SO@過去の自分に伝えられるなら

傷つきたくないから探してる/不定期更新/備忘録&日記

ヨウジ関連

こんにちはSOです。

 

久しぶりに湯船浸かってゆっくりする時間取れたので書こうかなと。

 

さて、ついこないだ次のAWのコレクション発表がありましたね。

 

単刀直入に言うと、割と良かったかなと。

 

単体毎に追えてはいないので、ざっくりとコレクション全体感として、です。

 

松重豊さんは好きで、前々から身長のこともあって着ているらしいことはネットで検索したりして分かっていたのですが、モデルとして出るとなるとまた良かったですね。

 

普段の孤独のグルメやらPayPayのCMイメージなどを持たれているとギャップがあるからか、他にも俳優さんは出ていましたが、一番取り上げられている印象としては松重さんでしたね。

 

公式としてもトリに配置していることから、メインに配役したんだと思います。

 

まぁ、それは良いとして、中村トオルさんがグラサンして出てきた時、まさかの担当さん⁉︎と勘違いしそうになったのもさて置き、今回のショーで気になったのはショー途中での拍手。

 

なんなんですか、あれ?

 

しかも日本人の俳優にだけ。

 

ショーの途中で耳障りだし、何より他のモデルの人達が可哀想。

 

発端は分からないけれど、もしかして公式側の人が配慮というか忖度というか、そんな感じの変な盛り上げとして始めたんですかね?

 

招待客が途中で先陣切って拍手って結構勇気いるでしょうし。

 

だとしたら、ちょっと寒いな〜ってのは否めないかも。

 

じゃあ、過去の小林直己(さん)とか城田優(さん)とかMIYAVI(さん)の時には拍手が起こらなかったのはなんで?ってそれは、多分パリが舞台だからで、今回は東京の本店だったみたいですし。

 

まぁ、分からないのに勝手に批判するのもアレですが、拍手が日本の俳優の時に起こったという事実に関しては個人的に残念だったなと。

 

もちろん、ルックとか雰囲気は皆さん凄い良かったです。

 

んー、なんかマイナスな事ばかりになりますが、後はコレクション中のスマホでの撮影姿も正直見たくないんだよな〜。

 

百歩譲って、眼では生を鑑賞して、あくまでサブ的な動かし方で動画撮ってるのはまだアレだけどと。

 

ショーの動画は公開されるんだし、素人が撮る必要なくないです?

 

まぁ、記念とか、生の感じは貴重というのも分かりますが。

 

だし、実際ショーに参加された方があげている動画や写真って、コレクションの映像通して見るのとぶっちゃけ全く質感が違う。

 

なんていうか、語彙力足りてないんですけど、コレクションフィルター通すと世界観作り上げる一要素として成立してるけど、スマホ通した生カメラだと我々現実世界とさして変わらないんだな、という見え方をしたといいますか。

 

それでも生で見るオーラやモデルとしてのスタイル、高身長などは映像では分からないリアリティがあるんだとも思います。

 

それでもそれはスマホカメラじゃ伝わってこないし、コレクション映像の一部として映るんだから目に焼き付けるだけにしといたら〜?という気持ちには、今回だけでなく、毎回のショー参列客の方には思うところです。

 

マイナスついでにもう一つ気になるとしたら、内側の人、公式の人、作り手の人と、常連顧客の一部の人の繋がり凄いなと。

 

私は他のヨウジと同格ブランドで買い物などしたことないので、この業界の常識とか分かりませんけれども、逆にそういう素人目から見ると、違和感というか、怪しいというか、胡散臭い?というか。

 

まぁ、そもそもを言えばコレクション招待客のSNSを何人も見かけることからして、ですが。

 

ハイブランドとかとはまた違うのかもだけど、ガンガン300〜500万くらい1シーズンで使ってますとかで招待されてるならイメージ湧くんですけど、そうでもなくても招待されてる方とか、年齢だいぶ若いけどなとか、一番前の席なんだとか。

 

嫉妬して、私も呼んでよ!みたいな事じゃなくて、元々持ってるイメージより内側の人とお客が歪に近いように感じられて、そこはなんか違和感覚えるな、っていうだけの話ですね。

 

