SO@過去の自分に伝えられるなら

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不敗で腐敗

こんにちはSOです。

 

調子の波に乗れそうなので、今回も。

 

あんまりこの思想を他人にひけらかしたこと、明かしたことはないのですが、私、幼い頃から自分は特別だと思っている節があります。

 

どういう風に?という話ですが、何か凄いことを成せるポテンシャルを秘めている、と心の奥底では思っているところが小学生くらいの頃からあるっぽいんですよね。

 

「ぽい」でおさめるのは、ネガティブな面が基本前面に出ている上に、実際そうだと証明できる事実を何ら積み重ねてきてはいないからなんですけど。

 

まぁ、でもこんなことは誰しもにあって、厨二病の延長みたいなものなんだろうなとも思ってはいます。

 

サッカーにのめり込んでいた小学生時代に家にあったキャプテン翼を読んで、自分も翼や若林のようになりたい、なれるみたいなところから生まれた感情なのかな、と思ったり。

 

でも、ややこしいのは、その小学校のサッカーチームの歴史には残る成績をなまじ残せてしまったがために、調子に乗ったというか、成功体験を味わってしまったため、それを過去の栄光として掲げてしまっているのかな、と。

 

まぁ、性格的には目立ちたいとか、陽気みたいなところとは対極にいるので、人に話したことはないのですが。

 

んで、中学上がってからも当たり前のようにサッカー部に属し、順調に進んでいく(プロになりたいとまでは思っていなかった)ものだと思っていたんですが、よくある挫折なるものを味わうんですね。

 

上級生がヤンキーしかいないし、それまで学年で1番後ろ付近だった身長の伸びも中学2で止まるし、気が弱いので中々コミュニケーションにも難があるし。

 

その頃からは、「ポテンシャル」を示す機会はなく、「やればできる」という内に秘めた思いになっていってしまいました。

 

受験も、何故かなんだかんだ医者になるものだと思っていたものですから、時間に身を任せるだけで、何か努力をするでもなく、サッカーは環境が悪いだけで、やれるなら誰より上手い自信だけはあったし。

 

それでグダグダ過ごして浪人2年目まで変わらず。

 

もうそこまで来ると努力の具体的な仕方が分からなくなってましたね、今思えば。

 

まぁそんな私も、なんとか、今はそこから脱せて、地味なコツコツとした積み重ねを1年と半年ほどはちゃんと出来てきたのでその過去を話すことができるくらいにはなれました。

 

まぁ、だからこそ当時を総括できるといいますか。

 

でもですね、今は今で苦しいところはあります。

 

属する集団で1位になれるビジョンが見えないんです。

 

スタートラインが20半ばともなれば人によって違いますので、過去の積み重ねに短期間で打ち勝てるとは思ってないんですが、努力量、質みたいな観点でさえ勝てる気がしないんです。

 

だから、人とは違う差別化ポイントをすぐに求めてしまう。

 

逆張りとまではいかないけど、人にはない発想でお前らとは違うのだと自己表現したい欲求が強いなと感じます。

 

まぁ、それは一概に悪いとも思ってはいないんですが、本質的なところ、「実力」で劣っている以上は、互角になれそうでもない以上は、逃げの一手なのかもしれないと思ってしまうんですよね。

 

まぁ、何の分野であれトップになるというのは難しく、上を見たらキリがなく、そもそも順位付けができる分野の方が少ないのかも知れないんですが、少なくとも自分自身が自信を持てないことには始まらない。

 

なんか、現状について具体的には語れなくてすみません。

 

いつか具体的に話すので今はニュアンスで。

 

ただですね、敗北感、劣等感を味わえているのは逆に言えば勝負の土俵に立てているということの証明でもあると気づいたんですね。

 

そう、タイトル回収に入りますが、過去の私は勝負の土俵には立たないことで「負けることはない」状況にいたんです。

 

勝てはしないけど負けもしないんですよ。

 

なんなら、負けはしないから、勝てるポテンシャルを語れてしまう。

 

ここで否定したくないのは、ポテンシャルを信じるのは自由なんです。

 

ないことの証明、悪魔の証明にはなるものの、本当に何か成せる凄い実力がある可能性なんて全然あるんですよ誰しも。

 

だけど、可視化されたものじゃなきゃ他者はそれを評価しようがないのも事実。

 

家庭教師で教えてたから分かるんですが、いくらやる気はあったと言われても、宿題やってこないことが多発する生徒を評価しようがない。

 

気持ちとか感情なんて見えないから。

 

それを誠実さ(嘘をつかない、約束を守る)や成績の数値などで見せられなきゃ信じようがないんです。

 

なんか、当たり前のことすぎて何を今更語ってるんだという気になってきましたが…。

 

まぁまぁ、何でもいいんですけど、自分という人間の気持ちなりポテンシャルなりなんなり、目に見えないものを他者に評価されたかったら、可視化された現物を創造して、評価の場に呈して、晒して、評価を受ける覚悟が必要なんだなと、そう思ったっちゅー話ですね。

