とそれについての対策次第だけど、何もかも停止すれば上限まで得られるものだからそれはなんとも。
エピソードとして、私は前に通っていた学校時代はまともに学校に通えていなかったから(理由はいつか機会があれば)「時間がある」状態についておそらく大抵の人より知ってることや経験値が深いと自負していますが、結局時間があればできることもただそれだけの事実ではやらないからね〜。
時間があれば〜したいってこと、忙しいと山ほどあるじゃないですか。
靴磨きがしたい、部屋中掃除したい、(お金があるとして)旅行に行きたい、人と会いたい、お金がなかった私ならそこら中の知らない路地を歩き回って自分なりに地図を作成したり把握したい、とか。
でも、やったこともあれば、大概はやらなかった。
精神状態が完全ではなかったことも大きかったけれど。
風呂に入る時間が長くて、平均2〜3時間だったので、その時期はブログの更新率が高かったりはしたけど。
長くなったけど、「〜があれば」が満たされる日は来ないだろうし、満たされたとしてその時幸福かは本質的には別問題だと思うよってことをこれまでの経験から集約して抽象化できた気になったのでシェアしてみたよ〜って記事でした。
それでは。
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今日の一枚
水の感じられる生活に憧れる。