さてさて、コレクションはそんなもんで、そろそろまた服を買い戻りたいなと思っています。

 

着込む数年に近年はなりましたが、やはりまだまだアイテム数が足りない。

 

というより、日常使いしにくいアイテムが容量取っちゃってる感。

 

例えば、ラップパンツとか、ロングチェックコート(品番はカットソー)とか、袴パンツとか。

 

保持してる分には問題ないですが、着回しできるアイテム数にカウントされないので、それを除くとまだまだ足りてないんですよね〜。

 

せめて、シャツは違う型の物を7日は着まわせるだけの数が欲しいし、フォーマルな場でも履ける少し綺麗めなパンツも欲しいし、ジャケットのシンプルな制服化できるものがもっと欲しいし、パンツも季節に応じて素材変えられるだけの数欲しいし、全く足りてない。

 

脱黒パターンでも何型か保有したいし、道のりは長いですね。

 

あとは着込む上で、手入れを知りたかったので、クリーニングとか洗濯についての本を買ったり、ネットで検索したりは少しずつしてます。

 

裏地無しギャバはもう洗濯機で済ませる人種になってしまいました。

 

あとは、使い込む上で、色々なところがほつれたり、穴が空いたり、取れたり、ってことが頻発してきたので、それを然るべきところに出せる知識や、自分で手直しする技術なんかも興味持ってます。

 

そうそう、話が転じてばかりでアレですが、メルカリとかでヨウジ検索しても、一昔前と比べるとヒットする数が極端に減った気がします。

 

やはり18〜20SS、AW辺りまではバンバン色んなの見かけてた気がしたんですが、最近は元気ないですね。

 

そんな中でも自由にのらりくらりと自分のペースで買い進めて、着こなしていきたいと思います。

 

「実際にヒットするアイテムで、古着で手持ち組むならこのパターンを今の私なら選ぶ!」とかいう企画とか面白そうだな〜とずっと思ってたり、私自身の熱はそこまで落ちてないのでまた良ければお待ちください。

 

それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[今日の一枚]

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凄いね、グラウンドワイ!

あけおめ

どうもどうも。

 

あけましておめでとうございます。

 

今年もよろしくお願いします、と言えるほど記事の量産が進んでないので、今後もお暇であればたまにどうぞといった感じで。

 

さてさて、ヨウジ関連ストップしておりますね〜。

 

ホントに着込みの年になったなと。

 

いや、年間の振り返りは年末までにせーよって感じなんですが。

 

着込む上で出てきた難点は、黒デニムの色落ちと、デブ体型による股擦れによる穴あき事件と、ギャバパンツ汗かくと肌当たり悪い件と、ギャバジャケットにテカリが散見される件などなど。

 

1番個人的に問題視してるのは、「丈」ですかね。

 

んー、最近ロング丈やっぱダメになってきちゃったんですよね(笑)。

 

って言っても、無論、なんでもかんでもではなくてですね。

 

ジャケットとシャツが主。

 

ヨウジのパンツって股上深いのでただでさえ、股下の位置は下がり気味な中で、トップスの丈が長いと、その裾下にすぐ股下が来る形になり短足が強調されるんですよね。

 

だし、ほぼハイウエストで履くものばかりなのに、隠れちゃって勿体ない。

 

パンツインもできますが、たまにはショートジャケットで外す気分の時もある。

 

今季なんかはショートアイテム出てたらしいですし、昨シーズンもあったようですが、逃しました。

 

ん?じゃあ短足も買い逃したのも自分次第やん!

 

まぁ買い足しじゃなく、保持アイテムで着込む話なんで…。

 

てなわけで、肩幅に合わせてトップスは3〜4がメインサイズ選んでるものの、身長が170しかないことも原因なので、お直しが必要かな〜と。

 

イジったらバランス難しいんですが、それに甘えて放置してきてたものの野暮ったさも限度かなと。

 

その辺はまた記事にできたら価値はあるのかなと。

 

それはさておき、この界隈の観測範囲の方々、どっと活動が鈍くなった気がします。

 

TwitterInstagramYouTube、それらで観測?観察?参照?させていただいていたヨウジ関連の発信者の方々、見かけなくなりましたねー。

 

