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寒いと冷たい

3月に入って、ようやく暖かさを感じられる日が出てきましたね。

 

暖房、こたつ付けっ放し人間だったので電気代が冬は8,000円近くしていたのですが、これで半分ほどに戻るでしょう。

 

どうやら一般より寒さにはだいぶ強い人間ではあるらしいのですが、それは暑がり汗かき対策として不可避な暑さ対策として薄着が多いだけで、暖かい方が快適なのは言わずもがな。

 

外で何時間も過ごすなら着込みますが、外食行ってアウター脱いで置いておく場所を探したり(そもそも脱ぎ着が面倒)、電車の暖房が効き過ぎて汗だくになったりとそうなるよりはというだけで。

 

今年は以前話したように、NIKEのテックフリースジョガーパンツに出会ったお陰で快適に長ズボン生活を過ごせましたが、それまでは冬でも短パン履いてることが多かったものです。

 

よく頭がおかしいとか職質されるぞとかネタにされてましたが、寒さと冷たさって別だと思うのですよ。

 

あくまで自分の感覚ですが、「寒い(寒さ)」って「低気温による息のしづらさの感覚」だと解釈していて、息も凍るような時って心臓が締め付けられるような感覚になりませんか?

 

分かりやすい例は、風呂場で間違えて冷たいシャワーを浴びた時。背中に急に氷を入れられた時。

 

その時は、「冷たいっ」と声には出すと思いますが、寒さは瞬間的なものではないのでよいでしょう。

 

で、「冷たい」の定義は「低気温により部分的にその部位も温度が下がること」だと思っています。

 

言い忘れていましたが、身体感覚のお話です。

 

で、先述の冬の短パンに関しては後者だと思っていて、脚が冷えても身体全体に回るほどではなく、脚が冷たくなる程度なんですよ。

 

逆に、半袖だったらキツかったと思います。

 

何故なら、やはり心臓に近い分、息のしづらさに大いに影響するので。

 

だから、流石に上は長袖のインナーに何らかの上着は着ていました。

 

とか、わりかしくだらないことを力説したら、それはそれでまたネタにされたのですが…。

 

短パンより低気温を原因としてつらかったのは、手先が痛くなることと、耳が冷えることで頭が痛くなることはよくありました。

 

手袋は面倒を理由に否定派でしたが(スマホ触りにくいとか)、ファッションに多少目覚めてからは購入検討しています。

 

でも、耳ってなかなか対策できず、ニット帽はまだまだ初心者には手を出せないです。

 

寝起きに鼻の先が冷たくなった日は冷えるという自分予報を立てて過ごしてきましたが、もう春ですか。

 

ちらほら周りでも花粉症を発症し、しんどそうにしている人が出始めました。

 

私は非花粉症なので助かってますが、父と三男の弟は花粉症で大変そうです。

 

以前調べたところ、小麦が原因なんではないか?とか色々見つけて、グルテンフリーが世で流行ったり、かと言えば否定派が出てきたりと錯綜していますが、今後発症する可能性も考慮しまた調べ直して報告できればと思います。

 

それでは。

本格的に筋トレと減量を

具体的な数字はまだ明かしませんが、私は肥満体です。

 

食べることが好きなのは良くとも、最近はろくに運動をしていないので、ここ1年ほどで15〜20kg増量しました。

 

増量って表現だと意図的であるかのようですが、太った痩せたという表現が単に体重の数値の上限だけを意識している印象があるので敢えて使っているだけで、一般的に言うところの太ったというわけです。

 

飲食バイト先の高カロリーまかない飯や連れられ行く料理屋での大食いがそこまで増量させた大きな原因だと思います。

 

ただ、一時期筋トレをかじったことから、栄養が身体に反映されやすいという解釈もできるので、悲観はしていないのですが、さすがに日常動作にすら支障をきたし始めたので減量しようかなと。

 

筋トレは健康的に減量するための手段ということですね。

 

筋トレといっても「ジムに通ってる」と言いたくないがために自宅でこなすのがポリシーです。

 

道具はダンベル片方20kg×2とプッシュアップバー、腹筋ローラーのみです。

 

目標として、肩と脚、胸と二頭、背と三頭の組み合わせを回す感じです。

 

できれば筋トレ後に有酸素運動として、まずは膝のことを考えて30〜60分のウォーキングもしたいところ。

 

食事はタンパク質を体重×2g摂取で、カロリーは1500〜2000以内かな。

 

あまり身体をデカくしたいとは思っておらず、バランスよく全身がある程度鍛えていると分かり、唯一自信のあるコミュニケーションツールであるサッカーをいついかなる時に誘われても対応できるだけの身体は作っておきたいという思いがあります。

