本日2度目、SOです。
先ほどあげた記事でも触れた、自分の行く先を自分で決めることの資格、権利、というものに関して、少し思うところがあるので話を膨らましてみようかなと。
まぁ、タイトルにもある通り、親依存が過ぎるとこうなるぞという周知?というか、なんというか。
改めて、私の現状は4月以降をどうしていくか自分で決められません。
決められると言えば決められますが、第一希望では一応ある大学に残るという選択は自分だけでは決められません。
単純に学費も生活費も払えないからです。
奨学金がどうとかその辺までは考えてませんが、親の年収が高いと無理だとか、なんかそういうのに引っかかりそうです。
という現状で、ここからは過去の話になりますが、実家時代からずーっと、私の人生は親に依存しているなぁと。
依存してるってのは自覚してるんですけど、もっと適切な表現は他にありそうなんですが、なんて言ったらいいんですかね?
例えば、中学生の頃、友達との遊びの約束に向かう前には必ず親に報告しなければなりませんでした。
それ自体は親からすれば子供の居場所を把握して安全管理の目的なので問題ないのですが、必ず嫌な反応をされるわけです。
「勉強は?」と。
事あるごとに「学生の本分は勉強」って言われてましたね。
たまに、勉強しなければならないのだからと遊びに行くことを否定されたり、極端に短い時間しか許可されなかったり、遊びに関しては管理されてましたね。
ただ、部屋に居ても勉強はしませんでしたけど。
カードゲームのデッキを組んでるか、隠れてゲームをしているか。
当時スマホはないですし、携帯も高校生からというのが一般的だったので一人遊びが中心でした。
そんなんだったので、許可を得に行って嫌な顔をされるのが嫌で嫌で予定の直前まで言いだせませんでしたもん。
んで、勢いで押し通すか、無理だったら腹立てて物に当たるか。
抗う術が無いのだもの。
今思えばというか、日頃から気づいてはいましたけど、印象を上げるために空虚な勉強したフリに勤しんでましたねえ。
朝6:00頃に起きて勉強机に向かってしてるフリをして、数分、数時間後に親が起きる際に電気がついてることに気がついて覗き見ると勉強をしている姿を見せられるという算段。
もしくは、リビングに勉強道具を持っていき起きるの待ちとかね。
中学入ってからお小遣い制が始まって、月2,000円だったんですけど、それも何に使ったかは必ず書いて見せなきゃいけないんですよ。
今考えても思いますけど、ヤバくないですか?
お使い頼まれてレシートとお釣りを返すって話じゃないですからね?
その報告制度は高校入ってからの月5,000円に変わってからも続いてました。
中学生はまぁ額も額ですしやましい事に使い道はないですけど、って高校生になってからもいかがわしい事に使ったことは確かないですけど、そんなこと親に知られたっていい気分じゃないじゃないですか。
自由なのにゲームやカードや漫画に使えばまた嫌な顔して嫌味を言うし。
コンプレックスだった髪の毛のケアとしてのヘアアイロンとか、多少は色気付いてのワックスだとか、髪の毛の補修クリーム?とか、そんなん買ったこと親に知られたくないし。
だから、お小遣いの使い道の報告書とか嘘に嘘を重ねてでっち上げてました。
何をどう言う風にかは忘れましたけど。
お年玉もなぁ、好きなの1つ買う権利はあったものの、それ以外は強制没収からの貯金は絶対ルールでしたねぇ。
確か高校生だったか浪人生になった頃から反抗的になって自分で確保して守ってましたけど。
後にバレましたけど、お年玉を失くしたと嘘をついて懐に入れてた事もありましたね。
いやぁ、この通り、少なくとも親もとい母親が私に施した教育はことごとく嘘を塗り重ねる人間を作り上げた大失敗だと言えるでしょうね。
何につけても、親の権限を全面に出してくるので勝てないし、抗えないし。
完全に黒歴史ですが、実家は壁やドアが(一部)ボロボロで、それは自分がそれらに当たったからですね。
正当化するわけではないですが、そういった環境下でやり場のない怒りをそのような形で晴らすしかやりようがなかったとしか言えません。
とまぁここまでは悪い側面だけをあげつらってきましたけど、反面良い所もありましたよ。
親戚含めての家族観(恋愛観?)や真っ当という価値観は良い意味で育ったと思います。
父親は真面目に働き、タバコは吸わずパチンコやギャンブルは一切せず、帰り道に飲み歩いたり寄り道もなく、唯一の楽しみがスポーツ観戦。
母親は子供に対する愛情が深く、家事は全てこなし、料理も全て手作り(外食は月1ほど)、近所づきあいも上手く、教師をしていた頃の教え子からも慕われており、人としての感情に理解が深い。
いや、一概に上記が良いかはまた別ですよ?