かくいう私もその1人なので、奇遇なのか界隈が移動しただけなのか、なんなのか。

 

でも同じ観測範囲で見てる限りは、更新が途絶えるか、他のブランドに移った人が大半ですかね。

 

ブランドにおける平均滞在時間が数年なのか、コロナの影響なのか、離れる程のデザインチェンジがあったのか。

 

1つ目のブランド滞在時間は多少あるかなとは思っていて、私を例にすると18SSから入って20AW〜21SSで緩やかに落ち着いたので、約3年6シーズン(+1シーズン)くらいも経つと、回せる数はおそらく揃うんですよね。

 

もちろん、使える額にもよりますが。

 

これは流石にバイアスかけて見ちゃってそうですが、18SS、AW前後って何故かこれまた新規層が増えたっぽくて(イメージ)、そうだとすると私同様落ち着く時期も同じだったのかなと。

 

大勢と同じ動きだよって言われると抗いたくなるもんですが、追い討ちかけるように私は金欠借金のため諦めているところ8割もあります。

 

ややこしいですがその内の5割はコロナの影響なので、2つ目のコロナによる影響も少なからずあるのかなと。

 

初期の頃はリモートだなんだで、服いらねーじゃん的な風潮が見受けられましたしね。

 

でも、熱心にパワー持って小ヨウジインフルエンサー的な活動してた人らも悉く見かけなくなったなぁ。

 

YouTubeで活動してたプレタポルテさんという方とかは勝手ながら、分かりやすく先程の例なのかなと思ってたり。

 

19SSの解説動画からスタートして、21SS、AWまではそれなりに更新してましたが、最近はパタリと。

 

プロパーで何着も購入なさっていたので財力的には問題なさそうでしたが、ヨウジ関連ネタが尽き?アイテムもそれなりに点数揃い、私のように私服もではなく、プライベートでの着用であろうことから落ち着いてきたのかなと。

 

分からんことグダグダ言ってもあれなんですが、とりあえずこの界隈が最近静かだなーって思ってるって話ですね。

 

朗報としては、YouTubeでヨウジの洗い方動画が2つ公開されていること(非公式)。

 

内容は私の過去記事と大差ないですが、動画の方が分かりやすいのでどうぞ参考になさって下さい。

 

新年早々、忙しいようで暇だったもので書いてみました。

 

それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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イチローに認知される人

こんにちはSOです。

 

またサボっていたら、書きたくなったので書いてます。

 

さて、日課というか、もはや中毒というか、生活であるYouTube視聴なのですが、イチローさんの高校生指導も数件になったそうですね。

 

ありがたいことに極秘ではなく、動画として残っていてそれが視聴できるのは無関係な私からしても嬉しい限りです。

 

そこで披露される野球の技術的指導は活かしようがないですが、やはり国民的な人気の理由は彼の振る舞い一つ一つへの関心と圧倒的な成績から来る説得力だと思うので、それらが観られるのが勉強になりますね。

 

最近あった松坂大輔氏の引退イベントの際にも話題になっていましたが、一貫性があり過ぎるというか、「ん?らしくない…」と思う振る舞いってあんまりイメージないですよね。

 

冗談とか笑いの方面がないわけではなく、そういう方面も彼らしさを内包した形で表現しているし、それが凄いところだなと思います。

 

「自分らしさ」を維持できる分野だけを行うことは誰でもできるのですが、いついかなる場合も自分らしさを持って表現するにはアイデンティティが強固に確立されてなければムリなんだろうけど、果たしてそれはどうすればできるのか?

 

圧倒的な成績による説得力を今や10年近く前では受け取られる彼も、ではデビュー当時やそれから数年のうちはどうだったのかと言われれば、中学だか高校時の質問集?への答えとか、字面とか、インタビューへの受け答え動画とかチラッと観たことがあるのですが、なんとその頃から変わらぬ印象を受けました。

 

さすがにズルいですよね(笑)。

 

もがき苦しんでアイデンティティを追い求め打算的な私がいれば、少なくとも表向きは自然に生まれ備わっていたかのような自然さで誰もがカッコ良いと思う振る舞いをし、アイデンティティを見せつける彼という対比。

 

さて、それはさて置き、そんな彼に認知される人間はそりゃ、並の人間ではないのだな、と。

 

