こんにちはSOです。
ニュートンという雑誌の「やせる科学」という特集を以前に購入したまま積読していたのを思い出したので、表紙をちゃんと見たところ、ラストの項目として「コロナ太りに効く、自宅でできるエクササイズ」というものがあったので今記事をと。
結論から言うと、1日5分、10分で効く〜ダイエットとか、そういう類って、効く効かないの前に続かないですよね。
時間の短さは一見魅力的でも、なんだかんだ数分でさえ嫌なものは嫌だし、大変なものは大変であり、要は気持ちのリセットが起きる1日という単位を継続する難易度が下がらない限りは意味ないよなと。
逆に言えばそこを超えられる人は1単位当たりが数分で済むんだから楽なんだけど、超えられるならそもそもこんな情報気にしてないっていう矛盾。
そういうリセット効果(睡眠のことを指します)を乗り越えて継続する上で他に障害となる項目として、他の手段もチラつくことにあると思うんですよね。
先述の通り、数分でできる〜ダイエット、エクササイズにしろ、〜食べるだけダイエットにしろ、無限にある。
まぁ、おそらくどれを選択しようと、根源は「消費カロリー>摂取カロリー」の不等式を成立させられているならダイエットは成功する(体重の減少のみを指すとする)という話なので、その根本からの派生が無限に作れるってだけなんだけど。
私の場合は、ダイエットもそうですが、勉強法、参考書の選択が混迷して停滞した人でした。
困ったことに、「そもそもが受験という枠を超えて全てを網羅的に学んで完璧になりたい」という完璧主義な思考だったことも災いしたんですが、凄いと思しき人の手段こと参考書の類いは見かけるたびに購入してました。
でも、言わずもがな、宝の持ち腐れで手付かずがほとんどでした。
ダイエットと一緒で、どの手段を用いようと「分からないこと→分かる」化、しないと成績は伸びない。
手段数を増やすこと、手段への知識が深いことは根本に影響は及ぼせど、直接的ではないということですね。
これは改めて言葉にすると当たり前で耳を過ぎる話でもあるんですが、言葉として認識するのは意外と大事です。
「勉強しなければ」と思うものの、結構それって漠然で、教科書を読むとか、ノートを見返すとか、ノートにまとめ直すとか、学校で触れた手段を繰り返しがちなんですが、それってあくまで手段であって、何を目的として行っていることなのかを明確にすることって大事なんですよ。
目的と手段の区別。
まぁ、私は高校生あたりまでそのことを曖昧に生きてましたね。
何が言いたいかって、相変わらず自分に向けての言葉ですが、取り敢えず一つだけ選択してそこだけに集中しろってこと。
目的をハッキリさせて、そこまでの残り時間とのバランスを考えて、可能な選択肢を選んで集中するしか残されていないのだと。
何らかの決断を迫られた時に、もっとあれやっとけばよかったとか、まだあれできてないしな〜って逃げ道を作ってしまうんですが、それってまとめて学んでる時間なんておそらくないんですよね。
全くのフリータイムなんておそらくほとんどの人にはない。
何かしらの継続の最中に、細かな時間を見出してコツコツ積み重ねるしかない。
と、月〜水サボってみたものの、まとまって得られたかのようなフリータイムもコツコツとした時間×n日、週、年には遥か及ばないことを身をもって知って軽く折れた今日でした。
それでは。
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