1日1本のペースを超え、既に30本近くに達しようとする記事。
ほとんどをスマホから書き上げているので画面が狭く、全体を把握しながら1000文字目安を綺麗にまとめることはできていないのですが、それでもそれなりに思考が可視化でき、脳内整理に一役買っているのは大きな事実なのです。
あとは、形として残っていることが大きいなと思います。
いつもの家庭教師での経験例を挙げると、新規ご家庭にお伺いする度に同じような自己紹介に始まり話をするのって、聞く側は新鮮でも話す側の自分はもちろん飽きる。
知名度が高くなり人と会う機会が多くなるにつれ何倍にもなるのだと考えると、思考体系に可視化された形で触れられるというのは効率が良いというか、便利だと思います。
常々思うのが、「あの人ならこの時どうするか、どう考えるか?」が理解できるようになった時、その人と自分は同化していると思うのです(どうかしている)。
その精度が100%なら完全でしょうけど。
でも、役を演じる俳優の方などはその役になりきる為に思考まで成り切ろうとするのではないでしょうか。
子供の心理描写として描かれがちな「この場面ヒーローならどうするか?」的な。
そういう意味では素晴らしい思考や感性の持ち主ってそれを受け継ぐ後進を育てることが重要なのかなと思います。
息子、娘かもしれませんし、職場の後輩かもしれませんし、友達や仲間かもしれません。
その人自身である必要より、その人の思考、感性さえ精度が高く取り出せれば、これからの時代それを具現化、行動化するのはロボットでも可能なのかもしれない。
それに、後進の人数が多いほどその思考感性が世に広まりやすくなるわけで。
その後進から次の後進へと広がり、世全体の常識や風潮になり得るのかも。
と、落合陽一さんが学生を育てているということから発想してみたというお話。
睡眠時間ぶっ飛ばして具体行動取ってることが原因で番組で観かけても疲れた様子が伺えますし、死んでも思考感性(意思)は受け継がれてるから良いと思っていたりするんじゃないのかな。
名前が残るとか度外視で(というよりどうでも良くて)、自分が生を受けている間に自分及びその周辺人類(家族、親戚、友人等)間のみで幸不幸の小さい波が繰り返されるより、全体人類が次へと進化(アップデート)できる担い手(創り手)になれるような生き方は、人生の考え方として面白いなあと思いました。
ただ、皆がその思考になるとその世界の享受者がいないような気がしたり。
思考が統一化されることは現実的ではないにせよ、自分自身も享受者(消費者)になる一面も持たないと何のためのアップデートという気にはなりそう。
と、ボーッとモンハンしながら考えたということでした。
ちなみに、クシャルダオラとテオ・テスカトルを倒したところまでいきましたよー。
それでは。