というのは、彼の専門である「野球」にターゲットを絞ったとして、世界一とも言える大谷翔平さんはさすがにもちろん。

 

先の松坂大輔氏も関わり合い的に。

 

プロという一線を超えていても面識や交流、本人の自覚する上での認知のない選手は山ほどいるかもしれませんが、それは一旦置いておくとして。

 

次に、高校球児。

 

でも、彼が指導に向かうにあたって、その学校を選んだ理由などを語るのですが、少なくとも共通してるのは基本「強豪校」であるということ。

 

あのー、いうて私も詳しくないんですが、3/4の智弁和歌山國學院久我山高松商業は強豪校で結果も出ていて、1/4の千葉明徳って高校はもう少しって感じらしいですね。

 

何が言いたいかって何かを悪く言いたい意図はなくて、そりゃあ理想は望む全てに平等に与えられることなんだろうけど、それが不可能で現実的には優先順位をつけねばならないなら評価軸として実力や結果という数値は気持ちや想いの反映としての努力を感じ易いので…。

 

なんというか、うーん、分野を問わず、何においてもあるラインを自力(定義はしないが)で突破した者にしか基本的にはチャンスは訪れないんだな、という解釈をこの件から私はしたなという話ですね。

 

「辛く苦しいでもそれが現実」半分、「そこまでやったろうやないかい!」半分ですかね。

 

私の夢の一つは、私がそれでやっていきたいと思っている扱う分野で多くの人に認知されることなので、それを目指して少なくともでき得ることは全て手をつけてから何も変わらなかった時には嘆き悲しみをまたここで吐露したいと思います(笑)。

 

それでは。

 

 

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[今日の一枚]

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ウールギャバジン表面

だいたい彼氏いますね

こんにちはSOです。

 

題の通りですが、うん、なんか少しでも良いなと思わせる要素があって、よっぽどのマイナス要素がない子はだいたい彼氏いますね。

 

最近、そんなこと続きで辟易としてます。

 

いや、私自身に関わりのない事象ではあるのですが。

 

異性関係で悩まなくて良い人生って、本人の自覚以上にストレスフリーだと思います。

 

もちろん例外もいるでしょうが。

 

少なくとも私は、どうしても異性がいる場では必要以上に目線を気にしてカッコつけてしまう自分がいますし、まぁ本質的にはそれは性別を有している以上避けようのないことなんでしょうが、程度のグラデーションはあるかと。

 

私の場合はだいぶ拗らせたまま20代後半まで来てしまったので、なかなか苦しんでいますね。

 

逆に、周りの異性に困ってない人のあるがまま感は相対的には強いかなと感じるところがあります。

 

あとは、人生の早い段階で「恥を曝け出す経験」を経ているか否かは男にとって重要な要素な気がします。

 

分かりませんが、女性が異性の前でカッコつける(あるいはそれに相当する、可愛さアピール)仕草ってイメージとしてはぶりっ子くらいしか分からないので、そこら辺はなんとも言えません。

 

化粧や容姿への気遣いですかね?

 

男はどちらかと言えば振る舞いや言動でアピールするような気はします。

 

それはさておき、ホントいろんなタイプの女性、女子と話しましたけど、なんか大概、男がいるんですよね。

 

見るからにそういう匂いのする子は別として、男臭のしないなんなら距離を開けてるか、苦手意識でも持ってそう(ただし顔立ちとしては可愛らしさはある)なくらいの子が他人伝に男がいると聞いた時は驚いたというか、もはやビビりました。

 

何度も言うように私は女性の気持ちなど分かりませんが、そういう相手、パートナーがいることでの精神的な余裕を持った上で相対してたのね、と思うと変に腑に落ちるところもなきにしもあらず…。

 

まぁ、何が言いたいかと言われると、女ってずりーなと。

 

根源が仮に同性である男のがっつき具合がもたらしていることなのだとしても、そうもたらされている側の性という意味で羨ましいですね。

 

選ぶ側、選ばれる側の線引きというか。

 

そういう意味で、女は信用ならんなーっていうか、そういう窮地や飢えを抜きに日々の生活や言動、振る舞いを無意識にやってるわけで、対等だと思ったら火傷するなと。

 

