こんにちはSOです。
ここ数日は気が気じゃないというか、ずっとそわそわしているというか、ずっと気掛かりで何をしていてもこれでいいのだろうか?という気持ちに苛まれております(外国の例の件で)。
成功者っているじゃないですか?
果たして、成功者の発言における説得力というものをどこまで信じるべきかについて考えてみようかと。
って言うと語弊があるんですが、言いたいことの本質に迫ると、「成功者にはこのような共通点がありました」って情報を成功を目指しまだ結果が出せていない人が取り入れることで成功する確率は上がるのか?という問いを持っています。
例え話の例え話になって申し訳ないんですが、例えば成功者には「折りたたみ財布より長財布を使う傾向が強い」という共通点がありました!とか、「朝型の傾向が強い」とか何でもいいんですけど(本当かどうかしりません)。
ここでいう成功者の定義は財を成した、お金を稼いでいるなどだとします。
まぁ別に「東大に受かっていた人たちにはノートの使い方にこんな強い傾向が見られました」でも「イチロー(個人になってしまうものの)は朝にカレーを食べています」でも良いし。
いずれにせよ、その、「何も意識することなく日々をこなしていた結果として見られた共通点」というものを、そうではなかった人たちが「後付け」で、「変化」して、取り入れることって(要するに人為的な操作の施し)成功者路線に乗せさせることになるのかね?と思うのです。
個人1人のデータだけ取っても傾向を示すには足りなさ過ぎるとして、全体に適用したら上昇する傾向とか見られるんですかね?
「情報を取り入れずともその傾向に沿うような日々を過ごしていたような人間には成功しがちな傾向が強く見られる」の方が正しいのかな?と。
言ってること伝わってますかね?
後付けでデータをもらって路線変更しても、本質的じゃないからもう手遅れって可能性もあるんじゃないのかなと。
んー、突き詰めると私は先天的な才に後天的に敵うことはない、って言いたいのか?と自分でもわからなくなってきました。
まぁそりゃ
才能+成功者傾向路線 と
無才能+後付け成功者路線
では差があるだけで、後者が成功者ラインを超えない証明にはならないですね。
となると、私がこのことに疑問を抱いたのは、あまりに突飛な成功者共通点情報(主にバラエティ番組などで取り上げられる「成功者には〜の共通点があった!」など)を目にして、そんなこと聞いて真似したって効果ホントにあんの?って気持ちからなんでしょうね(笑)。
有益な情報、先駆者からの情報など、後天的に得てこうして文章を打っている私はなんなのか。
あー、単に有益な共通情報、ほぼ無関係な情報があるってだけなんかな?
共通点にも例外はあるわけで。
ただ、大多数に当てはまるからこその傾向であるならば、効率的にはそれに乗せることが近道なわけで。
でもそれでは、独自性や何か新しいものを生み出す能力には欠けるのか。
こういう思考に至るのも、私はずっと生きた道を誰かに教えるならどう教えるか?という視点を持ちながら生きているからなのかなぁ。
歳も歳だし、願望もあるので将来の子育ての際にどの情報を取り入れて育てて行くかとか頭悩ませますね。
まぁまだ自分のことで精一杯ですが。
子には勉強させた方が良いのか、どこまで放任するのか。
これもまた何らかの成功者は「私は親に勉強しろと言われたことがほぼありませんでした」と語りがちなイメージがあるものの、その放任さで勉強に手を全くつけない子が育った場合にどうすれば良いかは分からないし、私のようにベタに「勉強しなさい」と言い続けられて、した振りをするわ、ゲーム隠れてするわ、図書館行っても寝るわみたいなクズでも言われたから最低限の思考はできているのであって、アレすらなかったらどうなっていたのかも分からない。
通ってきていない他分野を口出しできる力もないなら、通ってきた道ではある勉学には口を出してしまうものだろうし、学歴が全てじゃないとしてもあって困るものではないし選択肢の拡がり的には必要だし。
どう生きる(べき)か?
いや、そんな風に考えることから間違っているのか?
そんな悩み回でした。
それでは。
[今日の一枚]
まぁこのコーナーは記事のサムネイル用に最低一枚は載せなきゃってだけで載せてるんですが、そんなに都合の良い記事に合う写真があるわけでもなく、適当に勝手に引っ張ってきて貼り付けるのは著作権とかよく分からないし怖いしということで、著作権フリーで検索かければ良いやって出てきたこれを。
思考や行動って色で表されがちですよね。
最近読んでるとある本で色の成り立ちっていうか、使用の歴史みたいなの少し読んで興味が湧いているこの頃。
なんとなく今記事は紫かなというパッとしたイメージからこれを採用しました(割とテキトー)。