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「ヘタコイ」と「ちさ×ポン」

はなから説明するとそういうタイトルの漫画を今日で通して読んだという話です。

 

どっちもKindleで自宅で買って読みました。

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便利な時代ですね。

 

お金はスイスイなくなりますけど。

 

遡ること10年近くも前、某温泉宿泊施設に家族で泊まりに行ったことがありまして、その施設内に読書スペース?的な所があり、そこで何故か手に取った「ちさ×ポン」という漫画が出会いのキッカケでした。

 

まぁ、私は今23の年なので約10年前となると中学時代になるわけで、ましてや今ほどスマホによるネットの普及は進んでいなかったことに加え、とても純粋に感受性豊かに育っていたため性的な刺激にも敏感だったわけです(精神的に)。

 

あらすじを話すと高校生童貞処女主人公(お互い)が友人に誘われ行った合コンで出会い付き合うが様々な苦難に遭い…、という話。

 

当時はぶっちゃけ性的なコンテンツとして捉えて手に取ったのでしょう。

 

しかし、何故今になってそのような話をし、また改めて購入したかというと、読んで以来変に記憶に刻まれていたんですよね。

 

強い刺激だったからなことは否めませんが、何か深かった気がしたのです(読みましたがさすがに内容は朧げ)。

 

ちなみに、ヘタコイの方は同じ作者さんの別作品で、関連として出ていたものを気になって購入し初読みした感じです。

 

内容はほぼ似ていて恋愛ものですね。

 

結論から言って、どちらも心に刺さるというか響くというか、泣けるというか。

 

まず、ちさ×ポンに関して言えば、まぁ冷静に考えてどんな高校生活だよと言いたくなる設定や都合の良い登場人物や言葉のやり取りがあるわけですけど、5巻という短い中であれだけもの起こり得る様々な障壁とそれを超える姿を描き切るのはとても凄いなと思いました。

 

神様的三人称視点ならではの本当はこうで、こうすればこうなのにーというもどかしさ。

 

男ながら女性キャラにも感情移入できて、過去の自分と照らし合わせてみて後悔したり、なるほどなあと納得したり。

 

先に性的なコンテンツ云々と言いましたが、あくまでそこは本質ではないので言っても胸が描かれているくらいで、性行為も直接的ではないですし、互いの部分はノータッチです。

 

それでも当時の自分には十分過ぎたのですが…。

 

敢えて言うなら進むに連れて胸の多用感が興奮を削ぐので、回数抑えめにするのとどの人物も形と大きさが同じなので差をつけて尚且つもう少し色気のあるタッチで描かれていたらなあとは読み返して思ったくらいでしょうか。

 

それはともかく。

 

一気に読み進めたくなるほど没頭してハマりました。

 

ただ、作者の作品との出会いはちさ×ポンではありましたが、ヘタコイ(10巻)を読んでみると、設定やストーリーは違うものの男女の心の複雑さや葛藤や行き違いを経て深く結ばれる点は同じなので、巻数的にヘタコイだけで十分だったのかもなあとは少し思いました。

(調べたところちさ×ポンの方が先なので、時系列としてはヘタコイの存在意義を疑問視する方が正しい?)

 

ちなみに、ヘタコイの方のあらすじは温泉で事故的に見かけた女性の裸が入学先の入った部活の先輩の者だと気づき、そこから2人はなんやかんやで…な話。

 

どちらも読んでて共感したのは、ちさ×ポンなら滝川君、ヘタコイならツッチーこと土屋先輩の存在に嫉妬し自信をなくす主人公達の気持ちですね。

 

前者は経験豊富さを基にした性的なテクニックや容姿や頭脳、後者も経験豊富かつ過去に良い関係だったことへの不安感及び容姿等。

 

要するに自分にはない良いとされる要素を兼ね備えている人間の存在に奪われないかと怯え、嫉妬から行う事が逆の事態を招くという。

 

臭いセリフかもしれないですけど、結局は「その人だから」だと思えるかどうかだと思うのですよね。

 