もちろん、あくまで私の体感であって、数値やデータをもとに話しているわけではないので、偏見込みの個人的な意見、感想です。

 

男同様に、ちと厳しいんではないか?という子には女であれどいないっぽいですしね。

 

本能的に、繁殖における役割別の性(さが)的に、すんなり通る男はメリットを享受するし、下層の男は手に入らず、なおかつ本能(性欲の強度)がマイナスに働いて苦しむっていう構図。

 

を、感じたな〜っていうお話でした。

 

それでは。

 

 

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[今日の一枚]

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レモンとか、みかんとか、柿とか、初見だとビビるくらい実がなりますよね。

金ネジキ的筋道

こんにちはSOです。

 

某実況者の方が1年程で金ネジキ攻略してましたね。

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切り抜き観て多少追ってました。

 

あの凄さとか、正直言ってやったことがほぼ皆無な私には語れません。

 

ほぼ皆無、というのは何年も前にネットにもそこまで大した接続もできなかった時にお遊びの範疇で試しに何度かやった記憶はあるけど、本格的に立ち向かったことはないという意味ですね。

 

同じ理論で、自分が本気でやってみたことのない分野って口出しはできないんだろうなと。

 

やったことなきゃ土俵にも立ててないし、やったことあって物申したいなら、物申す前に自分がその場に行けば良いのだし。

 

当該分野以外の点について、例えば態度だとか素行とかは別ですが。

 

さて、本題としては、何を突き詰めるにも結局、金ネジキ攻略と同じ程度の労力?努力?って必要だよなということ。

 

出てくるポケモン、技構成、3値の把握によるダメージ感覚、運要素の考慮などなど。

 

いや、ホント地獄だと思う。

 

把握できることは全て把握した上で、どうにも覆らない運要素と対峙するのであって、それ以前だと単に努力不足なだけになる。

 

でも、これって、ポケモンはまだ目に見える要素で構成されてますけど、数値で測れない現実の分野でそれに立ち向かうって中々ですよね。

 

ゲームでさえ、マリオカートポケモンのレート対戦も、スプラトゥーンも、シャドウバースもスマブラも、そもそもの土俵である、覚えられることは全て覚えて把握する、って時点ですら挫折しましたからね。

 

スマブラを題材とするなら、全キャラの技構成、相性、その他色々に加えてフレーム数とかなんかそういう秒数とかまで加わってくるみたいですよね。

 

そういうのから逃げてしまったなぁ。

 

好きだったゲームでからさえ逃げてしまって、何も極めることのできぬままのらりくらりと歳だけ取ってどうするんだろうか、と。

 

上には上がいらぁ。

 

やっぱりこういう時にでも、過去に何らかのほんの小さな出来事やコミュニティ内で良いから、頑張って1番及びトップクラスを取った経験は自信となって自らを支えるのだと深く思いますね。

 

まぁ、突き詰めていくと、どんなに小さなコミュニティであれ、1番は1人しか取れないので、みんながみんな何かしらで取れるようなものでもない、数が足りてない経験なのかもしれませんが。

 

1位は無理でも上位数%〜1%の分野を複数掛け算して、唯一無二性を高めてオンリーワンに、ってブルーオーシャン戦略もあるかもですが、1分野でもその上位数%と食い込ませる力や自信の根源はやっぱり戻ってそういう経験なのかなと。

 

金ネジキ攻略を見て凄いという気持ちと、そういうところから逃げてきた自分を嫌う気持ちと。

 

いや、そんなことを言ってる暇があったら、勝つまで繰り返せ、という言葉が聞こえてきそうですね。

 

それでは。

 

 

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やらないための理由

こんにちはSOです。

 

ニュートンという雑誌の「やせる科学」という特集を以前に購入したまま積読していたのを思い出したので、表紙をちゃんと見たところ、ラストの項目として「コロナ太りに効く、自宅でできるエクササイズ」というものがあったので今記事をと。

 

結論から言うと、1日5分、10分で効く〜ダイエットとか、そういう類って、効く効かないの前に続かないですよね。

 

時間の短さは一見魅力的でも、なんだかんだ数分でさえ嫌なものは嫌だし、大変なものは大変であり、要は気持ちのリセットが起きる1日という単位を継続する難易度が下がらない限りは意味ないよなと。