 

また、デブであることがネガティヴに影響しているのも大きく、顔立ちは変えられずとも可変要素である肉体の締まり具合ぐらいは変えないとなという意識です。

 

エストより太ももの太さでパンツを選ばないといけない現状も変えたいです…。

 

体格的に(?)、骨格的に細身にはなれないので、筋トレでむしろガッチリしようという試みはそれなりに自信をつけてくれたので、行き過ぎない程度には鍛えます。

 

そういえば、プロテインの選び方に悩んでるんですよね。

 

健康を目的としてするために人工甘味料は抜いて、バルクスポーツのアイソプロナチュラル味をこれまでは飲んでいましたが、後味スッキリは良くても、飲み始めに気力を使う感が(苦笑)

 

ゴールデンホエイという味付きの人工甘味料なしプロテインは良かったのですが、ちょいと高めで悩みどころ。

 

食事は栄養摂取目的という思考スイッチが入ると苦もなく飲めるのですが、なかなか難しい。

 

ブランパンとかサラダチキンとかゆで卵とか、サプリメントとか、まぁその辺のことはいつか健康に向けて気を掛けていることに関連させて詳しく語ろうと思います。

 

てなわけで、今日は背中と三頭筋のトレをしてきまーす。

 

効率ゲーム、効率

相変わらずまだモンハンを楽しんでいる日々です。

 

かといって歴戦古龍回しも、昨日までの丘の上の雪見桜回しもさすがに飽きたので、今はフリークエストの未クリアを消化してます。

 

のんびりと出るたびにフリークエストをクリアしていた人は残っていないでしょうが、私は右上に提示されたクエストばかりしていたのでだいぶ残っています。

 

でも、時間効率で考えれば、最後まで行った今の装備の方が強いので、そこからランクの低いクエストを消化するのは楽ですよね。

 

だからこそ、やる価値も低く、だるいのですが…。

 

中学の時にポケモンで同じことを感じたのを覚えています。

 

金銀リメイクにおいて、友達がやたら草むらで手持ちをレベル上げしていたのですよ。

 

金銀て原作もリメイクも他の作品に比べて四天王到達時のレベルが低いんですよね。

 

確か40前後だった気がします。

 

チャンピオンのワタルの切り札のカイリューで50レベルくらいだったはず(進化してないはずですが笑)。

 

当時は御三家信仰が強かったので、大概30代(36とか)で進化することを考えると、もう少しトレーナー増やすとか、道中を長くするとかしてくれないとつまらないなと思っていました。

 

まぁ、殿堂入り後にカントー編もあるのですけれど。

 

話は戻って、その友達はスリバチ山の野生コイル相手にレベル上げを延々としていたのです。

 

パーティー平均70前後とか。

 

凄いと思ってましたけど、殿堂入り時のデータって確かポケセンのパソコンの記録に残るはずなので、くだらないポリシーで、一匹だけ強くするとか、中途半端に四匹だけ強くするとかはせず、6匹バランスよく育てて回すことはしていましたが、そこまでのレベル上げってなんの意味もないような。

 

実際、友達にそのようなポリシーはなかったようですし。

 

時間効率にしても、ゲーム自体を楽しむためにしても、次に進んで色々すれば良いのになと思ったことを思い出しますね。

 

あぁ、そういえば今モンハンしててよくわからんなと思うのは、強いモンスターを倒すために揃えるはずの装飾品を集めるために強いモンスターを周回するという、矛盾ループみたいなことに陥っています。

 

強いモンスターを倒すため→強いモンスターを効率よくタイムアタック的に素早く倒すため、へと目的が移行しているかもしれませんが。

 

結局、コミュニケーションツール的側面から見ると、HRがどうとか、歴戦古龍がソロで倒せたとか、シナリオクリアしたみたいなことは前提で、何分針で倒せた的な強さの比較になるのかなぁと。

 

パズドラみたいに課金しないと最高効率パが制作不可能とかではないのが良いですよね。

 

そういう意味でシャドバを初めてプレイした時に、運は時間効率に関わるだけで、じっくりやれば無課金でも強いデッキが作れるという点に驚きましたね。

 

課金ていくらでも強くなれる分、その強さがお金の支払った額でしかないので他人と比較するならば同額課金者としかできないのが面白くない。

 

その点、モンハンワールド は課金要素が強さに直結しないので比較が目的化するのだろうなと。

 

それもそれでどうなのかという点はあるので、難易度の高いクエストとかあると面白いかなと。

 

調査クエストも時間や死亡上限で難易度調節されてますけど、それでも周回されちゃいますし。

 

そろそろゲームに目的を見出して、目的外では切り上げて勉強とかし始めようと思います。

 