テクニックがあるとか、容姿が優れているだとか、頭脳明晰だとか、運動能力が高い、身長が高い、お金持ち、学歴が高い…。

 

そういう数値的パラメーターで人を測りだすと、逆に言えばそれがより高い水準の人が現れた場合に異性としてのターゲットを毎度変更しなければならないということになるわけで。

 

でもねえ、やっぱり他人と比較する上ではそれらは数値なだけに比較し易く分かりやすいのですよね。

 

だから、相手はそこで評価していないかもしれないのに、勝手に自分より優れた数値を持つ人間と比較して、勝ち負けをつけて、不安になって、自信をなくして。

 

過去に他の人を好きになったという理由で振られましたが、その時死ぬほど思いましたもん。

 

自分はその相手より何が劣っていたのだろうと。

 

そういう話ではないだろうに。

 

理不尽だろうけど、仕方がない以外に理由などないのでしょう。

 

でもその時から学んだこともあって、その時もこれまでも他人に気が移ったことはないし、浮気もしたことはなくて(したことがないのではなくすることができなかったとも言えますが、相手がいなくて)、だから自分にできるのは相手を想い続けることくらいかなあという気付き。

 

逆に、それだけはしてあげられると。

 

特別な何某を与えられるわけではないけれど、それを唯一無二としてプラスに受け取ってくれる人がいれば、それは自分が自分であると認められる時なのだろうなと思います。

 

あー、あと思ったのはちさ×ポンの最後の方にて、ちさとポン夫婦の間に娘が産まれてポンタがあやしているところに友人2人がいて、「このカワイイワレメがいつかはどこぞのオトコにイロイロされちゃうわけやねぇ」と言われて悔し涙を流すシーンがあるのですが、やっぱりなあと。

 

というのも、やっぱり男というのは女性に抱く性的感情として純情さ一本よりもいやらしさで幅が広くて、そういう目で女性に向かう自分がいることを自覚し、仲間ともその気持ちを共有しているから、そういう同族嫌悪的セリフが出るのだなあと。

 

自分の嫁は基本的にその目線を向けられて行為まで至るのが自分だけであると保証されているからまだしも、娘はそういった意味で守ることはできませんし、やはり他の見ず知らずの男が自分が嫁に抱くようないやらしさ含む目線で娘に迫るとなるとそりゃあ気分は良くないですよね。

 

だから、そこら辺の男女差は先天的にあるのだと思いますし、私は処女厨と呼ばれる人の気持ちが分かるのですけどね。

 

逆がないのは(あったとしても相対的に抑えめなのは)そういった上からマウントな精神ではないからなのではないかなと。

 

そんなこんなです。

 

少女漫画やら女性向け漫画は全く読んだことがないので、この女性作家の二作品なんて実はありきたりでゴロゴロ転がってる程度の内容だったりするのかもしれないですけど、何か私の人生観に大きな影響を与えたことには違いないです。

 

あとあとあとあと、どちらの作品も互いを知る周りの多くの人があってだなあっていうのはありました。

 

作品上必要だったのはそうですが、リアルの恋愛でもそうなんだろうなと思います。

 

自分の場合は、参考にしたい人も特にいなかったし、自分達だけの秘密にしておきたかったし、他は他自分は自分だと思って深く話したり相談はしませんでした。

 

けど、結構しんどかったです。

 

自分のブログだから問題ないですけど、そんな自分語り展開したかったわけじゃなかったんですけどね。

 

良くも悪くも読んでたら想起してしまって、重なるなぁと。

 

最近の執筆熱の下がり具合の中でこんだけスラスラと書いてるくらいにはオススメです。

 

ネタバレ避け気味に上辺だけすくって書いたので何が何やらかもしれませんが、もしかしたらネタバレ有りの考察編も書くかもしれません。

 

あ〜島津さん〜

 

 

作者の中野純子先生、調べたころ2012年に亡くなったそうです。

こんな作品に出会えて良かったというのと、もっと新たな作品を読みたかったという気持ちです。

ご冥福どうのこうのは取ってつけた感じがしてあまり好みはないので、ありがとうございましたと感謝だけ。