こんにちはSOです。
何が発端か忘れましたが、確かなんらかの広告で原作の一部をチラ見して、Amazonプライムに同作品のアニメがあったので観てみました。
作品のタイトルは「荒ぶる季節の乙女どもよ。」。
うーん、この先はネタバレ込みでレビューというか、勝手に感想をツラツラの予定なので、気になる方はストップしていただければ。
評価が低くはないことは確認してから観ました。
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結論から言うとタイトル通り、嫌な気持ち、というか胸糞悪いとでも言うか、何も得るものがなかったという感じ。
と言っても、私は作品のテーマである文学周辺の知識が乏しく、また映画やアニメ、漫画も著者や作者などの裏方について考えたことも知識もないので、あくまで真っ当に、ある意味表層的な部分や、作品を作品としてでしか観ることができなかったことは前置きとして。
なんか、他のレビューにあったような、小難しいこと抜きにして、感情的なことでギャーギャーうるせえな、という場面が多くイライラしたっていうのが1番な印象かも。
まぁ、タイトルに「荒ぶる」ってあるだけに、そりゃそうでしょってのも分かるんだけど、いろんな荒ぶりを先に観せたいと決めて逆算的にどう演出するかって感じで話が作られた感じがあって、その演出が無理やり感、及び非現実感が凄くて、本気にしていいんだか、ネタっぽさ含ませるならもっとそっちに寄せて、という思い。
一応、自己整理含めて、どういう作品かと登場人物を紹介すると、主人公の和紗(かずさ)と幼馴染でのちに付き合う泉(いずみ)、和紗と近い友人の百々子(ももこ)、容姿端麗で和紗と百々子の友達の菅原(すがわら)、先輩で作家志望の本郷(本郷)、更に先輩で委員長タイプの曽根崎(そねざき)、顧問になったミロ先生、という文芸部が現場の、性を知り、興味を持ち、振り回され、互いを知る的な話。ざっくり。
あー、これはいずれどこかのタイミングで触れたいなと思い続けていたもので、この作品にも見られた演出のため少々脱線するけど話したいのは、昨今、過去からの風潮含めて、女性差別とそれに抗う言動が目につくようになりましたよね。
セクハラ、metoo、kutoo、フェミニズム、言葉や単語はあまり知らないけど、そういう感じの。
それらは確かにと思うものもあれば、そうか?と思うものもあるし、世の流れとしてなるほどね〜と思っている程度。
それより、そういう流れの一方で、逆に男性差別とか、それならこれもそうなんじゃないの?というような気付きの場面が増えてきたんですよね、元々は気にしてなかったのに。
なんか、まぁいつものことだと思いますが、分かりにくかったらすみません。
例えば、1話目では和紗が幼馴染の家とはいえ、鍵が空いていたところこっそり忍び込んで泉の部屋を覗いたら自慰をしていたシーン。
勝手に覗いて、勝手に発狂して、自分勝手も過ぎるし、なによりそれが逆だったらどうなってんだと。
友達や知り合いに覗かれたことを言いふらして学校に立場なくなってたかもしれない。
もしかしたら女性側のを男が覗いてしまう作品もあるのかもしれないけど、このタッチのこの作風においては掴みの強さが欲しかったのかもしれないけど、度が過ぎた演出だなあ感。
アダルトビデオの生々しい音声は都合よく部屋に入るまで聞こえないんだし、そもそも勝手に入っておきながら、部屋のノックもしないんだし、いきなりバッと開けずにこれまた隙間から様子を伺ったりでしょ、現実なら。
ここまできたら驚かすつもりで勢いよくドアを開けた、とか、そういうならまだしも。
本郷のミロ先生に対する扱いの雑さ、接し方の酷さとかはより差別の象徴してて、あれが男子生徒による女性の先生へのものとして描かれることはないんだろうし、観たこともないし、そういう異性への在り方とか、そういう扱いでも許容されることを前提としている感じ。
グリッドマンの主人公の友達のメガネ君をグリッドマンのパーツになるスーツの3〜4人組の内の女メンバーが雑に暴力的に扱ってた辺りも同じものを感じてたな(説明面倒)。
男はドジで直線的で力はある、だから少々乱暴に蹴りを入れたりはよく見られる。
性別によってそういう性質、いや本質はあると思っているので、そういう扱われ方には特に何も思わないし、それでいいとさえ思うんだけど、こういう世の中というフィルターを通して観ると、そんな感想を抱いてしまう。
