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本当の意味で物を大切にするとは

こんにちはSOです。

 

祝日で余裕があるので、たまには下書きからテーマを引っ張って。

 

結構前から、一つ一つの物事に対しての正しさ、あるならば正解、正解がなくても現時点での最適解、最善、プロによる評価みたいなことを意識しているところがありまして、まぁ例えば、自分と同じ年代が着るべき最低限の服装とはどのようなものかとか、取るべき睡眠時間はとか、六畳一間の有効な使い方とか、まぁなんでも。

 

そんなこんな考えてる中で、最近知ったのが、自転車の空気入れは2週間に1度くらいを目安に行ったほうがいいということ。

 

というのも、下宿先の現在の土地に越してきてから、前の土地以上に自転車を使う場面が増えたので、自転車の推進力が気になりまして。

 

なーんか、それまで自転車乗ってても気にならなかった推進力が気になったんですよね。

 

何故気になったかは忘れましたが、確かに意識すると漕いでる力以上に重たく進まないタイヤ。

 

そこで、思い出されたのは、滅多にないたまに空気を入れた後のタイヤの軽やかさ。

 

空気入れは一人暮らし始めた時から持ってました。

 

でも、明らかに空気が抜けてると自覚したときにしか入れる物ではなかった。

 

意識したらホントに1週間〜2週間もすれば推進力が落ちてるのには気づけますが、誰も空気入れの適切な頻度なんて教えてくれないし、意識する機会もなければ空気入れを所持していることもマチマチだろうし、本当に難しいものです。

 

でも、本来その頻度を伝える役割の人は親ではないかと思ったんですよね。

 

何故なら、初めて自転車に乗ったのは私が小学生の頃ですし、その最初の段階で自転車の取り扱いを教えられるのは親だから。

 

そして、親が自転車に乗らない人ならまだしも、私の両親は自転車を持っており、乗る人でしたから。

 

仮に15〜20年前だとして、ネットの普及度など考慮して、今ほど検索機能が発達していなかったとしても、自転車を手に入れたであろう自転車屋さんから空気入れの適切な頻度の説明はおそらく受けているだろうし。

 

だって少なくとも空気入れは実家にずっとありましたからね。

 

まぁ、何が言いたいのかといいますと、それを世の常識として口酸っぱく説いてきた「物を大切にする精神」というものを、親は本当の意味で理解し実践できていたのだろうか?ということです。

 

要するに、ちゃんと背中で示してきた?と疑問に思い始めてきたのですね。

 

たまに目にしたり、実際過去の家庭教師の経験から考えても、「勉強しなさい」と子供に押し付けるものの、大人になった時分では勉強をしない親では説得力がなく、させたいなら親もしている姿を示すべきという説。

 

親が本を読んでいると子も読書率が高いとかなんとか(ちゃんとしたデータは各々調べてください)。

 

子供時代と親時代でもちろん目線が違うけど、大人は子供時代を経験しているという点で圧倒的な経験値の差があるわけで、そこに何年経過したという事実があれ、子供時代に良かったこと、嫌だったことの多少は覚えてるだろうし、「勉強しなさい」の言葉にどう自分が感じていたかなんて特に覚えているはず。

 

勉強はしなきゃならないもの、大人は学校に通ってるわけじゃないし宿題もないし、仕事と帰ってからの子育てやら家事やらで家は休むもの、という思い込みが強いと、子供には強いてしまうのかなと。

 

勉強って国英数理社だけじゃなくて、仕事の内容について深めたり、それこそ読書でも、なんでもいいじゃん。

 

子供だって、言うならば学校って仕事?を終えて帰宅したら好きなことや休むことをする場として家で過ごしたいわけでね。

 

話が脱線したのですが、うん、私の親は物を大切にするとは何か分かっていたのかな?分かっているのかな?と気になってきました。

 

自転車の空気入れを親が2週間、遅くとも1ヶ月に1回でもしている姿を示していたら、私もそれを継承してその後もそれを行っていたでしょう。

 

いや、別に自転車に乗る頻度が極端に落ちたりしたらまた話は別でしょうけど。

 

覚えてる限り、パンクに近いくらい空気が抜けたときしか入れてた記憶ないなあ。

 

ちなみに、

・軽く走れる

タイヤと路面との摩擦抵抗が少なくなり、快適に速く走れるようになります。

・パンクしにくくなる

パンクの原因の7割が、空気圧が足らないことが理由です。

・タイヤが長持ちする

タイヤの摩擦が少なくなるため、寿命が20%も伸びます。

という効果があるようです。

(まちの自転車店「リコ」さんから引用)

 

