なんとなくですが、いや明確に、自分の中に日々後ろめたさが蓄積されている感覚があるのです。
大半は他人に相談できず自分で抱え込まざるを得ない状況がそうさせているのですが。
他人に言えないほど悪いことをしたのか?他人を信用できない程度にしか人間関係を構築できなかったのか?そもそも知り合い、友達がいないのか?相談できない状況も一概には言えませんが。
後ろめたさとは本質的に悪いとされていることをしてしまった時に生じるものなのだと思いますが、幼いときの悪さの定義は大抵親が決めたことなので、要するに親の言いつけを守らなかったということになります。
ことの始まりはなんだったかと思案すると、いつも行き着くのが小1の時に親からはゲームを買ってもらえず、しかしゲームはしたい年頃、友達の家に行けばできるっていうのはもちろんそうですが、ポケモンが好きだった私は自分だけのデータが存在することに魅力を感じていたので、それでは満足できなかったわけです。
確か当時はゲームボーイアドバンスが出た頃でした。欲しくてたまらなくて、友達からの誕生日プレゼントにアドバンス用の乾電池をお願いしていたこともありました(笑)
しかし、買ってはもらえず。
仕方ないと、世代は下がってゲームボーイと初代、金銀版あたりのソフトを使っていないだろうと思い友達に貸りたわけです。
もちろん許可を得て。
しかしまあ、そんな子供が親から隠し通せるわけはなく、あっさりみつかり没収。
親としてはゲーム禁止の方針(友達の家とかは別)なのに借りてきてされたんじゃ意味ないですからね。
問題(?)はここからで、没収され翌日なりにちゃんと返してきなさいとなるならまだしも、即座に車で連れられて本当に悪いことをしたかのように相手の親に謝り、謝らされたんですよ。
相手の親もそりゃ貸した程度なのにそんな風に来られたらどんな顔していいのか困りますよ。
夜の8、9時だったこともありますし。
苦し紛れ(?)に「まぁゲームと言えど高価な物ですからね」なんて相手の親も言わざるを得ない。というより、そう言うくらいしかない状況。
日が経つに連れ、ルビーサファイア、ファイアレッドリーフグリーンが発売され、そりゃ欲求不満が高まって、抑えられるわけがありません。
バレなきゃいい、って方向に思考は進むので。
それでも小学生の知恵ではバレバレで同じことの繰り返し。
2、3回は貸りて、バレて、謝りに行ってとしたんじゃないですかね。
おそらくその過程で親には本当のことは言わないって思い始めたんだろうなと思っています。
堂々と貸りる宣言する方向じゃなく、言っても否定されるから隠し通せば良いに進んだんです。
歪んだ人生の第一歩。
後にDSが出て、仲の良い従兄弟がアドバンスをくれることになったのですが、親が良い気持ちで受け入れることはなく(受け取りましたが)、そのことが子供ながらに苦しかったですね。
従兄弟は2家あり、母の姉と父の兄の家で、母の姉の従兄弟は勉強熱心で親と同じ医者志望だったので祖父母からも褒められる存在。
一方、父の兄の従兄弟は遊び相手になってくれて自分や弟達は好いているけど、勉強に対しては不真面目だったので、母方の祖父母も両親もあまり良いようには言わない。
「あなたらはちゃんと勉強するのよ」なんて言われてましたし。
そのように言って欲しくなさと遊ぶのが楽しい狭間で葛藤していました。
現実問題、母の姉の従兄弟ら3人は医学部に進学しており、父の兄の従兄弟らは偶然就職できた兄と、軽度の障害を持ち施設に通う(普通に会話はできるけど、仕事などがちゃんとできないとかなんとか)弟ですから、祖父母両親の見解としては合っていたのかもしれません。
私は結果論でしかなく、従兄弟がどうのと私の現状は無関係と思っています。
あとは、中学に進むと小学生とは違いテストだ順位だと忙しくなるので、遊びに行くのにも親の許可なしには行けないわけです。