 

他者を批判的な目で見てしまいがちな自分に向けての戒めの思考整理でした。

 

それでは。

 

 

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[後書き]

単純に考えても、何かと競うって、最大勝率50%なんですよね。相手か自分かだから。それが人が増えるたびに確率は下がるのみ。ポテンシャルに関係なく、とりあえず「やらないと0」なのは事実だし、その確率に恐れをなして逃げたら、その分のロスで取り返しはより厳しい。

かといって、じゃあ全てが全て初期からやっていた順で決まるかといえば、そんな絶望でもなかったりするのだけど(レッドオーシャン、例えば野球選手とかサッカー選手になりたいなどの夢は競争数が多く、それになるためのルートが既にかなり開拓されているので、そうとも言えないが)。

でも、こういう話考えててたまに思い出すのが、中学時代の腕相撲の話。

私、少なくとも小学生まではその学年で1、2番手に力(物理的な)があったんですよ。

早熟だったのか、当時の身長に比例して。

脚の速さはそこまでではなかったですが、ソフトボール投げや腕相撲、握力測定などの瞬発系は割と得意でした。

それが中学になり、周りの成長速度が私に対して相対的に上がり、3つの小学校から集まったために人数も単純計算3倍になり、競争数も3倍になると、チラホラ敵わない場面が。

そんな時に、他校から来たヤンチャなタイプの子に誰かから聞いたのか腕相撲に誘われ戦ったんですけど、いざ始まった瞬間に私、力抜いてしまったんですね。

今思えば、完全に負けを恐れて、負けた状況を作り出さないために逃げたのです。

そういう自覚はなく「腕怪我してるし、勝てないからやめとく笑」ってな事を言ってた気がしますが。

そんなノリノリでやったろやーって向かった訳じゃなく、渋々感は出してたので乗り切れた感じでしたが、うん、アイデンティティの崩壊が怖かったんでしょうね。

それまでパワー系(ここでの意味での)と言えば私みたいな認識が他人の中にある人はあると分かっていましたし。

まぁ、それは休み時間の出来事だったので、不可避なものではなかったですが、次に思い出すのが、同じく中学の体育の時間にあった走り高跳びね。

まだ早熟のハンデを握っていた頃だったので、走り高跳びも相対的に有利というか記録が出ていたんですが、早熟レベルが同じくらいの他校の子、数人で高さが上がっていく棒に対して残っていて、勝てなかったんですよね。

授業だから不可避だし。いや、体育なら競うモノで50m走とかシャトルランとかもありましたが、脚系やスタミナ系は明確に苦手だと認識があったので、そこで負けることには何も思っていませんでした。

走り高跳びでの、届かない境地を超えていく同い年を目にして、敗北をしっかりと味わったのは覚えています。

ちなみに、勉強も日々やっていた時期ですが、強制である勉強は日々の積み重ねがモロに反映されるのと、好き嫌いが分かれ「やる気」という言い訳が効くために負けを認められるほど必死に追い込んだ経験がないので、部活や体育のようなポテンシャルに近いところでの競争とはまた別でした。

あと書きなのに、次々と書きたい事思い出して長くなってますが、ここでセカオワのファイトミュージックという曲の歌詞を一部引用します↓

「何で勝てないのかなんて本当は僕も分かってる

だって本気なんか出して負けたら どうする?

もうさ戦いを挑むから負けんだ

戦わなくていい「理由」を探しにいく為の旅でもふらっと行こうかな」

という歌詞なんですが、非常に分かりやすく、そのまんま。

この歌詞聴いて、自分の過去に思い当たる節が…、と気づいたような気がしますね。

ホントに強く思うけど、本気でやって勝つ瞬間、逆に膨大な数との何種もの戦い(スポーツでも勉強でもゲームでも)を全て勝利で終えられる確率は0だと近似して、本気でやって負ける瞬間、これは絶対に若いうちに味わっておくべきだと思う。

年齢上がるにつれて、ポテンシャルだけをやたら信じて、結果を残したことは一度もないなんて奴ヤバいから。でもそうなっちゃうのも分かるから。

勝つ事の難しさ、上には上がいることの無知の知みたいなこと、若ければ若い人にほど勧めます。

まぁ、過去の私に伝えたいですね。

ちなみに、現在、ここ数年の私は、中学、高校、大学まで逃げ続けていた資格系の検定に立ち向かっています。

どんだけ受験に有利と言われても、面倒くさいし、落ちたら恥ずかしいしで絶対に受けずに来ましたね。英検とか漢検とか。

当時は親が金出してくれてたので、「やらされた感」まだ出せたんでしょうけど、今では自腹なので逆に逃げずに立ち向かう背水の陣みたいな状況は作り出せますけどね(笑)。

てな感じで、少しずつ変われてきたかなと、ちょっとは自分を褒めようかなと。

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