しかし、常識や善とされる現世の価値観、教育観における判断基準に照らすと眩しいくらいの善行というか、模範的ではありますよね(息子ながら)。
医系一族とは言えど、イメージされるような堅苦しさとかは一切なく、変なプライドとかは全然ない人たちですね。
ただ、子供の頃は良い意味でしたが、性に関することを一切、ホントに一切匂わせないので、少し奇妙さはあります。
匂わせて欲しいとかそういうわけじゃないんですけど、それが原因なのか性格が原因なのか思春期の性に関する事柄への興味は私個人の内部から外に発されることはなかったですし(話したり、打ち明けたり)、彼女がどうこうみたいな話も一切なかったです。
そんなんで、風俗とかヤリマンだのヤリチンだの、セフレ、そういう価値観とは無縁というか忌避して生きてます。
それは私自身は良いことだと思っていますが、それを忌避してるのは祖父母や両親、親戚の無害純真な場に向ける顔がなくなったり、相手方のそういった祖父母両親親戚に対する申し訳なさといったような、自分の本心に判断基準を置いていないという意味では親離れできてないだけじゃん、と最近は思うようなこともあります。
親と子(20歳以上、大卒以上と仮定してもOK)は別の価値観、別の人間だという風に育って思っている人は自分で責任を負っているから好きにできるわけで。
人間として正しいこと、考え方、だと思って生きてきたのに、もしかしたら親に依存して親離れできていないが故、確固たる自分という人間、価値観を確立できていないが故、なのだとしたら、…。
言いたいこと伝わった気がしないなあ。
簡単に言えば、親や親戚にどう思われるかなんて関係ねーじゃんお前の人生なんだろ?って言われたら崩れてしまうということ。
実際、経済的な面だけじゃなくて、まだまだ幼い子供気分でいるのも事実だし、これからも少なくとも今のままならべったりと関わり合う人間関係になると予想されるし。
何か困ったら真っ先に連絡するし、お金の手助けも頼んでるし、頼むし、帰省したらお世話になってるし、何かあった時の帰る家なんだろうし、引っ越しとか自分じゃ分からないし、役所がどうのこうのとか、結局どこかで血の繋がった親子という関係性で他の人達よりも強く結ばれていて、意識していて、甘えられると思ってる節は否めないです。
だからこそ、極限的にそれを一切断ち切って好きに生きるとか選択し切れない自分もいるし。
親に頼らず自分だけの力で何かやれる気もしないし。
そういうコミュニティも形成はできてないし。
一切力は借りないし、弱音を吐かないし助けも借りない、だから、口出しもさせないってくらい親から自立して何か自分を確立しなきゃ、ずーっとこのままな気がするなぁ。
何か報告するたびに下から様子伺ってビクビク生きるのつらいで。
親の絶対の権限を前にして。
起きっぱなしで寝てないので長時間寝て、そのあと夜にバイトのスケジュールですね今日は。
おやすみなさい。
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もしかしたらこの部屋ともじきにおさらばなのか…