行くにもおこづかい制ではなく、欲しい時に申請する制度なので言わざるを得ない。
言ったところで勉強どうのこうの言われるのが分かってますから、遊び当日直前になるまでそのことを報告できない病にも掛かってました。
割と深刻で、いまだに時間が経つほど良くない状況になるけど、怒られかねない、よい思いをされない報告はギリギリまで抱え込んでしまう癖が治りません。
行くまでに勉強頑張ったアピールもしなきゃいけないから、親が起きる前に必死に起きて勉強アピールして。
それはただただ振りで逃れたらサボって…。
遂に買ってもらえたゲームがWiiでしたが、我が家では使うたびに毎回片付けなければならない制度があったので、気軽にはできず。テレビもリビングにしかないですし。
1時間越えようものなら文句をごちゃごちゃ。
モンハン3買いましたが、ほとんどやってませんね。
親が出かけた日にはやり放題なわけです。
まぁ、そんなこんなで親に相談してもろくなことにはならないと自然に学びましたし、後ろめたさを抱えながら良くはないことを裏でするよう癖ついてしまいました。
もちろん、言う人が言えば「言い訳」に過ぎず、自分のせいって言われたらそうなんだと思いますがね。(言い訳と言い分についてはまた書こうかな)
また、高校時代は担任が3年同じで、数学教師なのですが授業が嫌で嫌で。
自業自得か否かに関わらず分からないということに対する追い討ちが酷く精神が病みましたね。
それに、毎授業、日付の出席番号の人から左右前後ランダムに当てられ答えるシステムでしたので、必死に自分が何番目に当たるか計算して対応していました。
それでも、いざ当てられると頭が真っ白になって答えられないことも多数…。
理系ですから、数学は毎日あるっていう。
金曜終わりの開放感と日曜終わりの死にたさ。
もはや、何のために授業を受けているのか?
進学に必要だからというより、担任に怒られないためへと目的がすり替わっていました。
自慢では全くないですが、クラスで一番志望校の偏差値が高かったので目を付けられ、こんな程度もわからずにその志望?というような態度で接されるのもしんどかったです。
唯一の救いはクラスが皆同じ気持ちであったことでしょうか。
しかし、耐え切った最後の最後、センター後から二次試験までの期間は自由登校だったため(建前で登校しなきゃならない空気)、親には学校行くふりして家の横のブロック塀に隠れて時間を過ごしていました。
実家は冬に雪が降る地域なのでそれは寒くて寒くて。
制服着てるので下手に動けませんし、食事は弁当だったのでなんとかなりましたが、偶然我が家がオール電化に変えるだとかで工事が始まり、それを知らずに工事業者の方と顔を合わせた時は終わったと思いましたね。
そういう学校がつらい(まぁその程度はみんなそうって言われたらアレですが)相談も親にした記憶はありますが、世の中もっと大変だの、やめてもどうしようもないだので解決にはならず。
「諦め」の人生。
そのような環境から解き放たれた浪人時代、初の一人暮らしが憧れた土地の名古屋なことも相まって、勉強そっちのけでした。
好きな物を食べられる、お小遣いがあり何に使ったのか申告しなくてもよい(バイトできず昼食生活費込みで3万円なので大したことはないです)、勉強アピールは不要、すぐ外には刺激的な世界、授業は切っても怒られない、遠距離でお付き合いさせていただいていた方とも気兼ねなく会える…。等。
でも、結局、物理的に距離が離れても親の扶養から離れられなけば自立とは言えず、結局、真面目に本分の勉強する以外で後ろめたさの蓄積を抑えることはできなかったわけです。
ただ、予備校の授業は面白かったですし、大学受験の知識を入れること自体は嫌いよりむしろ好きでした。
そして今、また新たな後ろめたさが日々、積み重なっています。
何をしていても明るく前向きな気持ちにはなれません。
それについてはいつか語るときがあれば。
長々とどうでもよいお話でした。