SO@過去の自分に伝えられるなら

傷つきたくないから探してる/不定期更新/備忘録&日記

欲が湧いてきた

こんにちはSOです。

 

復活した割にまだ更新頻度の変わらない日々を過ごしております。

 

だらけた気持ちの吐露の場としてでも良いかとおもい取り敢えず開きました。

 

自粛生活が続き、時間があっても寝てるか食べるかYouTube見てるかTwitterやメルカリ追っかけてるかが日課の怠惰マンには苦じゃないかと思っていたら、案外そんなことはなく、買い物による発散ができない苦しみは感じています。

 

果たして買い物による発散は行為として良いのか悪いのかと言われると、良くはなかったと思うので強制的であれアレなんですが。

 

まぁ、散財できるほどの稼ぎがなくなって大痛手を被ってますし、それどころじゃないんですけどもね。

 

1〜2ヶ月近く働くことから離れてしまって、シフトガンガンに戻るのを想像すると頭が痛い。

 

お店には行けていないですが、ヨウジ欲は今のところ下がってないですしね。

 

新品という意味では夏服の数を増やしたいですし、古着という意味では季節を問わず幅の広がるアイテムがあれもこれもと欲しいお気持ち。

 

取り敢えず、どのパート?セクション?も5点ずつくらい欲しいなと。

 

コート、ジャケット、シャツ、カットソー、パンツ、靴てな感じで。

 

そうは言っても、なんだかんだでコート、ジャケット、カットソーは5点はクリアしてるのかな。

 

なので、夏場ジャケット、白シャツ、夏場パンツ、靴がもうちょい欲しい。

 

トップスの中でもインナー使い可能なアイテム(主にシャツとカットソー)は夏場冬場という区分より黒、白、その他って風に色で使い分けたい。

 

ので、特に白系で、今まではなんかキレイ目のシワなしが基本なシャツをやたら求めていたけど、洗いざらしというのか、シワ感あるくらいな雑な物が欲しいお気持ち。

 

そのシャツがトップス最外殻になるこれからの季節には、今まで避けてきたメッセージ系やデザイン系の物を取り入れたい気持ちも少し。

 

毒っ気をそろそろ。

 

それにしても2ヶ月近くお店に行けてないのはこれまで史上、最長かも。

 

行けても時間はないのだけれど、あの雰囲気に少しは浸っていないと、ファッションに対してのお気持ち自体が少しずつ下がっていく危機感はある。

 

てか、早く昨年度の購入品紹介記事を作成したいんだけど、写真も撮ってなければ記事の1文字もまだ手を付けていないので、まだ先になりそう。

 

話が飛ぶけど、自粛期間とか関係なく、変な太り方をしていて最近。

 

体重は変わりなしなのにお腹だけがパツパツに張っていて、かなり日常生活に支障が生じていて焦り。

 

恐らく、食べる量は変わってないか、むしろ減ったんだけど、運動量も減ったのと、何よりたまにだけど思い出してはやっていた筋トレをやらなくなってしまったことが原因かなとは思っている。

 

思い出したら1〜2週間はなんだかんだでムチ打ってやっていたし、やめては思い出して再開するまでのスパンもそんなに開いてはなかったんだけど、ここ半年くらいは精神的に余裕がなかった言い訳はあるけど、やってなかったなぁ。

 

そんなことはどうでもよく、本当にお腹が出てしまった。

 

それがキツい。

 

満腹じゃなくとも何かを食べると張ってしまうので、服装が維持できない。

 

というのがここ最近の1番の関心事なのかもしれない。

 

誰が聞きたいんだこんなこと。

 

ダーツは前の家よりも床の音の響きが減ったおかげで、騒音を気にせずに済むようになったので、自主練は増えてます。

 

けど、機械用いての対人は全くもってできてないのでどうなってるのか…、不安。

 

ダーツ体験記も更新したいなぁ。

 

せっかく手を付けたからには、この記事での内容のバラけとかは気にせず、思ったこと気づいたことなんでも詰め込んでみるけど、本を読む体力がなくなりました。

 

活字がしんどい。

 

Twitterとかブログとかは読んでられるんですが、本がキツい。

 

どうしても途中でページ数が気になって、あとどのくらい掛かるのかソワソワしてしまう。

 

映画とかAmazonプライムで消化してたけど、動画コンテンツはスマホ操作と並走できるから好き。

 

そんな視聴法を取ってるせいでやたらと内容が薄くしか残らないこと多数なので本末転倒、っていうか、どっちも半端感で悲しくもなるのだけれど。

 

ていうか、単にスマホ依存症なだけな疑惑。

 

1日に3〜4回はフル充電から20%切りになるくらいには点けっ放し。

 

それが何か自分にもたらしたのか?

