3、4日ほど前に、ようやく一旦のシナリオクリアには到達致しました。(モンハンの話)
ゼノジーヴァが弱いとは聞いていたんですが、確かに弱いものの体力がやたら多いために何度も攻撃を食らうようなことはありました。
でも、あの弱さで体力だけで面白みも何もないどころか小刻みに動きかつ高さがあり届かない事も多いことからイライラするだけなのになんの価値があったのだろうか?と。
幼体説があり、それ故に弱いとかなんとか。
どうでもいいですけど。
今はネルギガンテ周回してます。
回してて一番楽しいですね。
イライラも少なく、タイムも7〜10分ほどで済み、慣れもあり動きも手に取るように分かるので。
まだまだすること、できることはあるみたいですが、どこで区切りをつけようかという迷いはあります。
楽しいと思う限りは続ければ良いとは思うものの放置含めて現時点で120時間ほどのプレイ時間。
何度も話に出しますが、落合さんは忙しく時間がない中でもドラクエしてるみたいで、でもそれは明確に精神の休息(満足度を高める)的な目的がありしているらしいのですよ。
だから、私との違いはそれ自体が目的にはなっていないということ。
仮にいますも大学に通うなり仕事を務めているという状況なら、精神解放の時間としてゲームをする正当性が認められるのですが、ゲームだけで終わる日もありますからなんとも。
かといえば極めるでもなく自己満足の追求止まり。
悪くはないけど消費でしかない虚しさは感じるのです。
これがサッカーなら肉体の健康維持に一役買ったり、読者なら知識が蓄えられ、バイトなら次につながるお金が得られる。
精神の休息をゲームに求めるほど疲れる要因もないので…(病むほどの悩みを抱えた時にゲームがしたいとも思いませんし)。
バイト先の先輩や遠方の地元の友達とのコミュニケーションツールには間違いなくなっているのですけれどもね。
その目的意識を持って取り組んでいるわけではなく、後付けなので。
後付けと言えば、よく「AV女優、男優を非難する奴がいるが彼ら彼女らのお陰で性犯罪が抑制されているんだぞ」みたいな根拠のない憶測の擁護をしている人を見かけますが、それが仮に正しいとしても「その目的でその仕事をしている人はいねえだろ」と思うのです。
ネガティヴになりましたが、そういう視点を持って無意識の事象を眺めると人生が違って見えるかもしれないね、というお話でした。