これらの効果を踏まえると、十分空気入れを適切に行うべきレベルであると考えられますし、物を大切にする上では遂行すべき事項かなと私は思いますね。

 

さて、他の例としては、靴磨きも親がしているところは見たことがありません。

 

私は今現在、定期的に(少なくとも2ヶ月に1度)革靴の磨きと、スニーカーの汚れ落としを行なっていますが、やり始めた契機は革靴という物を初めて購入した際にお手入れ方法を調べたからですね。

 

単純に、スニーカーとは取り扱いが違うと感じたし、お値段も今まで買ってたスニーカーの価格帯の倍以上はしましたので、大切にしようという意識が強く働いたからだと思います。

 

この後者の理由は大切だと思っていて、本物であるだとか、愛着を持てるだとか、替えが効かない、同じ物を手に入れる難度が高い(金銭的にも)だとか、そういう「重さ」を一つ一つの所持品に持てれば適切な取り扱いを学んで実践する気になるのかなと。

 

そういう意味で、親はケチでなんでも節約っていう思考だったので、愛着とかそういうのが湧きづらい環境だったとは言えるのかもしれません。

 

し、誤解を招きたくはないのですが、その節約(まぁ当時目に映っていた印象としてはケチ)の恩恵で私や兄弟が子育てにかかる大きな金銭的な負担をしていただけている事実がありますので、一方向だけから批判を繰り出しているというわけではありませんので悪しからず。

 

でも、愛着が薄かろうが、物の手入れはできるし、それが「物を大切にする精神」を人に説ける資格だとは思います。

 

その精神だけじゃなく、なんであれ人にして欲しいと思うことは、少なくとも自分もしているべきなのかと。

 

あんだけ、学生時代に学生服の扱いについてワーワー言われてたけど、多分今では自分の方が服の取り扱いについて一般的に言われてることは熟知してるし、実践もしてるんですよね。

 

ハンガーもスーツに対しては厚みのある物を用意して、ブラッシングもかけて〜、とか。

 

洗濯機は満帆じゃなく、8割ほどの量で回した方が汚れが落ちる〜とか。

 

まぁ、子育てって自分だけじゃなく、他人の分までそういう仕事を担うってなると、時間的にも労力的にも端折るところは出て仕方がないですが。

 

洗車してるところも一度も見たことないなあ。

 

玄関前の石畳の時間経過による自然な汚れのブラシ掃除も、やらされたことはあったけど、親がしている姿は見たことない。

 

父親も普段激務を理由に家で家事の役割を担っているのはほとんど見たことないし(たまに皿洗いとか風呂掃除はしていたけど、皿洗いは偶然見かけた時に上手くできていなかったし)、家事じゃなくても自分の趣味でも何でも、何かを大切に扱う場面というのを見た記憶はあまりないかも。

 

かといって雑に扱っているというわけでもないのだけれど。

 

ここまで想定以上に長くなった上にまとまっている自信はないけれど、もう少し続けると、あとは物を大切にする=長く使い続けるに変換しがちで、見るからに、使うからに、想定使用年数を経過していても捨てずに使い続ける美徳などを説かれた記憶がありますが、物には「使えるかどうか」という機能性より「効率よく目的を果たす」機能性の方が本来の用途として備わっているわけで、後者の効率が落ちたら替え時だとも思いますね。

 

もちろん、それに関しては金銭との相談もありますが、それを言い始めると金銭に余裕が生まれることなんて一生なかったりするもので、それが故に使えるうちは使い続けるになりがちなのかもだけど。

 

でも、それで犠牲になるのは僅かかもしれないけど、それによって消費される時間という生命な訳で、それってどっちが良いのやら。

 

物を大切にするのと同様に、時間も大切。

 

この例で言うと、それこそ親が乗っている自転車は少なくとも15年は同じ物乗ってるし(空気入れも適切にせず、特に汚れ落としもせず)、フライパンや鍋などの調理器具は機能が落ちて焦げ付きやすく、食洗機は壊れて以来「身体を適度に動かせるからいい」という理由で直さない、など。

 

追求し始めるとキリがないような気になるし、実践するのも現実的に難しいけど、まぁ少なくとも他人に示したい、特に私のような立場なら将来子供に示したいような事柄については背中で示せるよう、身に染み付かせるレベルで実践していきたいですね。

 

こういう目に見えないけど大切で、他人に波及し継承される、いわゆる「文化」は大切にしたいなと改めて思ったのでした。

 

それでは。

 

 

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今日の一枚

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ファミマで買った新福菜館の冷凍ラーメン。

見た目ショボくて、手にとっても小さくて、作り方も不安になったけど、食べたら美味くてハマり中。

 

金銭と引き換えに文化を失っては本末転倒?