私、今、人権に関する授業を受けているわけなんですけど、難しいなぁと。
先天的なものなのか、後天的なものなのかってところが線引きだと思っていて。
ハーフの子が云々、部落差別が云々と受けてきて、今は男女の性にまつわる内容なんですけど。
詳しくないのであんまり適当にそれっぽいこと言うのは良くないのかもしれないですけど、クラスの出席番号は男女分けるべきではないとか、呼称に性別名が入っているのは良くないとか(女医、女流作家、リケジョなど)、スポーツ選手の年収ランキング上位100名が全員男性はおかしいとか、うーん、言いたいことは分かるのだけれど…。
クラスの出席番号はそんなにかなぁ、呼称に入っているのは過去の経緯を踏まえてだし、スポーツはむしろ男女の区別なくしたら男性圧倒的な結果であり、分けたところで同スポーツを比較した時に迫力等の魅力で差がつくのは必然だし。
良く耳にする、昔の生活として語られる「男は狩りに、女は生活場でその補助を」が原点で、その所以も与えられたのではなく自然とそうなった、論理も無いであろう時にそうしていたのであるならば、そのDNAやらは強固に受け継がれているのではないのかなと。
小難しい言い回しになってしまいましたが、端的に言えば先天的な差として男性は筋肉多量、女性は生理、妊娠、出産という個別の代替不可な性質を担っているわけで、それを元に考えても先述の暮らし方は合理的だったのかと。
ただ、吉田沙保里(さん)は霊長類最強だとか、テニスのウィリアムズ姉妹はヤバそうとか、一部例外はいるわけで、それは臨機応変に適宜対応すれば良いのかと思いますけども。
分かりませんけど、男性脳、女性脳と性別で脳も違うらしいですし、例外を除いて適した役割はあるのだろうと思いますね。
知り合いの詳しい人が言ってましたが、「何故ホームレスのような人達に女性っていないんですかね?」という疑問に「女は身体があるからなんとでもなる(要するに風俗)」と答えていて、あぁ肉体的な欲求で言えば少なくとも表向きは男の方が大いに傾いてるよなぁと思ったり。
でまぁ、男女の性とは話が変わるのですが、そんな風に今までの当然を疑い、その当然によって奪われてきたものを取り返す的な意識で言うならば、例えば家族間での恋愛とか格差歳下好き(いわゆるロリコン)とかも、「それはおかしい」という初めに思ったのだろう人、もしくは大多数に決めつけられただけのことなのかもしれない。
例えば、兄と妹が好きになって交際し、肉体関係もあります、となった時に、現代では犯罪だの頭おかしいだのという評価になるのかと思いますけど、親違いの兄妹ならただただ立場だけの間柄なので許されるのかもしれないし、同じ親だとしても小さい頃に離れ離れになり何十年後に出会った場合には好きになりうるかもしれないですよね。
要するに、遺伝子的に兄妹は好きになり得ないとか、拒否反応が生じるというようなことはなくて、同じ屋根の下で物心がつく前から生活を共にしたり、学校生活で兄妹という関係が強烈に意識づけられることによってそういう関係にはなり得ない、なるべきではないという思考が定着するだけなのかもしれないわけで(何度も言いますが医学的な根拠とかは一切知りません)。
ロリコン(定義分かりませんが)も気持ち悪いと捉えられますが、生物学的には初潮、精通が来れば身体的には子供を授かれるわけで、でもその年齢って小学生だったりもして、時代が時代だからおかしいと言われるけれど、状況さえ、環境さえ整っていればその年齢から子育てしてたりしてもおかしくはなかったりするのかもしれません。
故に、法で線引きされているというだけで、70代が50代を20歳差超えて好きになるのと、20代が10代好きになる10歳差、1/2倍にしてもおかしいと捉えられることがおかしかったりするのかも。
小中学生が身体的には成長途中だとしても高校生にもなれば割と半数以上は成長済みだと思いますしね。
同年代に相手にされないから歳下で満たそうとするとかそういう話は別として。
(ちなみに女兄弟いませんし、ロリコンではないです)
他には、男が上裸で許されるなら女も許されるべきだ、って主張とかあってもいいと思ったりします。
胸が膨らんでいることを見られるのは本当は恥ずかしいのですかね?