 

逆に言えばそこを超えられる人は1単位当たりが数分で済むんだから楽なんだけど、超えられるならそもそもこんな情報気にしてないっていう矛盾。

 

そういうリセット効果(睡眠のことを指します)を乗り越えて継続する上で他に障害となる項目として、他の手段もチラつくことにあると思うんですよね。

 

先述の通り、数分でできる〜ダイエット、エクササイズにしろ、〜食べるだけダイエットにしろ、無限にある。

 

まぁ、おそらくどれを選択しようと、根源は「消費カロリー>摂取カロリー」の不等式を成立させられているならダイエットは成功する(体重の減少のみを指すとする)という話なので、その根本からの派生が無限に作れるってだけなんだけど。

 

私の場合は、ダイエットもそうですが、勉強法、参考書の選択が混迷して停滞した人でした。

 

困ったことに、「そもそもが受験という枠を超えて全てを網羅的に学んで完璧になりたい」という完璧主義な思考だったことも災いしたんですが、凄いと思しき人の手段こと参考書の類いは見かけるたびに購入してました。

 

でも、言わずもがな、宝の持ち腐れで手付かずがほとんどでした。

 

ダイエットと一緒で、どの手段を用いようと「分からないこと→分かる」化、しないと成績は伸びない。

 

手段数を増やすこと、手段への知識が深いことは根本に影響は及ぼせど、直接的ではないということですね。

 

これは改めて言葉にすると当たり前で耳を過ぎる話でもあるんですが、言葉として認識するのは意外と大事です。

 

「勉強しなければ」と思うものの、結構それって漠然で、教科書を読むとか、ノートを見返すとか、ノートにまとめ直すとか、学校で触れた手段を繰り返しがちなんですが、それってあくまで手段であって、何を目的として行っていることなのかを明確にすることって大事なんですよ。

 

目的と手段の区別。

 

まぁ、私は高校生あたりまでそのことを曖昧に生きてましたね。

 

何が言いたいかって、相変わらず自分に向けての言葉ですが、取り敢えず一つだけ選択してそこだけに集中しろってこと。

 

目的をハッキリさせて、そこまでの残り時間とのバランスを考えて、可能な選択肢を選んで集中するしか残されていないのだと。

 

何らかの決断を迫られた時に、もっとあれやっとけばよかったとか、まだあれできてないしな〜って逃げ道を作ってしまうんですが、それってまとめて学んでる時間なんておそらくないんですよね。

 

全くのフリータイムなんておそらくほとんどの人にはない。

 

何かしらの継続の最中に、細かな時間を見出してコツコツ積み重ねるしかない。

 

と、月〜水サボってみたものの、まとまって得られたかのようなフリータイムもコツコツとした時間×n日、週、年には遥か及ばないことを身をもって知って軽く折れた今日でした。

 

それでは。

 

 

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プロからしたらの程度

こんにちはSOです。

 

プロの定義があってないような職業ってありますよね。

 

この世界に登録してたらプロ、とか線引きがある業界ならまだしも、YouTuberとかはそういうのないですよね。

 

そういうのがない場合は食べていけてるならプロ、そうでないならアマみたいな。

 

でも、明確なプロの定義なしにお金を稼げたとしても、それはおそらく一時的なことだと思うんですよね。

 

業界としてというより、個人で稼いでるから不安定と言いますか。

 

本屋の料理コーナーで料理のレシピ本とか見ても、ほとんどが「料理研究家」的な分類の方が出されてる物ばかりなんですよね。

 

それに対しての不満はないですし、特に料理本は家庭で実際に真似するための物の意味合いが強いのでむしろ「強化素人」(適切な言い方が思い浮かびませんでした)がやってるくらいの方が説得力あるのかとと思うくらいです(と言いつつ、料理本とか特に買ったことほぼないんですが)。

 

でも、「味」という結果って、「強化素人」の方はもちろん、「素人」の自分でも割と付いてくるんですよ。

 

まぁ、ふりかけご飯でも美味しいくらいですからあれですけど。

 

てことは、理論なしでも、試行錯誤でたどり着ける境地程度でも結果自体は良かったものまとめて提供できるのかなと。

 

