お久しぶりですSOです。
例によって、風呂でこれを書いています。
風呂に浸かってゆっくりする時間があるから書けています。
そう、最近平日は授業と終わってから3〜4時間のバイトなり仕事なりがあって、隙間時間は課題をせねば間に合わず、本当にこれまでの人生で一番大変な時期を過ごしております。
まぁ、私は並の人では考えられない程の「暇な時間」を無駄かのように過ごしてきた経験者でありますので、この忙しさは大変で休みたいゆっくりしたいと思う反面、幸せなのかもしれないと思っております。
さてさて、風呂に入れば久しぶりにブログをチェックし、何か物思いに耽ることから何も考えなしにこの記事を書き始めたのですが、最近書く上で気になってしまうのが、「アレ?この話したっけ?」ということ。
これはその、忘れっぽいとか認知症的なこととはまた話が別で、書いたり話したりする機会が増えるにつれて数の多さで忘れてしまうという感覚でしょうか。
ましてや、初めての人に話す聞かれるエピソードや自己紹介ってどうしても同じ話に偏るわけで、2度以上してて当たり前な話まで存在するわけで。
でも、当然ながら、避けたいのは同じ人、同じ場面、同じ場所で同じ話をしてしまうこと。
学校でとある70手前?くらいの先生の話を聞いてると、過去の自慢話と東京住んでたことをステータスかのような喋りを何度も聞くんですよね。
この例は年齢的な点があるので例としては適切か怪しいですが、でも話してる本人は初めて話すエピソードのノリなので聞いてる側は「もう聞いたよそれ」となっているのも事実。
じゃあ、そこで気になったのは「2度以上話したくなるエピソードとそうでないものの境界線は?」ということなんですが、私なりの結論としては「正真正銘1度目に披露した際に満足できるかどうか」ではないのかなと。
先にも述べた通り、場面が違って初めて話す相手に全体通して2度目を話すとか、そういうのは例外です。
「同じ話を同じ相手にしてしまう」ことの理由としては、その話した際の相手のリアクションの大きさが自分が要求するレベルを超えていたかどうかや、共感されたいという気持ちが満たされたかどうか、そういうことなのかな〜と。
まぁね、そりゃ一概には言えないんだけどね。
でも、自分を振り返ると、まだまだ言い足りないから繰り返してしまうような気がする。
でも、文字として残る場所に書くってインパクトは大きいはずではあるんだけど、リアクションの返りが少ないからなのかね。
まぁでも、恥ずかしいよね(笑)
話す側としては。
またその話聞いてもらいたかったんだ〜とか、あぁその当時に消化できずに残り続けてるんだ〜的な恥ずかしさ。
という観点からすると、抽出される学びは、「2度以上繰り返してしまう話はお気に入りである」ということなのかもしれない。
大抵が無意識にしてしまうが故の悩み(恥ずかしいため)ということは、逆に言えばそういうエピソードは自分の好みを把握する上で役に立つ情報なのかもしれないね。
それでは。
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12月入ったら今年最後のヨウジ購入品の記事を更新できるかなって感じです。
ホントに今年は購入品少なかったです。
てか気付けば購入品紹介ブログみたくなっているのも、ヨウジ購入品記事には固定のリアクションを下さる読者の方がいるからなのかもしれないし、うんぬんかんぬん。
(色々あって食べたローストビーフに付いてきた西洋ワサビが美味し過ぎて忘れられない)