SO@過去の自分に伝えられるなら

傷つきたくないから探してる/不定期更新/備忘録&日記

置いておく

思考を自分の外側に置いておくと、自分がもう1人存在するのと同じで、時間が実質2倍になってるよなあ。なんて。

 

まぁ2倍以上なんですけど。

 

というのも、本を書けば、書いた内容を1対1で一人一人に伝える手間はなくなり、それをコピーして多数配布すればその数だけ自分の思考が世に広がるという。

 

自分自信で成し遂げたいこと、例えばサッカー選手になりたいとか、スマブラで強くなりたいとかって夢は自分以外が叶えても意味はないけれど、日本がサッカーでW杯優勝を成し遂げてほしいとかいう夢だったらば、自分が叶えずとも他人の環境を整えることでも関与できますよね。

 

貧富の差を改善したいとか、困ってる人を助けたいとか、美味しいものを提供したいとか、個別にできる、けど自分一人でやらないといけないわけではないこと、というのは自分のその思考や感情を他人に共有し多くの擬似的な自分と共に行えて効率的かつ夢の叶い幅も広くなりますよね。

 

だから、過去の自分は後付けでありながらも、人を救いたいと思って医学部目指してた時期がありますけど(臨床医)、ぶっちゃけ医者になったところで一対一でしか対応できないじゃないですか。

 

そりあそれが積み重なって1日に何十人にもなったりはしますけど、たかが知れてます。

 

でも、研究医の方になれば発明で救える人数は膨大。

 

まぁ、個人レベルでの承認欲求?(患者さんから認知されたり、感謝される)は前者が満たされますし、後者は到達までの時間の幅が未知数なんですけども。

 

それはさて置き、このブログ然り、書籍、Twitter、メルマガ、YouTubeとかって、ホントすごいなぁって。

 

特にYouTubeは実際に自分が喋ってるのと同じじゃないですか。

 

視覚的でもあるのでニュアンスも伝わりやすいですし。

 

欠点はリアルタイムで応答できないことくらい?

 

生放送は逆に置いておくものではないので現実とあまり変わりませんが、大仰に人を一地点に集めずとも良いのが魅力ですね。

 

例えば、ヨウジヤマモトってどんなんですか?みたいなことに無限に回答をし続けて消耗することなく、それについて書いた物を置いておけば半永遠に共有されるわけ。

 

よくよく考えれば当たり前じゃね?って話なんだけど、一度分解して詳しく見るというか、俯瞰して冷静に見るというか、同じ迷路でも場当たりでその場で動いてゴールを目指すより神視点(ゲーム視点)で上から見た方が同じ物なのに分かりやすい的な感覚でしょうか?

 

何が言いたいのか、具体的な行動、今している事っていうのは身が一つ故にそれを選んだ結果なのだけれど(私なら大学生でありその他を捨てて選択していると言える)、本当は身体がいくつもあるなら別の事もしたって良いわけじゃないですか。

 

でも現実には不可能なので、自分の行動原理、思考体系、人生哲学みたいな具体を抽象方向に辿って凝縮したエキスを多くの人に配分して共有すれば全く同一とは行かずとも自分が考えてしてることと同じ結果、近い結果が他分野で出得るわけで、むしろ他の人の思考と相まってより良いものが生み出される可能性も全然ある。

 

何言ってるか分かりますかね?

 

実際にやってる人が自分か別人かなだけで、同じ気持ちなら誰がやってようと良いんだから、他人自分化計画的な。

 

逆も然り。

 

究極、死んでも思考が残ってれば、地球上には見えないけれど自分がいるし、また自分自身も死んだ人の何某を体現して生きているのでしょう。

 

終わり。

 

とか、そういうのを久し振りに開いたはてなブログのアクセス数を見て、ああ何もしてなくても自分の思考(脳)に触れてる人がいる〜と思って思った話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり風呂入ってる時にはスラスラと割と書けるんですよね。

何言ってるか文字面だけで伝えられたとは思ってませんが。

就職とかなんか考えてて、うちの飲食バイト先(個人経営)の拡大の話とか聞いてて、不満は色々とあるけれど他と比べれば面白い人生歩めるような場(仕事内容というより環境的に)だとは思っていて、だけど所詮飲食業の行く末って美味しいもの提供して人気出たとしても他が潰れてうちにその分移っただけで、せいぜいより美味しいものが手に入りやすい環境が世に出たよ程度な気もしてしまうんですよね。

その現場を一つこなすだけの日々より、もっと生産的なことしたいなあとか、結局そういう仕事請け負う人材がいてしか成り立たないじゃんとか(環境は良いと言ったものの、労働環境としては最悪で、平気で1日10〜15時間近く超肉体労働ありますし、少なくとも今は)。

でも、そう言えるだけの力もないし、それを否定するのは世を知らない甘々な環境に身を置いてる(親頼り)からなのかなあとか凄そうなTwitterしてる人のツイート見て思ったりと一喜一憂。

年末ですね。