 

という不安もあって、好きなことに専門的になりたく思い、本を読みたいのだけれど、活字が読めずに困っているということ。

 

つべこべ言わず、やる気とかモチベーションとかに逃げず、そういう時間の枠組みを決定してしまって、取り敢えずそのテーマにしか手を付けられない状況に持っていくしかないよねと気づいてきてはいる。

 

要するに、本を読みたいなら、時間を1時間ならそうと決めて、1時間本を読むか読まずに居るかしか選択できない状況を作ると。

 

何も脳内に情報が流れない暇には耐えられないから活字あーだこーだ言わずに少しでも読むでしょうと。

 

なんか、そんな風に習慣化の癖をつけることからなんでも始まる気はする。

 

とりあえずやれ!と。

 

やり続けられるのも才能とかそういうのはもういいんだと。

 

なんていうのか、使命感というのか、せっかく生まれたからには他の誰でも良かった生命として、動物としてのその時代に応じたなぞるだけの人生を再生する虚しさに怯えるくらいなら(それでいてそれは安心でもあるのだけれど)、恐怖(というと大袈裟ではあるけとれど、未知に対抗するという意味では)と戦ってでも過去に残っていない自分だけにしかできない(能力や才能という意味ではなく、気づいたこととやろうとしたこと=パイオニア的なニュアンスで)ことを成して自分が自分に対して世に生を受けた意味や価値を規定したい気持ちがあるのですよ。

 

なんか小難しいこと言ってると思うんだけど、小難しい感じの方がなんかそういう哲学チックなことを脳内で処理する時はスムーズでいるというだけなので、簡単に言うならば誰でもできる人類の繰り返しな人生を送るのではなく、自分にしかできなかったと信じられる、もしくは信じたいことを成してその過程が価値として残ることで自分自身が生まれてきて意味があったと思い込みたい自己満足をしたいなって気持ちがあるよ〜ってお話。

 

言葉とか合ってるのか分からないけど、読ませる気がないと思われてしょうがないけど、拙い自分の今の全てがこれ…。

 

という意味においては、Twitterやブログとかでは文章を読むのは楽しいと思えているので、1つのテーマをきちんと詰まることなく、そして「この人の他の話も気になる」と思わせられる文才?に嫉妬している最近でもある。

 

そういう人はなかなか辿りつかない深い考えがあることも多いけど、何より考えの唯一性、希少性の高さの前に表現力とか比喩力とか結びつけ力とか、簡単に言うと分かりやすさ、理解を詰まらせない能力があると思う。

 

こなした量もだろうし、バーっと流し書きじゃなく丁寧に見返したり、まとめたりしているなだと思うけど、そういうのも活字しかり習慣化から始めて数こなしてやってから羨ましいとか憧れるって言わないと、やってないのに力の差を感じるなんて言わずもがなでしょ、と思う。

 

なんだ今回の記事は。

 

と私が一番思っている(批判を避ける予防線とかいうレベルじゃない)ので、訳わからなかったら読まなかったことにして、あなたのやるべきことをしてください(笑)。

 

ではまた。

 

 

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美味しいけど面倒なんだよなあという印象がこびりついていたハンバーグ作りを2〜3年ぶりにしてみたら、安くて割と簡単にできた。

し、過去の気合い入れてた物より、雑に?簡単に?作ってみた今回の物の方が肉汁が閉じ込められていてふっくらジューシーで中までちゃんと火が通っていて美味しかった。

っていう写真。

今になってタイトル見て思い出したけど、「記事を書く」欲が湧いてきたということでした。