下着や水着で隠す部分といえば胸に関しては乳首になるわけですが、そこを見られるのが恥ずかしいという論は男が恥じらいなく上裸を晒している現状から否定されますし、女は胸を隠すべしという常識のもとに育ったが故、要するに後天的な考えなんじゃないのかと。
下半身は急所を隠すとか、まぁ精神状態によって状態が変化したりするので、まぁ隠すのは両性別ともアリでしょう。
とかね。
まぁ、女性の胸が膨らむのは授乳のためではなく、男性への性的誘惑の役割がお尻から移ったためという記事は読んだことありますし、お尻でもいいですけど、そういった先天的な性の役割があったりする以上ちゃんと考えないとねと。
生殖において攻めと受けが確定してる以上、そこから派生する確定的役割は受け止めないとねと。
どうなんですかね。
ヨウジもユニセックス(男女区別なし)をテーマにしたGroundYとかBLACK SCANDALってライン出てますけど、私は買いませんね。
否定とか批判じゃなくて、肩幅広いし、中性的な顔立ちでもないし、ゴツいので似合わないんですよね。
でもそれって個人差はあれど、男性的な身体、女性的な身体に合わせた雰囲気って必然的に存在するので、うーん。
話変わりますが、これまた授業で確か五輪の生みの親?だかの発言で「スポーツは女性らしさを削ぐ」と言ったらしいんですが、あながち否定できないじゃないですか。
らしさとは?って哲学はさておき、「らしさ」を反対の性別の対極的性質を持つことだとするならば、スポーツに伴う筋肉は男性的ですし、男性ホルモンがどうたらそういうのはどうしても存在する。
現に過度な運動や減量で女性本質である生理に影響出ますし、身体的に拒否反応が出ているのではないかと。
性別の本質を無理に否定して混同することこそどうなのかなと思わないではないですね。
その本質からどんどん離れ、運動量が減り、もはや座っているだけでよくなり、そういった生活スタイルが男の草食化(女性化?)を招いている一因だとも思います。(逆も然り、運動する女性の男性化)
動物として運動を前提に作られているので、必ず無理が生じるはずで、その生き方を選択しただけで生命燃やしてんなとも。
運動を前提とすれば、狩りを前提とすれば、筋肉無しでは即死だし、長距離移動に耐えうる体力はないし、髪の長さは視界を奪うし。
テクノロジーだの脳の進化だので、銃やら核兵器やらといった武器が生まれて筋肉を代替し、車輪、燃料、電気が脚と体力を代替し髪の長さは結べばなんとかなるというだけ。
でも、身体に秘められた、DNA的本質は世の進化、テクノロジーには追いついてないと思うけどなぁ。
まぁ、選択肢が用意されていて、どちらでも選択できることは良いことだろうし、問題ないのだけれど、そういった本質を見失う、そもそも知り得ない、理解していないままでは良くないのかと。
男なんだから泣くなとか、男なんだから力仕事をやれとか、その辺はしゃーない、と思うけど。
泣かない奴の方が「カッコいい」し、相対的に筋力あるんだから力仕事には向いてるはずだし。
女々しいって言葉もあるし。
過去にそうされてきたことを一概に否定するのもなぁと。
そうされてきただけの理由を考えてからでないと。
男女のその場における具体数(人数)を全分野で50%ずつにすることが平等をもたらすわけではないし、上手い具合に「らしさ」を尊重した思想・思考を互いにインストールできる仕組みづくりを頑張るべきかなと思いました。
気付いたら長くなってしまっていて、乱暴に書いたので読みにくい気がするのでちょくちょく修正して更新しようかな。
はい。
今受けてる授業もそうで、2年前に出席足りずに落とした同授業の時もそうだったんですけど、どちらも女性講師で、結構反骨精神というか、言っちゃなんですけど逆差別にまで到達してるような発言もあって、あんまり印象良くないんですよね。
生きてきた時代が今と比べて男尊女卑がより強かった時代の影響なのかなとか思ったりしますけど、そこまで言うことないやん的な。
男として生きてきただけに感じられていない、知らず知らずのうちに優遇されていた部分があった可能性は否定できないんですけど、感情論的な話の進め方されるとキツイなと。
難しい、で放棄せずまだまだこれからも考えていくので、未熟な考えも書いてしまったかもしれませんが、現段階での素直な解釈としてとりあえず書きました。
明確な根拠示しながら話していきたいね。「〜らしい」って書き方がもどかしい。
干してた服