まぁ、競争率高くてそんな一筋縄じゃいかないよ、ってところもあると思うんですけど。

 

じゃぁ、それに対して化学的な検知とか、古くからの伝統とか、そういうの学んだプロ(明確な定義は知らないので、取り敢えず歴史のある料理屋で働いてる人とする)からしたら、そんな素人及び強化素人はどう見えてるんですかね、と。

 

食材の持ち味をより引き出す具体策、技術を持っているのでしょうから。

 

60%のポテンシャルでも美味いと感じる味覚の人々に対して、80〜100%を引き出して提示できる力があるとしたら圧勝だと思うんですよ(時間的なコスパの面で差別化されている説はありますが)。

 

でも、ガッツリ本職の人が淘汰しないの、してないのってなんでなんですかね?

 

それはやっぱり本職で手一杯でメディアとか書籍とかSNS更新に掛ける暇がないから?

 

でも、時代錯誤な気もするんですよね、理由がそれなら。

 

既に目的達成しててやる理由がないから?

 

目的としたら、一流の店で目の前のお客さんさえ喜ばせられれば満足とか?

 

素晴らしいけど、ちょっとした見せ方や露出増やせば収入増えて、よりできることの幅が広がるのに、プロからしたら「強化素人」にその取り分取られてる感覚で見てしまって、もったいないな〜というか、なにかしらできない、やっても勝てない理由とかそこにはあるんかな〜ってのが最近の疑問です。

 

「強化素人」とか「素人」の私が言ってしまってますが、あくまでプロの定義から外れたという意味合いでしかないですので。

 

次に、ピアノ芸人?として最近、よく見かける女性の方。

 

経歴とか知らないし、知人にオススメされて動画何本か観た程度なんですが、素人の私からしたら凄いんですよ。

 

またニコ生?かで今はYouTubeで活躍してる男性のピアノ芸の方。

 

聴いたばかりの曲をすぐにコピーして弾けちゃうとか、やっぱりそれも素人からしたら凄すぎるんですよ。

 

んで後者は特に素人にも特に凄さが分かりやすい芸風が故により凄いと感じます。

 

でも、ここ最近で、ショパン国際ピアノコンクールとかいう凄い大会?で日本人の方が2位と4位に入ったじゃないですか。

 

素人の私が他に知ってる方だと、盲目でバリバリ弾いてるあの方とか(なんとなく名前は伏せるようにしてます笑)。

 

この辺の方々はプロなわけですよね?

 

ピアノ界のプロの定義も知りませんが、ああいう場で演奏できるできないは一線でしょうし。

 

プロでもできること、できないこと、はあると思います。

 

例えば、リフティングの名手とサッカーのプロでは同じ競技に見えてベクトルが違っていて、サッカーのプロがリフティングの大会でも優勝できるかどうかと、リフティング大会の優勝者がプロサッカーの世界で戦えるかどうかは別なように。

 

聴いた曲を即興で弾くとか、それはプロとして必須な技術、プロならできることなのかどうかは知りませんが、仮にできるならYouTubeとかで動画あげたら良いのにな〜って。

 

技術だけじゃなく、人柄とか笑いな観点ももちろん必要でしょうから、そういう面での向き不向きもあるでしょうけど。

 

料理に話戻すと、魚捌きのYouTuberの方とか物凄い登録者いってるじゃないですか。

 

昔は好きで観てたものの、最近は色々あって観てませんが。

 

あれは、ピアノ即興演奏と違って、明らかに「プロならできる能力」なわけですよ。

 

でも、プロもあげてるのかどうか分かりませんが、彼がトップ。

 

動画編集やら趣味のカードゲームやらに消費する時間がある分、やはり本職の人はずっと仕事として触れてる時間は有利なんだから勝てない理由はないと思うんですがね。

 

次に、お酒系YouTuber。

 

なんか、YouTuberとプロの比較になってきてますが。

 

ただ、この分野に関しては、本職としてバーテンダーや自分の店を持ってる人がトップとしてやってるみたいです。

 

素人が頑張ってバー回って飲み歩いたり、自腹でボトル買ってレビューできるほどまだまだ収益が見込める分野ではなさそうですし、本職で仕事の延長として撮影できるのは強みなのかなと。