この作品中の、百々子が過去に同じクラスで予備校で再開した同級生をこれまた雑に扱ったり、キモいと思ったり、菅原が恩師の大人(男)を嫌悪したり、最終的には(非現実でネタ過ぎるしベタ、だとは思うが抑えて)殴ったりしたそういうシーンは、この作品で純に近い乙女を描くために男を悪い性質だけを持ってきてそういう側面でだけ見えるようにしてることは、「演出」としてはアリというか仕方ないと思うので、そこは差別とは切り離したい。
さて、話は戻って、何が描きたかったんだろうか、分からない。
官能的なエロ表現を口に出したり、セックス を連呼したり、そういう生々しさを出し、非現実にも程がある演出を使ってまでも観せたい荒ぶりを表現するくせに、全てが精神世界止まりで、脳内に留まり、肉体的な欲求としては描かれない一線を超えた非現実と、そこをやらないなら無価値レベルの緩さ?みたいな。
そういうシーンを男の視聴者として観たいから〜、とかそんなことでは一切なくて、直接的でなくてもそう察させる部分があるだけでも良いのに。
まぁ、そういう意味では本郷だけはミロ先生に直接的、肉体的な求め方をしていたので、そこは良かったのかも。それでも足りな過ぎたけど。
もっと簡単に言わないとダメね。
えーと、女という性としての視点、プラスその中でも乙女、少女という思春期というかまだ純情な立場からの視点で見た異性への興味や手探り感を表現したいのは分かるんだけど、もう中学生じゃねえんだからっていうのと、このご時世にしては無知過ぎるっていうのと、0からセックスまでなんて飛躍し過ぎっていうのとか、そんなこんな。
なんでか異様なまでに思春期世代においては迫害されて来たスクールカースト底辺(隠キャ、ブス、地味的な)の集まりがこの文学部ってなシーンもあったけど、そこにいる場違いな容姿端麗兼清廉潔白な菅原もおかしいし、それだけでこれまで性知識、欲求0は無理やりかなあ。
と、ここまで書いてきて、人口的な作品なんてどれも後付けで逆算的なのは当たり前なんだし、逆に自分なら性に触れた女の子達の何某をどう描く?と言われたら、どうだろうね。
こう批評してる言葉それぞれも後付けな私だしなぁ。
まぁでも、こういっちゃあなんだけど、こんな「気持ち悪く」は描かない、とは言い切れる。
一方、この作品が受ける人、ハマる人、分かる人、好きな人の気持ちも分からんではないし、「生理的に受け付けない」かどうか、好きか嫌いかみたいな話な気もする、案外、実は。
好きなシーンはベタだろうけど曽根崎が自分を好きだという男子に対して提示したどこが好きなのかレポート50枚提出の課題を探索した最後のページの「付き合ってください」に「お願いします」って書いてたシーンだけど、まぁ50枚レポートとかキチガイだし、そういうところが気持ち悪さの一部だし、非現実なんだけど、その中では良かったかな〜。
久々に見かけたはずの菅原の恩師とか、急に頻繁に出てき過ぎだしな〜。
見た目ギャルで、キャラもそのまま妊娠で退学にさせられた子も可哀想になぁ。
たまったまホテル街を出歩いたら、連絡されて退学だか停学だかとかなんじゃそりゃ〜。
百々子、唯一まともな立場かと思えば、後半毒多めでうるさかったな〜。
とキリはないほど、なんか得るもんなかったし、嫌な気持ちになった作品だったかなと。
Amazonレビューやん、これじゃ。
まぁ、ブログやってるんだし、いいよね。
オススメはしないけど、観てみた人と語ってみたいというのはあるし、お暇ならどうぞ(笑)。
いやぁ、それにして「まぁ」を多用することすること。喋りで表現は苦手なつもりなのに、書いてもこんな抽象的じゃヤバイなぁ。
もっと具体的に、具体例も提示して、っては思うんだけど、見返してきて示すとか面倒だし、日常的な具体例もいざとなると思い出せなかったり。
それでも、やってかないとね。
予防線じゃないけど、気持ち悪いって後感想ありきで振り返っての後付けレビューなので、深く捉えると本来思ってないこと書いてる可能性もあって、間違いではないのは繰り返すけど気持ち悪いって感じだということ。
そういえば、27日でこのブログが2年を迎えて3年目に入りました。
去年は1年間で100本の記事を書いたんですが、2年目は半分の50本ほど。
この調子で半分に、なんてことはないけど、また続けていきます。