それでは。

 

 

部屋と人生

今日は半年振りに大掛かりな部屋の模様替え(家具の配置変え)をしました。

 

大変だけど、それまでの不満点が改善され新鮮な気持ちになれるので割と好きなんですよね。

 

まぁ、それで新たな不満点が生まれるのでループなのですが…(苦笑)

 

ミニマリストにでもなればそのような無駄な気苦労も必要なく楽なのかも知れませんね。

 

と、本題はそこではなく、部屋の家具配置に正解はなく、自分の意識次第でどうとでも変えられるということです。

 

部屋の大きさは変えられないにしても、自分が変えようと思い立ったその瞬間から思うように変えられますよね。

 

でも、そのこと自体を忘れがちです。

 

要するに、不満点がない場合を除き、それがそうそこに存在しているのが前提で変えられるという発想、概念をつい忘れてしまうものだと思うのです。

 

家具の配置に始まり、数から、質から、大きさから、色から、本来全て自分の意思で選択できるはず。

 

妥協して買う事も多いでしょうが、常に情報を収集し、望みの物を探し続ける事は可能ですよね。

 

それって人生も同じじゃないです?

 

部屋の大きさをその人の生まれ持った不変の才能だとして、生き方の選択は思考停止せず情報を追い求め収集する事で更新可能で、いつどんな時でも変えるための行動が取れるというように。

 

もちろん規模は違いますけど、現状を変えるためには労力を要する点も同じですよね。

 

他の先人からインスピレーションを得る事もできます。

 

と、部屋の模様替えをしていて思ったのでした。

 

話を物まで広げると、Amazonのおかげで価値観が広がったことを覚えています。

 

「〜が…だと便利なのになぁ」という点を解決してくれる品が見つかったり。

 

例えば、洗顔用泡立てネットだったり、複数USB接続可能コンセント(?)だったり、卓上三面鏡とプロ用シザーでセルフカットが捗ったり。

 

ふと思いましたが、本のようにその分野に精通した専門家(定義は詳しければ不問程度)から情報を仕入れ、全て実践したら最強になれそうですね。

 

家具、ゲーム、コンビニ飯、ファッション、本、音楽、等々。

 

ありとあらゆる触れる全ての物事をその分野のトップ情報で埋め尽くしてみたいですね。

 

ということで早速、まずは何か一つの分野について極めてみようかなと思います。

 

最近、フッションにハマっているので服や靴について詳しくなってみようかな。

 

ワクワクしてきたそんなところで。

 

 

Twitterアカウント取り敢えず作ってみました

題の通りです。

 

リアルタイムな動きはTwitterで、その中の深みや思考はこっちでという使い分けをするかと思います。

 

あまり深いことは考えていないのでお気軽にどうぞ。

 

一旦の試験運用という形にしておきます。

 

アカウント→http://twitter.com/arihure_jinsei

ユーザー名の文字数制限が15文字で、既に他にいたのでこの形になりました。

 

という報告でした。

何かを素晴らしいと感じた時、以後人間性が問われる

スピッツのファンの方とSNSで交流した際に思ったのが、純粋で良い人ばかりだということなんですが、それに伴い悪い人にはなれないな、と思ったことを覚えています。

 

言わずもがな、自身もその対象内ではあるのですから。

 

特段、何か悪いことをしでかしていたからそう思ったということではなく、かと言って良い人間であると自覚したことも一度もない。

 

でも傾向として、綺麗事抜きで好きな音楽でその人のタイプを判別できることは往々にしてあるでしょう。

 

卵が先か鶏が先か、好きな音楽のタイプに応じた身なりや性格なのか、その身なりと性格が故にその音楽を選択したのか。

 

そこから、なるべくアーティストを嫌いになろうとはしないよう心掛けていますが、対象のファンが嫌いで遠ざかることはよくあります。

 

人は中身とて最低限の外見がありますから。

 

 まぁ、そんなこんなで好きであると自身で完結するならまだしも、場で宣言する時はその対象の評価の一員になっている自覚を持とうと思ったのです。

 

そこから拡大して、私は生きる上での行動原理は「好きなものを否定しないため」を掲げ行動選択することにしています。

 

というのも、何かつらいことがあるとよく「死にたい」「死はつらく現実的ではないにしても少なくともこの場から存在を一定期間でいいから消したい」と思うことがあったのですが、すると自分の好きなもの達(スピッツ然り、人、物、事)から得られた素晴らしいという感情、及び原動力を否定してしまうことになるのではないか?と。

 

好きなものから得られた素晴らしき原動力を得た私は幸福な人生を過ごさなければならないのではないか?と。

 