 

でも、それって別にお酒に限らずどの分野もそうな気がするけどなぁ。

 

収益が低いのは、初めは誰だって平等だし。

 

他分野は参加者が強化素人だっただけで、お酒系はプロが先駆者だったって差の可能性もまぁありますね。

 

あ、そうそう、ピアノ芸の方は紅白内定みたいなニュースに付いてたコメント見かけて今回この記事内容になりました。

 

「プロからしたらありふれた普通のレベルなのに紅白出場なんて〜」的なマイナスのコメントが多いっぽい。

 

私としては、技術のレベルで言えば誰しも上には上がいるし、コンクールで優勝とか明確に1位の座を証明してたとして、それが適するかどうかとはまた別の話だと思ってるので、演出が上手かったんだから適格やろ、とは思ってます。

 

だし、明確に1位って、その分野においてたった1人のみしか許されないのってなかなかシビア過ぎんかと。

 

でも、その一方、順位がつく分野においては宿命なのかもと。

 

団体戦とか、順位はあれど系統がバラバラなら、他の人にもチャンスがありますけどね。

 

最後に書道家

 

テレビとかバラエティに出演する書道家の人って、何やら本筋の人からするとただのお絵描きだの、デタラメってボロクソな評価らしいんですよね。

 

でも、書道家の人って、そういう出演料だけじゃ食べていけないので、大概書道教室開いて、指導料で生計立ててるみたいなんですよ。

 

だし、パフォーマンスの場で素人に評価されてるから出演してるのに、素人からしたら無名で知らないプロと呼ばれる人がデタラメ、お絵かきって評価下したとて、世間と乖離してしまってるよねと。

 

でも、逆に世間が書に対する目が失われて、ホンモノを見る目がなくなって、離れていった結果としての乖離なのかもしれない。

 

プロが酷評して警鐘を鳴らすのはむしろ正しいのかもしれない。

 

でも、世間が離れて行ってるのに、そこを結果として繋ぎ止めてる中間の強化素人(まぁ教室やったり、パフォーマンスしたり、依頼されてるんだから素人と呼ばには失礼かもだけど)を批判したって、業界が上向くことには繋がらないよねと。

 

むしろ、書なんて識字率高い我が国でさえ読めない、なんで書いてあるか分からない、「文字」の「伝達・記録」を超えた芸術の境地の理解を要してる作品ばかりのプロだけじゃ、分かる人たちの間だけのコミュニティで衰退して終わりじゃん、とか。

 

自分の知らない分野に対して素人の私は活躍してる人は皆凄く見えるし、プロからしたらレベル丸わかりでプロとしてやっていけないレベルでも世間では持て囃されることも往々にしてあるのならば、プロが自ら披露して解説したり、世間との調和を図り行間を見せたり、なんか何が良いのだか分からんこの頃です。

 

 

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ワクチン接種の副反応を理由に公欠使えたので、更新できました(笑)

素人の自分からしたら凄いと感じるしへーと思うような世界を、プロ本人、あるいはプロのレベルを知ってる周りの人が「あれは大したことないよ」って語るのが凄く嫌いなんですよ。

「見せ方、演出が成功しててその上で言うと」とかならまだしもなんですが。

なんか、そういう語り草って、でも素人にはその差が伝わってないし、プロは本職しか手を出さないからカジュアル層に届いてないじゃん。わかる人たちの狭い世界でやってて満足なら、広く受けてるところに文句言うのは筋違いじゃない?分からせる、広める努力したん?って思っちゃったんですかね。

そういう、素人時代の自分を忘れちゃう専門家っていうのが嫌いです。浪人なり、留年なり、中退なり目に見えるそれらも、クラス内の立ち位置として弱い立場(発言権は弱く、特に目立つポジにもいない)で学生生活を過ごしてきた私はそういう立場にいる過去の私、及び相当する人の気持ちは忘れたくないし、上からじゃないけど教えたい、アドバイスしたい、って気持ちなんですよね。

てなわけで。

 

[今日の一枚]

f:id:arihuretajinsei:20211022100301j:image

なんの写真か分からない物がカメラロールに入っていたので。