捉えようによっては人生を窮屈に縛っているかのような印象を受けるかも知れませんが、あくまで自分で課しているだけなのでそのようには解釈しておらずポジティブですよ。

 

この思考を強めたほかの原因として、「色」って様々な効用があるらしいではないですか。

 

青は落ち着きや集中をもたらし、赤は前向きになるだとかそういう。

 

ぱっと見が云々を超えて、無意識に与えられる影響ということなんですが。

 

私は青が一番好きな色です。

 

逸れますが、中学の頃に自己紹介で好きな色を問われた時にその当時、好きな色という概念がなかったため、適当に青と答えて以来、青が好きになったという経緯があります…笑

 

戻して、私の基本性格は(他人評価による)大人しく静かでネガティブで優しい、らしいのですが、「青色が好きであるが故にその性格であり、あまりよくない点(ネガティブとか)もその色の影響である」と解釈されるのが凄く嫌で、好きなものを否定しないために良い人間にならねばと思ったことも強く記憶しています。

 

大げさですけどね。

 

逆説的にその人を判断することってないですか?

 

あいつの友達は良い奴だから、あいつも良い奴、いい歳してハンバーグが好きだから、子供舌とか。

 

良いも悪いも。

 

何が悪くて何が良いのか的な哲学に深くハマるのかもしれませんが、そういうアバウトなりの解釈が私にはあるのです。

 

まぁ、〜を選択しているから素晴らしい人間になり得るという証明はできないのでしょうが、好きであることに誇りを持ちたいとは思いますね。

 

「今が幸せなら過去はその幸せのための過程だったのだ」という解釈は素晴らしいと思ったりもしましたが、現時点が常に幸せであり続けることを前提としなければ、不幸のための過程になり得、良い部分だけ見過ぎじゃねぇか〜?と思わないではないかも。

 

何が言いたいのか分からなくなりましたが、「好き」という感情に対する一つの視点としてこういうものもあるかもねというお話でした。

 

 

多様だけど傾向はある

Twitter開設するか?

明確に高3の9月にTwitterを始めたことを覚えておりまして(それまではmixi)、要するに今日では4年半目くらいですか?

 

今もアカウントは所持しており、一応リアルアカウントとして運営してますが、リアルだけでなくTwitter上でもろくに人間関係を構築できなかったのでリプのやりとりなど1年以上していないかもしれません。

 

そのアカウントは大学入ってから作ったもので、それまでは受験生として運営しておりました。

 

色々な凄い人をそこで知れたのは大きく、今テレビで名前を売ってる人の一部はその頃から知っていたりもします。

 

現アカは、フォローするのも気になる著名人ばかりで、情報収集兼個人的備忘録要素が強めなのです。

 

ツイートアクティビティを確認するとなんだかんだで閲覧者や画像クリックする人がいるみたいで。

 

先述の通り、見返せば思い出せる程度の備忘録用途としては十分なのですが、どうせならこのブログと繋げた方が面白いかなぁというのが思いです。

 

しかし、現アカウントは一応リアアカなので、個人情報を初期の頃に流しており、現在は鍵アカとして運用しているので、別途作ることになると思いますが。

 

何が目的って言われると、分からん。

 

ブログの読者(見かけた人でも通りすがりでも)の反応が見づらいというのと、敷居を下げられそうだというのと、Twitterの方の現状が面白みに欠けているということと…。

 

なんでもいいから、今よりは面白そうだから程度です。

 

ブログを書いている人のTwitterアカウントでも、Twitterをしている人のブログでも関係はどちらでも。

 

アクセス解析見ら限りにおいて特にフォローが来そうではないですが、別にそんなことはどうでも良いので。

 

ブログに書くまでもない短文やくだらないことでもツイートしようかなと。

 

そんな感じです。

 

 

 

話は変わりますが、やっぱり自分の意識によるものではなく不特定多数の人の耳に入る場面でスピッツの音楽流れると嬉しみが湧きますね。

 

飲食バイト先では店長作成オリジナルサントラがシャッフルで流れているのですが、スピッツだとチェリー、涙がキラリ、さわって・変わって、渚がエントリーしてますね。

 

単純に耳に慣れた音楽が聴こえるだけで精神が休まるというのと、たまにお客さんで音楽に乗って幸せそうにしている人がいるのを見たりするとテンション上がりますね。

 

他のアーティストの曲でも聴き慣れた曲は何曲かありますが、どうしてもスピッツ超えはなかなかないもので。

 

言葉にも取ってつけただけで自分のものにしきれていない違和感を覚えるのと同じく、自分のものとなる感覚があるのだろうなと。

 

明日から火曜まで実家に帰省するので楽しみです。